1-1 いきなりの押し売り
「良かったな坊主。これでこの奴隷はオメェのもんだ」
そう言って、スキンヘッドのヤバそうな男が、俺の革袋からつまみあげたピカピカの金貨3枚を自分の懐へしまった。
理解できない。俺は道の端っこにしゃがんで、所持金を確認していただけだ。
この町──ルーデンに連れてきてもらえたのはいいが、右も左もわからない。まずは手持ちの金を数えようと、革袋を覗き込んで硬貨を数えていただけだ。そしたら、いきなり横から太い腕がにゅっと伸びてきて、袋の中に手を突っ込まれた。声をかけられてすらいない。抗議する間もなく金貨だけを抜き取られ、「ちょうどいいのがいる」と、道端に並ぶ奴隷の列から一人の大男を引っ張ってきて、俺に押し付けたのだ。
選ぶ暇も、断る暇もなかった。
いや、確かに思ってはいた。この見知らぬ世界で、誰か助けてくれる人がいたらと。できれば、あの端にいる優しそうなお姉さんがいいなと。この世界の常識とか、暮らし方とか、そういうのを教えてくれる人が欲しいと考えてはいた。
なのに、目の前に立っているのは──身長190はありそうな、目つきが悪く、四方に威圧を放っている不機嫌な大男だった。口が効けないように布をかませてあるが、明らかに俺に売られることが不満なようだ。
6歳の俺に、この大男をどうしろと言うのだ。
──そう、今の俺は6歳だ。中身は32歳だが。
異世界転生? 異世界転移? よくわからないが、前世の俺は、日本のよくある中小企業で総務課長代理をやっていた。最後の記憶は、臨時取締役会の準備に走り回って、総務部の階でエレベーターから足を踏み出したところで終わっている。不摂生ではあったが、死ぬほどの体調の悪さでは無かったはずだ。
だが、次に気付いたら、シームレスに見知らぬ異世界の崖の下に寝ころんでいて、灰色の子犬に顔を舐められていた。通りかかった警備隊にこのルーデンまで連れてきてもらい、ほんの10分前に別れたところだ。正直、まだ大混乱の真っ最中である。
この体の元の持ち主──キンネという6歳の少年の記憶は、うっすらとしか残っていない。両親と旅の途中だったこと。その両親は、盗賊に襲われてもうこの世にいないらしいこと。少年はのんびりした性格だったようで、細かい事情までは伝わってこない。ただ、明らかに日本語ではないのに、何故か言葉が通じて文字が読めるのだけは、とてもありがたかった。
「しばらくは、その荷物と金で何とかなるだろう。孤児院はお勧めしない。どうせ奴隷商に売られるだけだ」
「お兄さん、俺はこれからどうしたら……」
「右に行けば役所だ。まぁ住み込みの働き口でも探してみろ。じゃあな」
連れてきてくれた警備隊員は、とてもカジュアルに別れの言葉を言った。
つまり俺は、6歳なのにたった一人で、この異世界に放り出されたわけだ。
臨時取締役会は、課長と後輩に頑張ってもらうしかない。すまん、田中。資料のドラフトは共有フォルダに入っている。手土産の発注は今日中にやってくれ。
「おら坊主、突っ立ってねぇで店に来い。手続きだ」
スキンヘッドに首根っこを掴まれるようにして、俺は路地裏の小さな建物に連れ込まれた。大男も黙ってついてくる。足音が、体格のわりに妙に静かで、脚に繋がれた鎖の音だけが響いている。
事務室と呼ばれた部屋は、書類が乱雑に積まれた狭くて煙草くさい部屋だった。スキンヘッドが机に1枚の契約書を、バンと置く。
「ここに名前を書け」
「あの、僕、まだ6歳だから、奴隷はちょっと早いかなーって……」
ニッコリ笑いながら抵抗してみる。
「あぁん? 先週来た親子は、4歳の娘用の奴隷を買って行ったぞ」
「それは親子だし、親がお金を払ってるわけだから──」
「こいつは元騎士だ。腕っ節はそこらの冒険者には負けねぇ」
「保護者の同意がないと契約は……あの、クーリングオフは……?」
「あ? 何言ってんだ」
「いえその、契約から8日以内なら無条件で解約できる制度が……」
「いいからここに名前を書け。書けねぇなら俺が代わりに書いてやる」
「いやいや、それは公文書偽造になるのでは?」
「オメェ、さっきから何なんだ。俺を舐めてんのか?」
スキンヘッドのこめかみに、太い血管が浮いた。ヤバい。この世界には消費者庁はないようだ。俺は慌ててペンを取り、契約書にキンネと名前を書いた。
「次は奴隷の区分だ。こいつは魔法が使えねぇから、戦闘奴隷、護衛奴隷、労務奴隷のどれかだな。他にもお子ちゃまには言えねぇ奴隷区分もあるが、どれで契約する?」
「えーっと、じゃあ護衛奴隷かな?」
6歳に性奴隷は不要だ。32歳にもだが。
スキンヘッドが書類に区分を書き込んだ瞬間、書類が淡く光り、大男の首の黒い首輪にも、同じ光がすうっと走った。契約魔法、というやつらしい。この書類とあの首輪は、繋がっているようだ。
そう、ここは剣と魔法の世界だった。キンネ少年は使えなかったみたいだけど。
「よし。──で、こいつはノルグレン・リゾン。元騎士の犯罪奴隷だが、魔法がまったく使えねぇ。おまけに大飯食らいだ。飼っとくだけでも大損でな。来週処分する予定だったんだが、処分にも金がかかる。大幅値引きしても売る方が安上がりってわけだ。感謝しろよ、坊主」
──犯罪奴隷。処分。
「しかも、買い手がつく度に、契約が成立しそうになるたびに暴れやがって。頭を壁に打ちつけたり、舌を噛もうとしたり。隷属魔法で死なねぇくせに、やろうとしやがる。おい、ノルグレン。お前が死のうとするとこの坊主が泣くぞ。やめとけよ」
──暴れる。死のうとする。
物騒な単語に固まりながら、俺は改めて大男を見上げた。
黒い短髪。暗い灰色の瞳。頬はこけているが、骨格そのものは逞しい。着ている粗末な服の上からでも、鍛え上げられた体だとわかる胸の厚さだ。なるほど、元騎士と言われれば納得の──。
目が合った。
が、次の瞬間、心底興味なさそうに逸らされた。
俺の顔がひきつる。おい。命の恩人(?)だぞ、一応。
「大丈夫だ、心配すんな。犯罪奴隷ったって、こいつは訳ありだ」
スキンヘッドはそう言いながら屈み込み、大男の手足の鎖を無造作に外していく。
「この首輪に隷属魔法がかかってる。主のオメェを傷つけることも、命令に逆らうこともできねぇ。──ああそれと、規則だからこれも渡しとく」
押しつけられたのは、薄い小冊子だった。表紙に『大陸奴隷法(要約版)』とある。
「まぁ、守ってる奴なんざ見たこたねぇがな。ガハハ」
法律はあるが、守る必要はないと言う。この世界にコンプラの概念はまだ無いようだ。
薄々、気付いてはいたが、文明はそれほどは発展していないようだ。まぁ、道を走っている移動手段は馬車だしな。
「オメェ、値切らなかったからよ、契約手数料と首輪代はオマケしといてやるわ。またのご利用をお待ちしてます、ってか。がはははっ」
そうして俺たちは、事務室から追い出された。
夕暮れの路地に、6歳児と処分寸前だった犯罪奴隷の大男。
これからどうすれば……いや、途方に暮れていても始まらない。こういう時こそ、第一印象が大事だ。まずは、挨拶。元騎士なら、礼儀にはうるさいはずだ。
「ノルグレンさん。不本意な状況かもしれませんが、これから、どうぞよろしくお願いいたします」
背筋を伸ばし、最敬礼45度で丁寧に頭を下げてみた。
返事はない。あ、口元の布を外さなければ。
「あの、布を外すのでかがんでください。僕、この町に来たばかりで、親がいなくて一人なんです。これから色々教えてくださいね」
6歳児らしく、天真爛漫な笑顔を作ってみせる。役員対応で鍛えた笑顔だ。社内根回しが総務の仕事の半分だと言っても過言ではない。
鋭い目が俺を値踏みするように一瞥し、すぐに興味が消えた。これ見よがしに大きなため息をついて、少しだけ体をかがめる。
おい。元騎士だろ。騎士道の礼節はどうした。挨拶しろよ。
俺は口元の布を外しながら、首輪をしきりに触っている大男をそっと観察した。
奴隷商が言っていた「訳ありの犯罪奴隷」とはどういう意味だろう。元々は魔力があったのに、今は無くなって魔法が使えないという経歴も気になる。しかも、愛想ゼロ。カウンセリングが得意な産業医と新人研修のマナー講師を雇いたいが、もう金貨は残ってない。
まぁ、とにかく今夜の宿と飯だ。
俺は、大通りへ向かって歩き出した。ノルグレンはついてくるだろうと思っていたら、俺の耳に小さなつぶやきが聞こえた。
「もうすぐ死ねたのに……はぁ、くそっ」
俺の異世界生活は、こうして強制イベントと不穏なセリフと共に始まった。
本日は時間差で5話まで投稿します。
どうぞ、よろしくお願いいたします。




