1-22 昇給と残業命令
翌朝。出かける前に、俺は切り出した。
「ノル、今日はまず、ギルドで区分変更をします。異議は認めません」
「俺にもわかる言葉で説明してくれ」
ノルは俺の総務モードを警戒している。彼も学習する男のようだ。
俺はメモ帳を開き、これからの収支計画のページを開いた。
「これがノルの収入の倍増計画です。まず、契約区分を護衛奴隷から戦闘奴隷に変更します。日給は法定に従って3,000から5,000ゼナに。次に、森の奥での単独狩猟を正式業務にします。つきましては、危険手当を300から3,000ゼナに変更します」
「──待て」
ノルの眉間に、しわが寄った。
「いきなり、危険手当が10倍はおかしい」
「おかしくありません。今までの300ゼナは『森の浅い場所で30分』の手当で、これからは『森の奥地で4時間』の手当です。奥はB級魔獣も出ることがありますよね? 魔獣の討伐、撤退・運搬距離、長時間化の疲労。リスクが桁違いなら、手当も桁を変える。根拠のある10倍です」
「だが……」
「任意手当の設定は法で禁じられてはいません。反論は?」
「……ない」
よし、まずは1勝。
「それから、毎日2時間の追加業務を依頼します。装備のメンテナンス、情報収集、荷物の準備です。残業代は1時間800、2時間で1,600ゼナです」
「それは、今までやっていたことだ。追加ではない」
「いえ、内容が業務範囲なのに、今まで私がノルに甘えていました。これに関しては、ちゃんと遡って残業代を払いますのでお許しください」
ノルが、メモ帳から顔を上げて、じっと俺を見た。
「……労基とやらを律儀に守る主が、もっと働けと命じるのか」
「割増手当とノル本人の合意があれば、残業は大陸奴隷法では合法です。むしろ適法な残業こそ労基の出番ですよ。昔から『生活残業』という悲哀のこもった言葉があるくらいですから」
「せいかつざんぎょ? ……とにかく、主の言葉は屁理屈だ」
「法的根拠に基づく主張です──って、なんか既視感があるな。まぁとにかく、特別交通費と危険物管理者手当も入れて締めて日給10,000ゼナ。いかがでしょうか?」
ノルは腕を組み、しばらく黙った。10,000ゼナは、今までの約3倍だ。この男のことだから「不要だ」の一点張りかと思ったが、返ってきたのは別の言葉だった。
「主……ひとつ、言っておくことがある」
「なんでしょうか?」
「買い戻しの話だ。確かに3,000万を納めれば、俺は奴隷ではなくなる。だが──」
ノルは、自分の首元を触りながら言葉を続ける。
「この首輪は、30年は外せない」
「え?」
「犯罪奴隷の首輪は、規定の刑期が終わるまで外せない。身分を買い戻しても、犯罪者であることには変わりないからな。主が無駄遣いする必要は無い」
30年。なるほど、そういう仕組みなのか。身分は金で戻るが、烙印は残る。江戸時代で言えば、刺青が消せないみたいなものだ。犯罪者の証を一目でわかる形で残す──本当にご丁寧な制度設計だ。
大陸奴隷法は『奴隷といえども、一個の人としてこれを敬え』と言いつつ、実際の運用はとても奴隷の尊厳を守っているとは言い難い。どこかチグハグなおかしな法だ。
だが、俺はその隙間を突いていく。
「ノル。前に服屋で言われたの、覚えてる? 『奴隷の首輪を隠すのは罪になる』って」
「……ああ」
「あれ、正確には『奴隷が』隠すのが罪なんだよ。ちゃんと図書館で条文を確認した。じゃあさ、奴隷じゃなくなったら?」
ノルの目が、わずかに見開かれた。
「首輪が外せなくても、隠すことはできるんだよ。襟の高い服でも、首巻きでもいいし、防具屋に首鎧も売ってたよ。また、森狼で作ってもいいね」
「……」
「だから、結論は変わらない。さっさと3,000万、貯めよう」
俺はニヤリと笑った。よし、3戦3勝完全勝利だ。
朝食後、その足でギルドへ向かい、窓口で契約区分の変更手続きをした。
「護衛奴隷から戦闘奴隷への変更かよ、面倒くせぇな。えっ! 日給、5,000ゼナの振り込み手続き? 本気なの!?」
受付のリーナさんが、書類と俺を二度見した。
「はい。法定額ですよ。ノルグレンのギルド口座の開設もお願いします。追加手当も含めて、1日分10,000ゼナを毎日、俺の口座から自動振り込みにしてください。ちゃんと口座のログ……じゃなかった記録は残りますよね?」
「そりゃ残るけどさ。法定額を払う人なんて、初めて見たわ」
「何でなのかなぁ? 法を破る方が普通なんておかしいですよね、えへへ」
無邪気な6歳児スマイルを放っておく。
「うん、まぁ……払う方が正しいことなんだよね……」
考え込んでいるリーナさんに頭を下げて、窓口を離れた──その時だった。
「おいおい、聞いたかよ。奴隷に日給だとよ。ぎゃははっ」
行く手を塞ぐように、3人組の冒険者が立っていた。真ん中の赤髭の斧使いが、わざとらしく大声で笑う。朝のギルドは人が多く、他の冒険者もこの騒ぎを薄ら笑いで見ていた。
「金をドブに捨てるガキの噂は聞いてたが、本当にいるとはな。おい坊主、奴隷は道具だぞ? 鍬に給料を払う農夫がどこにいるってんだよ」
取り巻きの二人が、げらげらと笑った。その後ろに、大きな荷袋を背負った痩せた男が立っている。薄汚れた首には、ノルと似たような黒い首輪があった。この3人組の、荷物持ちの奴隷らしい。うつむいたまま、置物のように動かない。
他の冒険者たちの鬱陶しい視線には、前から気付いていた。だが、正面から来られたのは初めてだ。俺は、姿勢を正して、総務モードへ切り替えた。クレーマー対応に大切なのは、毅然とした態度だ。しっかりと、赤髭の目を見る。
「ご忠告ありがとうございます。ですが、賃金の支払いは大陸奴隷法に定められた使用者の義務です。払っていないのであれば、あなたは犯罪者ですよ。法律は理解されてますか?」
「なんだと」
「あぁ、もしかして、義務という言葉をご存じないのでしょうか。そちらの方に、最後に賃金をお支払いしたのはいつですか?」
俺は、荷物持ちの男に視線を向けた。赤髭の顔から、笑いが消えた。
「未払い分は、債務として増え続けます。ちなみに『知らなかった』は、法律では通用しません。お帰りの際、そちらの窓口に寄ってはいかがですか? 初心者向けの条文の写しをもらえますよ」
「──このガキぁ!」
赤髭の太い腕が、俺に向かって伸びた。だが、その腕は、届かなかった。
ノルが、するりと俺の前に立ち塞がり、赤髭を静かに見下ろしている。無言だが、背中に庇われた俺の肌がヒリヒリするほどの威圧を放っていた。
赤髭の伸ばした腕は宙で止まり、ひゅっと喉が鳴る音がした。
「……ッ、お、覚えてろよ。奴隷に飼われてるだけのガキが」
3人は、すごい勢いで去っていった。最後尾の荷物持ちが、一度だけ振り返った。お辞儀ともいえないほど浅く首を動かすと、慌てて3人を追いかけて行った。
「ノル、ありがとう」
「当然のことをしただけだ」
俺はメモ帳を開き、日時と場所、先方から先に手を出しかけたこと、会話の内容、目撃者がギルドの受付を含めて多数いたことを記録した。トラブルは、起きた直後の記録が一番強い証拠になる。備えあれば憂いなしだ。
俺一人でこの世界の仕組みを変えることはできない。でも、俺の行動を見てもらうことはできる。俺は俺のやり方を変える気はない。
荷車を借りながら、ノルがぼそりと言った。
「森の浅い場所の森狼の巣は、3つ潰した。もう、あのあたりの群れは、狩り過ぎない方がいい」
「へぇ、じゃあ次の獲物は?」
「森猪。1匹、10万になる」
10万。狼の5倍だ。これで遡り残業代もすぐに払えそうだ。思わずメモ帳を開いた俺の脳内では、ギルドでの出来事なんて忘れて、チャリンチャリンという景気のいい硬貨の音が鳴り響いていた。




