1-27 冬支度
森猪を狩り始めて、半月が経った。
ノルが毎日、森の奥からボアを担いで戻る。たまに森狼も一緒に。毎日、余剰金が増えていく。順調そのものだ、と思っていた矢先だった。
「キンネ君、悪いんだけどね」
すっかり仲良しになった魔獣買取カウンターのお兄さんが、申し訳なさそうに言った。
「ボアもウルフも、買取価格を来週から下げさせてもらうよ。冬支度の買い込みが、一段落したからさ」
「冬支度……ですか」
「もうすぐ雪だろ。干し肉と毛皮の需要は、今がピークなんだよ」
「え? まだ薄着で平気ですけど」
「例年通りなら、あと1週間で雪が降りだすよ、ここらは、いきなり真冬になるから風邪に気を付けな」
ギルドを出て、俺は空を見上げた。言われてみれば、朝晩の風が冷たくなっている。結界地では、コゲと一緒に毛布にくるまっている日も増えたし、木々の色も赤茶けてきた。
「本当に、いきなり冬が来るんだね」
「来る」
ノルが頷いた。
「この地方は、根雪になる。一度積もったら、春まで解けない」
「マジか。……森の魔獣狩りはどうするの?」
「森猪や森狼は巣ごもりに入る。代わりに雪狼や雪鳥を狩る。毛皮は冬物の方が高く売れる」
「それは魅力的だけど、雪が積もれば森には行けないよね。買取価格が下がる来週までに事務の仕事を見つけなきゃ」
ノルが微妙な顔をしているが、とりあえず、暖かい服を買いに行くことにした。なんたって、インフルエンサーだから。
ノルは、あれから俺の前世のことを、何も聞いてこない。ただ、俺が前世の仕事関係の単語を出した時のスルー率が上がっただけだった。中身32歳とは明かしてないが、今の人格が大人なことはわかっているはずだ。だが、俺の体が6歳児のせいか、過保護っぷりも変わらなかった。つまり、以前と変わらない毎日を送っている。
宿に戻って、俺はメモ帳を開いた。冬季の収支計画。問題は、稼ぎ少なくなることだ。薬草採取と魔獣狩りという主力事業が、冬の間まるまる止まる。ノルは、「俺は雪でも狩れる」と主張しているが、俺が宿でぬくぬくと待っている間に、ノルだけを狩りに行かせるなんてダメだ。かと言って、俺が結界地で待っていたら、あっという間に凍死するだろう。期間限定の事務仕事では、あまり高額収入は望めないだろうが、とりあえず事務の仕事を探してみよう。
翌朝、ギルドの掲示板を眺めていて、貼られたばかりの1枚の依頼書が目に留まった。
『冬季限定・ギルド内事務作業員募集。書庫の書類整理、簡易計算。日給16,800ゼナ』
これだ。俺の得意分野どストライクだ。
「ノル、あれ」
掲示板を指さすと、ノルは依頼書を読み、それから俺を見下ろした。
「主……本当にやるのか」
「約束通り、座ってればいいからさ」
「…………」
不満そうだが、拒否はしない。俺たちは揃って受付カウンターに向かった。
窓口のリーナさんは、美人でスタイルが良くて仕事はとても正確だが、かなりの口の悪さだ。ツンデレではなく毒舌。しかも全方面に。ある意味、信頼できる。──だが、今日はいつもの俺たちとは違う。
カウンターの前に立ったのは、可愛い6歳児ではなく、無愛想な190センチの大男である。
「この事務作業の依頼を受けたい」
ノルが、棒読みで言った。
リーナさんの目が、ノルの首輪と、依頼書と、ノルの顔を3周した。
「ノルグレンさんが事務……ごめん、笑っていい?」
「書類仕事は慣れ……慣れてるんだ」
ノルが、一瞬だけ俺の方を見る。俺は6歳児スマイルで、力強く頷く。
「リーナお姉ちゃん、ノルは騎士の時に書類仕事もいっぱいしてたんだって!」
「騎士が書類仕事って、それ左遷じゃないの? それに、どう見てもノルグレンさんは知力より腕力でしょ」
半眼で呆れ顔のリーナさんに、きっぱりと断られてしまった。
やはり、ノルが事務仕事は無理があり過ぎたか。当然と言えば当然だ。ガチの戦闘職にしか見えないノルが「事務仕事得意です」と言っても、誰も信じないだろう。リーナさんでダメなら、他の人なんてもっと無理だ。ノルを冬の森に送り出すしかないのかな。
俺はとぼとぼと、ギルドの隅の椅子に座り込んだ。ノルも静かに隣に腰を下ろす。
すごく悔しい。よりによって俺の専門分野で門前払いとは。俺が事務歴10年ですって言えたらいいのに。
コゲが膝によじ登ってきて、俺の頬をペロペロと舐めて慰めてくれる。
「坊主。奴隷に事務の依頼を受けさせたいそうじゃな」
声をかけてきたのは、白髪の老人だった。見覚えがある。コゲの従魔登録をしてくれた、あの職員だ。手には書類の束を抱えている。ノルが立ち上がって老人に席を譲った。
「儂はガロスじゃ。引退して暇な身でのう、たまにここの手伝いに来ておるのじゃ」
ガロスと名乗った老人は、よっこらせと俺の隣に腰を下ろした。抱えていた書類をぱらぱらとめくりながら話を続ける。
「気を落とすでない。適材適所──誰にでも、できることとできないことがあるもんじゃ」
慰めの言葉を聞き流していると、ふと、老人の手元の書類が目に入った。数字がびっしり並んだ、収支の一覧表だ。──あれ?
「あの、その書類」
「うん? ああ、来年用の予算案じゃ」
「3行目の合計、624じゃなくて648です。それと下から2番目、単価と数量の掛け算が逆になっています」
老人が、書類と俺を交互に見た。
「……もう一度、言うてみい」
「3行目の合計、624じゃなくて648。下から2番目、単価3万×数量144本が正解です。逆でも今は同じ計算結果になりますが、単価改定の時にミスの原因になります」
ガロスさんは黙って、書類に指を這わせた。指を折りながら、暗算で確かめている。
「坊主……計算が早いのう。それに、数字の意味がすぐに理解できるのか?」
「得意分野なので」
「ふむ。商会で働いたことがあるんじゃな。さては、奴隷じゃなくて、お主が事務仕事を受けたかったというわけか」
ガロスさんは顎を撫でて、それから悪戯っぽく目を細めた。
「では、1つ試させてくれんか。──おい、昨日の収支表を持ってきてくれ」
リーナさんに声をかける。彼女は少し驚いた顔をしたが、すぐに書類を持ってきた。
「この坊主に、確認させたいんじゃ」
「えぇぇ、でも……この収支表、3ページもありますよ。経理の先輩がまとめるのに2時間かかってたし」
「見せてもらってもいいですか」
差し出された書類を、素早く目で追う。項目、単価、数量、合計。前世で確認していた経費一覧表と、作りは変わらない。数字さえ読めれば、あとは慣れの問題だ。しかも単純計算が多く、細かい仕分確認の必要はない。空中で指を弾く。会社では、Excelと電卓中心の計算作業だったが、珠算の癖は残っている。3ページの見直しなら5分で十分だ。
「終わりました」
「え?」
リーナさんが口を開けたまま固まった。毒舌が出てこない時は、本気で驚いている証拠だ。
「1ページ目の4行目と2ページ目の9行目に計算ミス。3ページ目の7行目は日付が昨日じゃなくて一昨日の分が混ざってます。同じく3ページ目の19行目、単位が『個』になってますが、内容からすると『束』の間違いかと。グロス……えっと束数の数え方に規定があるなら確認してください」
沈黙が落ちた。
それから、ガロスさんが声を上げて笑い出した。
「はっはっは! こりゃあいい! この坊主を雇ってやれ」
「で、でも規則が……子供には……」
リーナさんが困った顔をしている。当然だ。いくら計算ができても、ギルドの規則は規則だ。
ここだ。俺はノルの腰のあたりを、つんと突いた。
「じゃあ、ノルを事務員として登録してください。僕はノルの付き添いで一緒にいます」
リーナさんが「え?」という顔をした。ガロスさんは、目を細めて大人しくしているコゲとノルを交互に見た。面白がるような表情だった。
「この従魔といい、奴隷といい……ふむ。坊主たちは面白い組み合わせじゃな。だがまぁ、これは儂の一存では決められんか。ギルド長を呼んでこい」
リーナさんが奥に走り、しばらくして連れてきたのは、ノルに匹敵する巨体の男だった。太い腕に日焼けした顔。腰に提げた大剣が、見た目通りの武闘派であることを物語っている。結界地の井戸の時に会った熊のようなギルド長だ。
「何だ爺さん、また面倒ごとを持ち込んだのか」
「ザイデンよ。この奴隷を、冬季の臨時事務員に雇いたいんじゃが」
ザイデンと呼ばれた現ギルド長は、ノルをじろりと見た。
「ふーん……まあ、爺さんがいいなら、俺はいいぞ。書類のことは、さっぱりわからん」
「ザイデンは腕っぷしもいいし、人柄も問題ない。じゃが、事務仕事はからっきしでな」
ガロスさんが、俺の方を見て小さく笑った。
俺は思わずノルを見上げた。ノルは窓の外に目を逸らしている。
──同じタイプだ、この二人。間違いない。
「事務仕事だけは、引き続き儂が目を光らせておるんじゃよ」
そう言ったガロスさんの声には、どこか楽しそうな響きがあった。
来週から、ノルは正式にギルドの冬季事務作業員として採用された。俺は「ノルグレンの付き添い」という扱いだったが、既に指がウズウズし始めていた。




