1-26 届かない刃
その夜。夕食の皿が空になったのを見計らって、俺はメモ帳を開いた。
「ノル、収支計画の相談なんだけど」
「……俺にもわかる言葉で頼む」
この部屋を使うようになって1週間。資金は順調に貯まっている。ノルは魔道コンテナにシルベリウスを収納して狩りに出かけるようになり、より身軽に動けるようになったようだ。魔道コンテナは、登録者しか開けられない仕組みになっていて、セーフティボックスのようなものだ。俺の魔力を登録して、現金もここにしまっている。
ページに並んだ数字を、俺はペンでトントンと叩いた。
「今のペースだと、3,000万まで10年かかる。近道の1つは、活動場所をダンジョンに変えることだ。ノルを戦闘奴隷から上級戦闘奴隷に変更すれば、日給も危険手当も増やせる。それに宝箱は、井戸の時と同じように臨時報酬扱いにしたら山分けできるだろ?」
「無理だ」
即答だった。
「俺はダンジョンには力不足だ。魔力なしでは、魔法系の魔獣を倒せないし、魔法防御の魔道具も使えない。ダンジョンには物理の効かない魔物もいる」
俺はメモ帳を閉じて、本題を切り出した。
「ノル。左腕の糸、俺に直させてくれないかな」
ノルの手が、止まった。眠ったコゲの背を撫でていた手が、ゆっくりと膝の上に降りる。
「……井戸や、剣と、同じことをするのか」
「うん。左腕の絡まりを切って、糸を繋ぎ直す。黙っていたけど、実はコゲもそうやって治したんだ。糸を切ってもコゲは、痛がってなかったよ」
ノルはしばらく目を閉じて黙っていた。それから、俺の目を見て──静かにコゲをベッドに降ろしてから、椅子に座って左腕を差し出した。
ノルの左腕をあらためて「見る」。
──凄まじかった。
コゲの絡まりは、5センチほどの団子だった。ノルのそれは、20センチ以上の塊だ。何100本もの糸が、絡まって石になったような密度で固まっている。
ハサミを出す。刃先を、絡まりの端の方の根元にそっと当てて力を込める。
切れない。
更に力を込める。刃が団子の根元に食い込むが、そこから先へ進まない。井戸の、一番頑固だった団子の何倍も硬い。ハサミが震え、指が白くなる。額から汗が流れる。喉が渇く。
──切れない。なぜだ。
視界の端が暗くなり始めた。あと数十秒で、俺の魔力が底を突く。
「くそっ」
手を離した。ハサミが消える。俺は床に大の字に倒れて、天井を見た。
「……ごめん、ノル。無理だった」
「問題ない。気にするな」
ノルの声は、優しかった。最初から期待していなかったのが伝わってくる。それが、俺には悔しかった。
「──ノル。なんでできないと思う? 俺の魔力が足りないからかな」
「おそらくはそうだ。子供の魔力量は少ない。スキルの威力は、魔力量と練度で決まると言われている。主はどちらも足りないのだろう」
「じゃあ魔力量と練度を増やすにはどうしたらいいんだよ」
「魔力量を増やすには成長するしかない。年を重ねれば、自然に増える」
「何年くらい?」
「……10年。早くても」
10年。俺が16歳になるまでなんて、長すぎる。
「ノル、俺のスキルを、毎日限界まで使って倒れたら、魔力の器は広がらないか? 昔読んだ書物に、そういう話があったんだけど」
ラノベの知識を聞いてみる。
ノルは腕を組み、渋い顔をした。
「増えなくはない。だが子供の体で毎日倒れ続ければ、どこかで壊れる。魔力を酷使させられた子供の奴隷は、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったりしていた」
「それは困るな……。他に方法は?」
「──1つ、ある」
ノルの目が、窓の外──森の向こうの、さらに向こうへ向いた。
「瘴気だ」
「しょうき?」
俺は起き上がって、ノルを見つめた。
「毒の霧のようなものだ。昔、魔獣が多かった場所に溜まっていると言われている。人間の体には害になるが、薄い瘴気を吸い続けると──魔力が増える。瘴気の中に住む魔獣の魔力が強いのは、そのせいだ」
「……つまり、瘴気のある場所に通えば、俺の魔力は増えるってこと?」
「そうだ。だが、無理しすぎてもダメだ。瘴気を吸い過ぎると死ぬ」
「条件付きか。でも、10年待つよりはいいよ。ルーデンの近くに、瘴気のある場所はあるの?」
「──瘴気の沼が、森の奥にある」
瘴気の沼。まんま不吉な名前だ。だが、試してみる価値はある。
「それと……」
ノルが、珍しく言い淀んだ。首元を一撫でし、少し考え込んでから続ける。
「瘴気の沼には、瘴毒蜘蛛が出る。その糸は、魔法鞄の素材になる」
「魔法鞄……って、あの1,000万ゼナの?!」
「ああ。鞄の核は、瘴毒蜘蛛の糸で編んだ布だ。それに付与師が空間拡張と重量軽減の魔法陣を刻んで、初めて魔法鞄になる。布を自分で用意して付与師に持ち込めば、完成品を買うよりずっと安い」
防具の時と、同じ裏口社長賞方式だ。素材を自力で調達して、加工費だけ払う。内製化による美しい原価削減案だ。しかも魔法鞄があれば、ダンジョンの報酬も全部、持ち帰りができる。階段が多くて荷車を持ち込めないダンジョンでは、魔法鞄があると無いとでは、収入が全く違うという。
「瘴気の沼に行けば──俺の魔力が増えて、ノルの腕を直せる可能性が上がる。ついでに瘴毒蜘蛛の糸で魔法鞄が作れる。魔法鞄があればダンジョンに行ける。ダンジョンに行ければ3,000万が近づく。例えノルの魔力が戻らなくても、物理攻撃が効く魔物ならダンジョンでも戦えるよね?」
指を折りながら、俺は笑った。一石四鳥なら、コスパ文句なしだ。
「よし。決まり。瘴気の沼に行こう」
「──ただし、これから冬になる。秋から冬にかけて瘴毒蜘蛛は冬眠する。瘴気の沼にも腰近くまで雪が積もるだろう。行くのは来年の春だ」
盛り上がった気分が急速にしぼむ。だが、と言うことは……。
その夜。コゲが丸くなって寝息を立て始めた頃、俺は切り出した。
「ノル、聞いてほしい話がある」
窓辺で剣を磨いていたノルが、ちらりとこちらを見た。
「ノルの左腕を治すために、俺が何者で、何が見えているのか──ちゃんと知っておいてほしいんだ」
ノルの手が止まった。
「俺には、別の世界を生きた記憶がある」
沈黙が落ちた。コゲのかわいい寝息だけが、聞こえている。
「別の世界で、別の暮らしをしていたんだ。そこで俺は、書類仕事や法律を扱う仕事をしていた。奴隷法の条文をすぐに理解できたのも、未払い賃金証書なんて面倒な書式を作れたのも、全部そのおかげだよ」
ノルは剣を膝に置いたまま、微動だにしなかった。
「主は……時渡り人だったのか」
その声は、静かだった。
「え、他にもいるの?」
「伝承にある。別の時の記憶を持って生まれてくる者がいると。前回の時渡り人は、100年近く前の隣国の女王だ。その御方は、隣国の医療を発展させた」
女王様か。前例があったのなら、その人がどういう人なのか少し気になる。日本人だったのか、そもそも地球人だったのか。
「ノルは、俺が嘘ついてるって思わないの?」
「主は──主の知識は、とても6歳のものではない。時渡り人であるなら納得だ。他に隠しごとはないか?」
一瞬、前世の両親の姿が浮かんで、唇を噛んで俯いてしまう。
「記憶の全てを話せるわけではないよ……この世界とは文明が違い過ぎるし。でも、隠していたことは謝る。信用できる相手にしか、話せなくて……」
ノルは、俺が座っている椅子に近づいてきて、片膝を付いて俺の顔を覗き込んだ。
「主は、この世界に来て……嫌だったか」
俺は顔を上げて、ノルに笑いかける。
「最初はね。でも今は、この世界で頑張ろうと思ってるよ」
「そうか。なぜ今、話すんだ」
「さっき言った通り、ノルの治療に関わるから。俺は、他の世界の知識でも何でも使えるものは使って、ノルの魔力を治したい。俺がこの世界の常識とは違うことを言っても、驚かないでほしいんだ」
「それは既に、問題ない」
「ははっ、だよね。それと、もう1つ理由がある」
「なんだ」
「冬の間、雪が積もって採取ができなくなるなら、室内でできる事務の仕事をやりたいんだ。でも6歳の見た目じゃ誰も雇ってくれない。──表向きはノルの名前で受けたい。ノルが事務員、俺はノルの付き添い。実際の指示は裏から俺が出すからさ」
ノルの眉が、ぴくりと動いた。
「主……俺は、書類仕事は苦手だ」
「ノルは何もしなくていいよ。ただ座ってて。誰もいない時は、筋トレでも素振りでも好きにしていていいし」
「それなら……好きにしろ」
そう言うと、ノルは窓際に戻って剣の手入れの続きを始めた。
俺は大きく息を吐きだした。思ったより緊張していたようだ。
ノルの奴隷誓約には、主人に関する守秘義務の強制力がある。奴隷制度自体は肯定できないくせに、その奴隷誓約のおかげで前世の話をする勇気が出たのは確かだ。自分の狡さに情けなくなるが、これでノルに隠し事が減ったことは嬉しかった。




