1-25 金色の目
俺は荷車の上に毛布を敷いて、その上に子狼を乗せ、自分も腰を下ろした。
絡まりの大きさは、剣よりずっと小さいから、倒れるほど魔力は使わないはずだ。だが、生き物の糸を切るのは初めてだし、安全対策はすべてに優先する。何より、この1枚の毛布が、ノルに誓約書違反がバレた時に「でも気を付けた」という情状酌量を引き出すために不可欠な存在だ。
「あのさ、申し訳ないけど……試させてもらっても、いいかな」
子狼に語りかけながら、ハサミを思い浮かべる。手の中に、ひやりとした感触。
子狼は、逃げなかった。ただ、不思議そうに、じっとこちらを見つめている。……気のせいだろうか。その黒い目が、誰にも見えないはずのハサミの刃先を、追っている気がする。ハサミをすーっと動かしてみる。
右に動かすと、顔ごと右に向けてハサミを追う。左に動かすと、その動きについてくる。 明らかに見えているようだ。うーん。……とりあえず、判断保留。
右前足の付け根。絡まりの団子に、そっと刃を入れる。
剣や井戸と手ごたえは変わらない。生物でも無機物でも変わりないようだ。思い切って力を込める。
ちょきん。
絡まり団子が落ちて消えた。
個狼は、きょとんと首をかしげてハサミを見ている。良かった。痛みは無いようだ、
切れた糸の端を引っ張って糸の空白地帯に巻き付けた後、両端を丁寧に繋ぐ。結び目が溶け、糸がふわりと光り出す。
んんん?
子狼の瞳が──黒から、鮮やかな金色に変わった。
夕日を丸ごと閉じ込めたような、深く暖かい金色。子狼はぱちくりと瞬きをして、それから自分の右前足を見下ろし、恐る恐る毛布に足を下ろした。二歩、三歩。ぴょこんと跳ねて、くるりと回って、また跳ねた。
ほっと息を吐く。生き物の絡まった糸も同じ方法で直せるようだ。
「よし、これならもういじめられないぞ。ノルが帰ってくる前に森に──」
帰りな、と言い終わる前に、子狼は俺の膝によじ登ってきた。
「あの、仲間の群れに──」
膝の上で丸くなった。
「おーい」
金色の目が俺を見上げて、きゃうんと鳴いた。会話は以上という感じで、目をつぶってしまった。
それから子狼は、何をしても離れなかった。寝てるうちにと、そっと降ろして切り株に移動すれば、すぐに駆けてきて膝に乗って甘えてきた。歩けば足元にまとわりつき、本を読めば頁と俺の顔の間に割り込んでくる。エルフとドワーフの考察は、進まない。
日が傾いて、ノルが戻ってきた。肩に本日のボアを担いだまま、大男は俺の膝の上の子狼を見て、止まった。
「主……それは」
「拾った。じゃなくて、懐かれた」
ノルはボアを荷車に降ろし、子狼の前にしゃがんで、じっと観察した。子狼は逃げるどころか、金色の目でノルを見つめ返している。
「主は使役スキルもないのに、なぜ懐くんだ。こいつは魔獣だろ」
「人徳かな?」
ノルが、結界地をぐるりと見回す。
「主、境界の外に出たな」
「いいえ出てません」
「茂みの方に、主の足跡がある」
ぎくり。ノルは地面まで読むのか、有能すぎる。
「3歩だけだよ。この子がいじめられてたんだ。緊急獣命救助だったけど、ちゃんとリスクは勘案して──」
「7歩だ」
ノルは深いため息をつき、それから子狼をもう一度見て──ふ、と笑った。冗談の時のニヤリではない。柔らかい方の、レアスマイルだ。
「まあいい。ここで、こいつが主と一緒にいてくれるなら、俺も少しは安心だ」
どうやら、正式採用らしい。めでたし、めでたしか?
なぜ魔獣がこの結界地に入れるのかは、ノルにもわからないらしい。この子狼が何かのスキルを持っているのか、何かしらの相性の問題か、あるいはA級以上の魔物なのか……だが、ノルはA級以上に狼種はいないという。
帰りに寄った草原で、ノルに一角草兎を頼んだら、子狼もついて行った。邪魔にならないように、ちゃんとノルの足元で待ち、ノルが魔兎を仕留めると駈けて行ってすぐに咥えて戻ってきた。なかなか、賢い子かもしれない。
宿に戻ると、女将さんは子狼を一目見て、あっさり言った。
「従魔かい? 食堂に入れなきゃいいよ。あと、粗相の始末はあんたたちの仕事だよ」
「おばさん、ありがとう。これ、一角草兎3匹。この子の宿代代わりにどうぞ」
「おやまぁ、あんたは、ほんとにしっかりしてるねぇ。夕食で出してあげるよ」
「あと、もう少し広い部屋に変えられますか? 荷物も増えてきたので」
「それなら3階の奥はどうだい? 1泊1万ゼナだけど、あんたたち稼いでるらしいから大丈夫だろ。その部屋なら魔道シャワーも魔道コンテナもついてるよ」
「そこでお願いします。あと、明日からお昼のお弁当を3人分にしてください。ノルの分は肉多めで」
「はいよ。夕食は部屋に持って行ってもいいからね。それにしても、最初は大部屋だったのに、あっという間に3階の部屋を借りれるようになって。あんたたちはたいしたもんだよ」
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします!」
「あんた」ではなく「あんたたち」と言ってくれるのが嬉しい。ここは、ノルが奴隷でも受け入れてくれた。他の宿に変える気にはなれない。4,000ゼナの値上がりは痛いが、家族が増えるとはそういうことだ。というより、ボア1匹10万ゼナのおかげで、装備で減った手持ち資金はみるみる回復していた。
新しい部屋で、早速、シャワーを浴びた後、俺は重要な議題を切り出した。
「ノル、名前を決めよう。ギルドでちゃんと従魔登録をしたいんだ。そうしたら、どこにでもこの子を連れていけるよね」
子狼は床の上で、ノルの靴紐にじゃれている。ノルは靴紐を取られながら、無言でこちらを見た。
「備品管理上は『ウルフ1号』が合理的だと思うんだ。今後、増えても連番で──」
「却下だ。他にしろ」
即答だった。しかも真顔で。おい、堂々と俺に命令口調を使ったぞ。記念すべき初命令が備品名の却下とは。
「じゃあ対案を出せよ」
「…………」
「ノルもアイデアないじゃないか。それなら、えーっと、灰色っぽいから、グレイ? それじゃ宇宙人か。ポチ、シロ、ココ、マル。ピンとこないな。んー、銀月? 大仰すぎる……」
議論は紛糾(片方は無言)し、結論は出ないまま夕食の時間になった。子狼を置いて食堂へ行こうとすると、きゅうんと悲しそうに鳴く。ノルがすかさず抱き上げて耳の付け根を撫でる。そうだ、ノルは庇護欲が強いんだった。
というわけで、今日から食堂で頼んだ夕食を部屋に持ってきて食べることにした。
女将さんが、子狼用にと残り物をくれた。かなりいい肉の切れ端と、パンの耳が数本。パンの一部は真っ黒に焦げていた。
子狼は皿に鼻を寄せ──いい肉を、素通りした。
そして真っ黒なパンの耳に、猛然と食らいついた。かり、かり、かりかりかり。尻尾が千切れそうな勢いで振れている。金色の目が、爛々としている。試しにいい肉を口元に持っていくと、ぷいとそっぽを向き、次の黒焦げを探した。
「……お前、焦げてるのが好きなのか」
かりかりかり。返事の代わりに、猛烈な噛み音。
俺とノルは、顔を見合わせた。
「コゲ」
口に出したら、しっくり来た。子狼が、ぴくりと耳を立てて、こちらを見る。
「コゲ。お前、今日からコゲだ」
「きゃう」
ノルが顎を撫でて、ぼそりと言う。
「……悪くない」
全会一致である。ふと思い出した。全会一致といえば臨時取締役会は無事に終わったのだろうか。田中、そろそろ年末調整と冬季賞与の準備を始めろよ。課長は当てにならないぞ。と、念話を送っておく。
翌朝、ギルドの窓口で、従魔登録をした。対応してくれたのは、白髪の老職員だった。
種別:森狼(幼体)
使役者:キンネ
名前:コゲ
老職員はさらさらと登録簿にペンを走らせ──ふと、手を止めた。
視線の先には、カウンターの上で行儀よくお座りしているコゲがいる。
「……金色の目」
「え? 何か?」
「…………いや。まさかな」
老職員は首を振り、何かを言いかけて、やめて、登録簿に判を押した。
「登録完了じゃ。大事になさい」
気になる言い方だったが、老人はそれ以上、何も言わなかった。まあいいか。これで、町中でも人目を気にせずにコゲを連れ歩ける。
ギルドで買う従魔専用の首輪は、またしても全会一致でこげ茶色に決まった。
コゲの首にはこげ茶色の、ノルの首には黒の首輪が付いている。だが、俺の目に「見える」のは、両方とも常識外れにグルグルと巻かれた白い糸だ。この一人と一匹の使用者が平凡な俺でいいのか、ちょっと不安になる。
だが、メモ帳のメンバー欄を、更新しよう。
寡黙な大食い(190センチ)1名と、偏食な甘えん坊(焦げ専門)1匹。
賑やかになってきたな。扶養手当は出ないけれど。




