1-2 異世界の労基法
夕暮れの大通りを、6歳児と死にたがっている大男が歩いている。
俺は、サラリーマンモードを辞めてタメ語で話すことにした。
「なあ、ノルグレン。この世界……じゃなくて、この国のお金のこと、教えてくれないか。俺、田舎から出てきたばかりでさ」
少しの沈黙のあと、頭上から低い声が降ってきた。
「金貨1枚が、100,000ゼナ。銀貨1枚が、10,000ゼナ。銅貨1枚が、1,000ゼナ。鉄貨1枚が、100ゼナ、錫貨1枚が10ゼナだ」
ぶっきらぼうだが、ちゃんと答えてくれた。意外だ。……いや、違うな。ノルグレンが、俺の全財産がしまってある腰の革鞄を、じっと見ている。雇用主の懐事情は、さすがに気になるらしい。
「じゃあ、100ゼナで何が買えるの?」
「屋台の一番安い串焼き1本か、飲み物1杯」
なるほど、1ゼナは1円に換算しても良さそうだ。うん、そうしよう。
──ん? 待てよ。さっき金貨を3枚持っていかれたよな。
つまり俺は、この大男を300,000ゼナで買ったのか。人ひとりの値段としては安すぎる気もするし、6歳児の全財産から抜き取る額としては強欲にもほどがある。
歩きながら、さりげなく革袋を覗き込んで、中身を数える。所持金は57,400ゼナ。
……ヤバい。宿代も飯代もかかる。しかも扶養家族は190センチの大飯食らい。早急に稼がなくては。
道端の露店に、紙のメモ帳と木軸のペンが並んでいるのが目に入った。ありがたい。この世界は紙があるのか。
「すみません、このメモ帳とペンとインク、まとめておいくらですか」
「1,500ゼナだよ」
「1,000ゼナにしてください。ペンの持ち手が欠けてるし、インクの量も少し減ってますよね」
今度はちゃんと値切ったぞ。学習する男、それが俺だ。店主は「参ったね」と笑って1,000ゼナにしてくれた。だが、値引き交渉の間、店主が俺の後ろのノルグレンをチラチラ見ていた気がする。俺の交渉術の勝利なのか、無言の圧の勝利なのかは不明だ。
とりあえず、これでいつでもメモできる。異世界に来ようが6歳になろうが、俺の記録癖は治らない。腰の革鞄に、大事にメモ帳とペンをしまった。
宿は、スキンヘッドの奴隷商が「オススメだ」と教えてきた宿は避け、別の通りで探した。あの男の紹介は信用しない。汚すぎず綺麗すぎず、ごくごく普通の宿を探す。
「個室は3,000ゼナから、奴隷部屋は300ゼナだよ」
ノルグレンの首輪を見ながら答える受付のおやじに、俺は首を振った。
ダメだ。節約しないと。でも、300ゼナの奴隷部屋は酷そうだ。
「一番安いお部屋をお願いします。奴隷も同じ部屋で」
おやじのこめかみがピクッと動いた。何故か不満げな表情で告げられる。
「なら大部屋の雑魚寝だな。一人1,000ゼナだ」
「はい。あの、ちなみに……子供料金は?」
「ないよ」
「っすよねー」
ちっ。体の体積は半分以下なのに。
宿の1階は食堂になっていた。夕食時で、宿泊者の男たちが騒がしい。俺は壁際の席を選び、メニューの木札を眺めた。パンとスープのセット300ゼナ。よし、俺はこれだ。
さて、ここは雇用主としてのイメージアップを図る場面であろう。俺は精一杯かっこつけて言った。
「ノルグレン、好きなものを頼んでくれ」
大男が無言で、少しだけ首をかしげた。明らかに俺を疑っている。
「値段は気にしないで。好きな物を選んでね」
俺は、6歳児無邪気スマイルを放った。
「全部盛り定食」
「わかっ──えっ、3,000ゼナ!?」
メニューの木札の、一番下。一番高い定食だった。遠慮という言葉は、こいつの辞書には載ってないらしい。お代わり自由だが高い。俺のパンとスープの10倍だ。
だが、撤回はしない。言ったからには払う。それが信用に繋がっていくのだ。革袋が、また軽くなり、俺は少し涙目になった。
注文が来て、俺はスープを3分で流し込むと、パンを片手に例の小冊子を開いた。奴隷商にもらった『大陸奴隷法(要約版)』だ。
読み始めて数分。俺は、パンをくわえたまま固まっていた。
『奴隷といえども、一個の人としてこれを敬え』
──労働時間は1日8時間を超えてはならない。
──7日を1週とし、週に1日以上の休日を与えること。
──衣食住は使用者の責任において保証すること。
──賃金は契約区分ごとの法定日給を下回ってはならない。
なにこれ、見覚えしかない。
個人の尊厳、労働時間、休日、衣食住の保証、最低賃金。……これは、あれだ。俺が前世で10年近く強制的に仲良くさせられた、労働基準法じゃないか。
ページをめくる手が止まらない。ふむふむ、細則は役所か図書館に完全版があるらしい。早めに確認しなければ。
顔を上げると、向かいの席では、大男が黙々と、とんでもない量の飯を平らげていた。すでに、皿は3枚目だ。大きな塊肉が美しい手さばきで、次々と口元に消えていく。周りの男たちと比べても、かなりキレイな食べ方だ。
その姿を眺めながら、俺は妙に落ち着きを取り戻していた。
いきなり常識も何もわからない異世界で目覚め、手持ちの金も少ない。だがこの世界でも、俺の得意分野は使えそうだ。法律を元に、労働環境を管理する。10年やってきた仕事が、まさか異世界で役に立つとは。
よし、決めた。この大陸奴隷法を、遵守する。それが自分の身を守ることを、俺は両親の──苦い経験から知っている。
「──ノルグレン。ちょっと長いから、これから『ノル』って呼ぶよ」
愛称呼びで距離を縮める作戦だ。氷の鬼と呼ばれた経理部長を「けーりん部長」と呼んで懐に入った営業部のシゴデキ先輩の技である。
「で、俺のことは──」
「主でいい」
名乗る前に、遮られた。
「いや、名前で呼んでくれた方が──」
「不要だ」
取り付く島もなかった。こちらを見もせずに黙々と食事を続ける。名前を聞く気すらないということだろうか。俺の命令に逆らえないはずでは? 雇用初日の面談としては、過去最低の手応えである。アイスブレイクまで辿りつけない。
静かな食事を終えて大部屋に移動すると、すでに先客のいびきが響いていた。床に敷かれた薄い布1枚が1人分のスペースのようだが、幅が60センチくらいしかない。富士登山の山小屋並みで、ノルのような大男には辛そうだ。
「……狭いな。寝れそうか?」
ノルは隅に積まれた汚い毛布を1枚取り、壁際に横になりながら、こともなげに言った。
「問題ない。俺は奴隷だ」
その平坦な声に、俺は何も言えなかった。
俺はノルの横に寝そべり、メモ帳を開いて部屋を照らしているランプの明かりで、今日の支出を書きこむ。支出は。奴隷購入、300,000ゼナ。メモ帳とペン、1,000ゼナ。夕食、3,300ゼナ。宿、2,000ゼナ。収入0。所持金51,100ゼナ。
ペンを走らせながら、さっきの平坦な声が、妙に耳に残っていた。
問題ない、俺は奴隷だ──って、それは「問題ない」とは言わないんだよ、ノル。
普通の宿に奴隷部屋が存在する。すれ違う人がノルの体格にビビった後、首輪を見て横柄な態度に変わる。ニヤニヤと馬鹿にしたように嘲る表情。
法はあるのに守られず、奴隷の尊厳は無視される世界。
だが、俺も法を守れていない。衣食住の保証は、使用者の義務だ。小冊子にそう書いてあった。つまり、ノルの寝床の狭さは、俺の職務怠慢だ。これから、どうにかして稼いで、ちゃんとしたベッドに寝かせるからな。そんな全てを諦めた目は辞めさせるから、待っていてほしい。




