1-3 お約束の冒険者登録
夜が更けて、大部屋のランプの灯りが絞られた。
途端に、部屋の闇が濃くなり、俺は繰り返し読んでいた小冊子を腰の革鞄に片付けた。
薄い毛布にくるまり、板張りの床の上で寝返りを打った。固い。とにかく固い。それに、うるさい。あちこちから響くいびき。歯ぎしり。知らない男の、大声の寝言。「かあちゃん、それは俺の肉だ……」って、知らねぇよ。
そして、匂い。大勢の男の汗と、酸っぱい何かがこもった空気。前世の深夜の居酒屋の男子トイレを3倍濃縮したような空間だ。
眠れない。
わかっている。中身は32歳だ。野宿よりマシだと頭では理解している。だが、この6歳の小さな体は、心に正直だった。不安が勝手に指先を震わせる。知らない土地。知らない天井。なぜ、こんなことになったのか。もう、日本に帰ることはできないのか。
その時だった。
隣で横になっていたノルの太い腕が、無言で伸びてきて、俺の体をぐいと引き寄せた。
「え、あの」
気づけば俺は、大きな体と壁の間に、すっぽりと収まっていた。分厚い胸板が背中に当たり、じんわりと熱が伝わってくる。大きな腕は、外敵から守ってくれる壁のようだった。少し早い呼吸が背中越しに伝わる。
……なんだよ。何も興味ないって顔しかしないくせに。
命令したわけでもないのに。いや、隷属魔法があるから、俺が寒がっていると勝手に判断して──いやいや、そんな細かい命令は成立しないはずだ。じゃあ、護衛奴隷は主人を抱きかかえて守りながら寝る決まりが──あるわけないよな。ということは、これは?
考えているうちに、俺の指先の震えは、いつの間にか止まっていた。
だが、背中越しに、妙なことに気づく。震えているのは、俺じゃなくてノルの方だった。腕にも胸にも、ぎゅっと力が入っている。
そんなにヤバいのか、この部屋。こんなガタイがいい元騎士が緊張するほどの何かが、この大部屋に潜んでいるのか。いびきの主たちが全員盗賊とか? まさかな。
武士は周囲を警戒して眠りが浅いとドラマで言っていたが、騎士もそうなのだろうか。どちらにしろ、6歳児の体の俺にとっては、ノルの存在が心強い。
不愛想な男の体温は、想像よりずっと暖かかった。俺の意識は、酸っぱい空気の中で、ゆっくりと溶けていった。
翌朝。
目が覚めると、ノルはとっくに起きて、壁に背を預けて座っていた。ちゃんと寝たのだろうか。目の下の影が、少し濃い気がする。
宿代に含まれている硬い朝食のパンをかじりながら、俺はメモ帳を開いた。所持金は51,100ゼナ。ノルのご飯を安い定食に変えたとしても、宿と飯だけで、1日に3,500ゼナ以上が消えていく。単純計算で、あと2週間で俺たちは野垂れ死にだ。
ダメだ。今すぐ金を稼がねば。
「ノル。手っ取り早く稼ぐには、どうしたらいい?」
ノルは固いパンを2口で飲み込んでから、短く答えた。
「冒険者ギルドの依頼だ」
「6歳でもなれる?」
「年齢制限はない。死ぬのは自己責任だ」
「率直な怖い忠告をありがとう」
というわけで、俺たちは冒険者ギルドへ向かった。中身は32歳男子でも、少しワクワクしてしまうのは、しょうがないだろう。
ギルドの中は、ガタイがいいやんちゃな人たちでにぎわっていた。この世界の人たちは、割とカラフルな髪や服装をしている。オレンジや緑の髪色も普通だ。朝からクラブにいるかのような気持ちになる。1度しか行ったこと無いけど。
6歳児が入っていった瞬間、好奇心を含んだ視線がちらほら集まった。だが、俺の半歩後ろの190センチを見て、みんなすっと目を逸らす。便利だな、この威圧感。
受付で登録を申し出ると、水色の髪の美人でスタイルがいいお姉さんが、かなり乱暴な口調で、事務的に説明してくれた。さすが、冒険者相手の窓口だ。
登録料は3,000ゼナ。ノルに関しては、俺が「使用者」、ノルが「隷属者」として登録される。隷属者が犯罪奴隷の場合は、依頼達成の報酬や素材の買取り金は、全て使用者の受け取りになるという。中抜きどころか全抜きだ。
うーん、完全な搾取構造。
報酬を分配できないか聞いたら、そんな話は聞いたことが無いと呆れたように笑われた。10人の奴隷を働かせて、左団扇で暮らしている冒険者もいるらしい。どこが冒険者だ。プランテーションの悪徳経営者じゃないか。
申請書に名前と年齢を書く。「スキル」の欄は、キンネ少年が使っていた記憶が無いので「なし」。お姉さんが「へぇ、チビのくせに字が書けるのか。やるな~」と頭を撫でてくれたが、中身32歳社会人としてとても恥ずかしい。ちなみに字は、勝手にこの世界の文字が書ける異世界特典仕様だった。助かります。
「じゃあ、右手で申請書を持って、左手でこの『誠言の魔道具』に触れて宣誓して」
艶のあるきれいな木製の箱が、カウンターの下から出てきた。嘘発見器みたいに、申請内容に虚偽が無いかを判定するらしい。年齢が引っ掛からないか少し不安だが、いざとなれば崖から落ちて記憶が曖昧だと言い訳しよう。昨日の警備隊の人を連れてきたら証明してくれるはずだ。たぶん。
少し緊張しながら、上部の鏡に左手を当て、魔道具に貼ってある宣誓を読み上げる。
「この内容に嘘偽りが無いことを誓います」
箱全体が緑色に光った。その光が収まる頃に、箱の前面から紺色のカードが出てきた。
「これが冒険者カードだよ。ランクはFね」
受け取った紺色のカードには、俺の名前と年齢と「F」の文字。そして「スキル:無」。これは単なる身分証ではなく、キャッシュカードやセキュリティカードとしても使えるそうだ。四隅にクラシカルな金色のコーナー装飾がデザインされていて、失敗した顔写真の免許証よりずっと嬉しい。
さて次は、肝心の仕事選びだ。壁の掲示板には、依頼書がずらりと貼られている。
「森猪討伐……ダンジョンの大型魔熊の調査……盗賊団の壊滅……」
どれも6歳児のやる仕事ではない。というか大人でも危険なやつだ。労働安全衛生の観点から全部却下していくと、掲示板の隅に、ひときわ地味な1枚を見つけた。
『薬草採取(常設依頼)。草原にて。下級1本100ゼナで買取』
うむ、これだな。草をむしるだけ。6歳の体でもできる、完璧に安全な軽作業。損益分岐点の4,000ゼナ稼ぐには、40本みつけるだけでいいのだ。
「ノル、これにする!」
ノルが依頼書を一瞥して、何か言いたげな顔をした。眉が、ほんの少しだけ動いた。
「なに?」
「……いや」
絶対に何か思ってるだろ、その間は。
だが俺は聞き流した。草むしりなら、総務時代に社屋周りの強制草むしりイベントがあったし、この子供の体なら腰を痛めることもなさそうだ。どうにかなるだろう。
──この楽観が、数時間後の草原で儚く散ることになるのだが、この時の俺はまだ知らない。
メモ帳に「ギルド登録料、3,000ゼナ」と書き込みながら、俺はこのあとの買い出しと、初めてのこの世界での労働に、ワクワクしていた。




