1-28 銀色の天災との出会い
買取価格が下がるまでの1週間で、稼げるだけ稼ぐことにした。
一日で、ノルは森猪1匹と森狼6匹、俺は下級癒し草を40本と中級癒し草5本をギルドに持ち込む。買取窓口のお兄さんは苦笑いしたが、余りそうな分は隣町に卸すと言って、全てを買い取ってくれた。
収入258,000ゼナに対して、支出は食費、宿代、ノルの給料の合計22,400ゼナで、一日当たり23万ゼナ以上の儲けになっている。チャリンチャリンだ。
だが、来週からは日給16,800ゼナの事務作業員だ。平日は、一日当たりマイナス5,600ゼナ、休日はマイナス22,400ゼナの赤字運営が確定している。そのため、今週は稼げるだけ稼いで、冬の3~4か月は貯金切崩しで耐える計算だ。ノルが護衛奴隷に戻ると言った時の対策も考えておかなければならないだろう。
それにしても、内勤の事務作業が日給16,800ゼナで、命の危険がある現場戦闘奴隷の日給が5,000ゼナというのは溜息しか出ない。それに加えて、見習い騎士の日給が50,000ゼナ以上だとノルから聞いてからは、見習いの1/10で戦闘奴隷を使う法制度に、不快感しか感じなくなってしまった。大きな図書館へ行けたら、大陸奴隷法の成り立ちや、改正方法を探ってみたいものだ。
そんな帰り道だった。
獲物が山盛り積まれた荷台の隅で揺られていた俺は、急に荷車が止まって慌ててノルを見た。ノルの向こうの街道の先に、俺よりも小さい4~5歳の子供が一人で立っていた。
フード付きの大きなマントを引き摺っている子供が、街道沿いの木柱に結びつけられた魔除けの札を燃やしていた。小さな紙がメラメラと燃えて灰になる。子供はゆっくり体を揺らしながら、次の木柱に移っていく。
「ノル、子供が──」
「待て」
ノルが声を被せて制止しながら、腰の剣に手を伸ばす。指先が微かに強張っている。
こんな町から離れた街道に、子供が一人でいるなんて危ない。転生したばかりの頃、崖の下に一人で転がってコゲに舐められていた自分を思い出した。何か事情があって迷子になっているのかもしれない。もう一度、声を掛けようと荷台から腰を上げかけたところで、ノルがもう一度「待て」と言った。
「主……『見て』くれ」
ノルから初めてスキルを使うように頼まれた。ちょっと驚きながらも俺は目を細める。世界がいつもの白に変わる。籠に盛られた癒し草の細い糸、荷車に積まれた森猪と森狼の糸、コゲのキラキラした糸、そして、その子供。
「っ」
声が出なかった。息が詰まって心臓がバクバクする。
視界が──真っ赤に埋め尽くされた。
子供の全身に、濃い赤の糸がびっしりと巻きついていた。服が見えないほどの密度で、生き物のように脈打つ赤い糸が重なっている。しかも、糸と糸の隙間から、赤い靄が四方八方に漏れ出している。あまりに禍々しくて、俺はすぐに「見る」のを止めた。
「ノル。あの子の糸は真っ赤だ。服が見えないくらい全身に巻きついてて、しかも動いてる。見たことない糸だ」
「やはりか……フードから尖った耳が見える」
その子供が、こちらを振り向いた瞬間、コゲが吠えた。
今まで聞いたことのない、甲高い声だった。追い払おうとするように、吠え続ける。
「あー、もーうるさいなー」
場違いにのんびりした声が返ってきたと思ったら、子供の輪郭が溶け始めた。影が広がるように形がぼやけ、ゆっくりと大きくなっていく。引き摺っていたマントの裾が地面から離れる。フードが後ろへ落ちて顔が現れた。荷台の上から見下ろしていた視線が、気づけば見上げていた。
「低燃費モードだったのにー。イラっとして戻っちゃったよー」
銀白色の髪で、ぞっとするほど整った顔立ちの男が、そこに立っていた。尖った耳だけでなく、緩やかに後ろへカーブしている2本の黒い角までよく見える。
ノルが剣を抜いて、荷車の前で構える。
「主……荷台から降りるな」
男はマントの前を軽く直して、完全にこちらに向き直る。銀色の目が、俺たちを順番に見ていた。
「んー、キミたちなんか変わった波だねー」
ふらりと近づいてくる。ノルが半歩、前に出て告げる。
「そこの魔族、近寄るな」
「え、なんでさー」
目の前で大人に変化した男性──魔族の男は止まらなかった。コゲの声が更に大きくなった瞬間、男が軽く手を振った。
「うるさいなあ、静かにしててよー」
ぽん、と間の抜けた音がした。
コゲが大きなシャボン玉の中にいた。球はふわりと宙に浮いて、男の肩の高さで上下している。コゲが前脚で引っ掻いたり、体当たりしたりしても、シャボンの膜はビクともしない。「くぅん」と困った時の顔をして、動きを止めた。
ノルは半歩、出たまま止まっている。脂汗がこめかみを伝っていた。何があっても『問題ない』と表情が変わらないノルの顔が、白くなっていた。息も荒い。剣の切っ先が震えないように、力で押さえ込んでいるのがわかる。
「主、逃げろ」
ノルの声が地を這うように低くなった。
「ノル、無理だよ。たぶん」
「えー、無駄だよー」
俺と男の声が重なった。
すぐ横の街道脇の茂みに、男が視線だけを向ける。
ニヤッと口だけで笑って、男がくいっと顎を上げた瞬間、その辺にあった木や草が無くなった。引っこ抜かれたわけでなく、最初から存在しなかったかのように、ただきれいになった地面だけがそこにあった。
俺はとっさに目を細めた。世界に白が混じる。茂みがあった場所を「見る」。
――何もない。
糸の一本も、残っていない。痕跡の無さに、魔族の男の桁違いの強さを理解し、逃げることが不可能な現状を思い知る。
ノルが歯を食いしばりながら、俺を庇うように剣を大きく構えて、もう半歩前に出る。
「もー、あぶないなー」
男の指先が軽く動く。ノルの剣が、見えない何かに弾かれた。手首を返してすぐに構え直そうとするが、体が持ち上がる。地面から足が離れた。
シャボン玉の膜が、ノルを覆っていく。何か叫ぼうとして口を開くのが見えたが、すぐに膜に完全に飲み込まれて、声は聞こえなかった。
球がふわりと浮いて、コゲの隣に並ぶ。ノルの口が動き続けている。シャボン玉の壁を、何度も剣で切りつけるが、傷すらつかない。ノルが剣を捨てて、必死に両手で壁を叩く。
「ノル、やめて! ケガするよ」
思わず荷台から飛び降りて、ノルの元に駆け寄る。
シャボン玉を見上げると、ノルの顔が歪んだ。
手のひらに、じっとりと汗が滲む。拳を強く握りしめても、腕の震えは止まらなかった。
俺ではノルを助けられない。
圧倒的な力を持つ魔族に対して、俺に何ができるというのか。
「あれ? あれれー? キミは時渡り人なのー?」
魔族の男が、俺を見てぱっと表情を明るくした。何故バレたんだろう。
「えっと……あなたは魔族さん、ですか」
「はい、そうでーす。ご名答ー!」
図書館の本に書かれていた「魔族」の説明を思い出す。
圧倒的な魔力とスキルで、古代龍が束になっても敵わないとされていた。1000歳近い長寿命だが、エルフのように集団生活はせず、個人であちこちを彷徨っている。基本的に、人間には無関心。対面すると、無視するか瞬殺されるかのどちらか。気まぐれで残虐な性質。
だが、本の記述の中で、俺が気になったのは、別のことだ。
「あの……魔族さんは、契約を絶対に違えないと、本に載っていました。とても素晴らしい心掛けだと思います。俺も常々、そうありたいと思って精進しています」
男がまばたきした。
「キミ、わかってる? 今から俺に殺されるんだよー?」
きれいな笑顔だった。シャボン玉を指先でぽんと弾く。コゲが跳ね上がった。
震える手で、メモ帳を開く。ペン先が紙に触れるまでの数秒が、やけに長く感じた。
「少々、お待ちください。時渡り人との契約書をご用意いたします」




