1-24 風向き
井戸の一件から1週間。
朝のギルドで、俺は妙な雰囲気に気づいた。
周りの視線が、今までと違う。
掲示板の前で依頼を眺めていると、周囲の冒険者たちの目が、ちらちらとこちらに向く。それ自体はたまにあることだ。ノルの威圧で静まるだろう。ただ、質が変わっていた。
少し前まで、あの視線には棘があった。理由は、さすがに俺にもわかる。
6歳のガキが奴隷を顎で使って稼いでいる。しかもその奴隷に、自分たちより上等な装備を着せ始めた。面白いわけがない。加えてノルは、奴隷市場にいた頃から目つきと態度の悪さで有名だったようだ。魔力無しだとバカにしていた奴隷が、次々とソロで周辺の魔獣を狩りまくる。加えて、俺の癒し草無双も知られ始めていた。
「あの反抗的なデカブツ」と「生意気なクソガキ」の組み合わせは、酒場ての悪口の定番だったはずだ。
それが今朝は──棘が少ない。
「……おい、あれだろ。例の」
「ああ、枯れ井戸の。急に水が出たんだってな、あの結界地の」
「あの2人が第1発見者だとよ。運のいいこった」
聞こえてますよ、と思いながら、俺は依頼書を眺めるふりを続けた。井戸の件は「自然に湧いた不思議な出来事」と公表されている。
「それによ、あの坊主、奴隷と同じ部屋で寝て、同じ飯を食ってるらしいぞ」
「嘘だろ。物好きにもほどがあるぜ」
「〈灰月亭〉の女将が、えらくほめちぎってたぜ。ちっこいのに筋が通ってるってな」
「窓口のリーナが、あの小僧は奴隷にちゃんと日給を払ってる、払わない連中はケチで恥さらしだってギルド長に噛みついたらしいぜ」
「そういえば、武器屋の偏屈ヤト爺さんがあの奴隷を認めたらしいぞ。あの腰の剣は付与ありだって噂だ」
うーむ、思わぬ方面から個人情報が流出しているようだ。どうしたもんか。
掲示板の横で、革鎧の女の人と目が合った。見覚えがある。結界地でよく昼飯を食っている、4人組の1人だ。彼女は俺とノルを順に見て、ふ、と口の端を上げた。
「坊主と奴隷はいいコンビだ。外野は気にすんな」
それだけ言って、仲間の方へ戻っていった。
敵意に好奇心が混じり始めている。思ってもみない場所からの援護射撃も出始めているようだ。俺たちを、他の冒険者たちが再認識し始めていた。
「ノル、風向きが変わったね」
「……興味ない」
「だと思った。行こっか」
俺たちは、いつものように荷車を借りて森へ出発した。
さて、本日も通常業務である。午後になると、ノルは森の奥へウキウキと狩りに向かい、俺は結界地で留守番だ。切り株に座って本を開く。今日は『エルフとドワーフの世界』だ。この大陸には、なんとエルフやドワーフのような亜人が存在している。しかも、別の大陸には獣人や翼人もいるという。さすが異世界、期待を裏切らない。何年に一回かは、指輪の話の映画のように、幻想的な麗人エルフ様御一行が国巡りをするらしい。いつか絶対に見てみたいものだ。
──きゃうん
甲高い鳴き声がした。
辺りを見回すと、さっきまでいた乗合馬車は、すでに出発していた。結界地には俺一人しか残っていない。
──きゃう、きゃうん
鳴き声は、結界地のすぐ外、街道と反対側の茂みからだった。幼い獣の悲鳴のような声。それに重なる、複数の唸り声。
俺はそっと立ち上がって、境界ぎりぎりから茂みを覗いた。
子狼たちだった。5匹の黒い子狼が、灰色の子狼を取り囲んで、代わる代わる噛みついたり、前足で引っかいたりしている。囲まれた方は右前足を庇うようにうずくまり、逃げることもできず、ただ鳴いていた。
これは、明らかにいじめだ。
群れの掟とか、自然の摂理とか、そういう話なのかもしれない。野生動物の弱肉強食に人間が口を出すなというのが、たぶん正論なのだろう。
だが、うずくまった子狼と、目が合ってしまった。俺を見てきゃうきゃうと首を伸ばす。うん? あの子は、俺がこの世界にやってきた時に顔を舐めていた子ではないだろうか。右前足の付け根に、一房だけ白い毛。確かに見覚えがある。
──気づいたら、体が動いていた。
「こらっ!! やめろ──っ!!」
境界を飛び出し、腰のナイフを抜いて、大声を上げながら突進する。6歳児の全力の奇声は、我ながらなかなかの迫力だった。黒い子狼たちは弾かれたように飛び退き、二、三度こちらを振り返ってから、茂みの奥へ散っていった。
……勝った。人生初の魔獣討伐だ。相手は子犬サイズだし討伐はしてないけど、魔獣は魔獣だ。もちろん、無策で飛び出したわけではない。この辺の成獣はノルが潰しているから、母狼が出てくる可能性は低い。そして俺の手にはノルが選んだ護身用ナイフ。ノルに毎朝晩、30回の素振りをさせられている。襲い掛かられても、きっと閃光のように華麗にナイフを使えたはずだ……ということにしておこう。手も足も震えているが。
残された灰色の子狼は、うずくまったまま、震えていた。
「もう大丈夫だよ。久しぶりだね、お前は狼だったのか」
そっと抱き上げると、温かくて軽い。とくとくと速く打っている心臓が、俺の手のひらに伝わってくる。右の前足は付け根から力なく垂れて、歩くのもつらそうだった。
とりあえず、安全な結界地の中へ──そう思って境界をまたいだ瞬間、俺は違和感に気づいて、足を止めた。
……入れた?
この子狼は、境界を通り抜けた。この結界地は、B級の魔獣までは決して入れないはずの場所だ。今まで、一度も魔獣が入ってきたことが無いし、ベテランの旅人ものんびりと昼寝をしたりしている。なのに、腕の中のこいつは、すんなりと入れた。
俺は子狼を切り株の上に降ろし、しゃがんで、じっと「見た」。
「えっ……」
思わず声が出た。白い糸がぐるぐると、成獣の森狼よりずっと多く巻き付いていた。
なのに、右前足の付け根で糸はぷつりと切れている。そのすぐそばに、見覚えのある、絡まりの団子。そして巻き付いている糸は光っていない。
……またお前か、絡まり団子よ。
子狼が、俺を見上げてペロンと頬を舐める。
この前のノルとの誓約書は忘れて、俺の指は疼き始めていた。学習したふりをする男、それが俺だ。




