1-21 白銀の剣
ハサミを手にしたまま、俺は迷っていた。
絡まりを切る。それしかない。解けないし、引っ張っても切れないのだ。あの団子が上流を塞いでいる限り、切れた糸を何百回結んでも無駄だろう。詰まった管は、詰まりを取るしかない。そのためにハサミが現れたはずだ。
──だが、失敗したら?
魔力の流れを刃物で断つなんて、誰もやったことがない(たぶん)。剣の魔力の糸が完全に死ぬかもしれないし、逆に魔力が暴走して暴発するかもしれない。
だが、俺は結界地の端っこで雑草に覆われつつある枯れ井戸を思い出した。この剣も、このまま置いておいても朽ちるだけだ。
そらに、ノルがたまに、魔道具を使う冒険者を無表情で見ている。道具屋でも、魔道具には近寄らない。ノルは何も言わないが、奴隷という立場と同じくらいに、魔力が無くなったことに嫌気が差しているような気がする。
俺は、ノルに笑っていてほしいんだ。
よし、やろう。
危険物の処理は、換気と、監督者と、覚悟があれば怖くない。少し窓を開ける。換気よし。監督者(厳しい190センチの真面目くん)よし。覚悟も……よし。
「ノル。この剣の糸が絡まってるところを、俺のハサミで切ってみる。危ないかもしれないから、一旦、床に置いてくれる?」
「……ああ」
ハサミの刃先を、絡まりの根元──固まった団子の根元に、慎重に差し込む。ひやりとした感触が、指先から腕へ伝う。
ゆっくりと息を吐いて、呼吸を止める。
──ちょきん。
拍子抜けするほど、軽い感覚が指を伝う。
団子が、ふわりとこぼれ落ちた。そして、切り離された絡まりは、床に転がる前に消えていった。あとに残ったのは、すっきりした姿になった糸の端だ。
ハサミから指を抜くと、ハサミも団子を追うように、すうっと消えた。ハサミに関しては、今後、検証していきたい。楽しみだ。
「切れたよ。絡まりがなくなったから、結んでみる」
よし、気を取り直して再チャレンジだ。もう一度ノルが、丁寧に剣を支えてくれる。
2本の糸をつまみ、引き伸ばす。巻く。28巻。29巻。──今までとは手応えが違う。糸が、自分から伸びたがっている感じだ──30巻。やはりそこが、この剣の限界だった。
最後に、2本の糸を堅結びにする。今度は、解けなかった。それどころか、結び目が雪のように溶けて消え、どこが結び目だったかもわからない。
糸が完全な1本になった瞬間、ふわりと光り出した。
できた。魔力が流れ出した。──そう思った、瞬間。
剣が、強烈な光を放って宙に浮かび上がった。
眩しい白光が部屋中に溢れ、思わず目の前に手をかざす。指の隙間から見える光の中で、剣にこびりついていた錆と汚れが、薄皮を剥ぐようにぼろぼろと剥がれ落ちていくのが見える。泥のような鈍色が、先端から塗り替えられていった。
光が引いた後、床の上には──完全に別物が横たわっていた。
刃こぼれ1つない白銀の剣だった。
ノルが呆然としたまま柄を握り、すらりと剣を構える。
刃は月の光を集めたように青白く、柄の凝った模様は生き生きとした生命力が溢れる銀の蔦模様となり、剣全体が静かに光輝いている。息を呑むほど、美しかった。武器というより、ガラスケースの中が似合う美術品のようだ。
「…………」
ノルの目が、何度も剣の先から柄までを往復する。口が開いたまま、見開かれた目が、白銀の剣に釘付けになっている。やがて、掠れた声がこぼれた。
「……この剣は……『シルベリウス』だ」
「しる、べり、うす」
「……ああ」
ノルは震える指先で、壊れ物に触れるようにそっと刃を撫でた。
「昔……騎士をしていた頃に、一度だけ見たことがある。なぜ、こんなところに……」
「うーん、その剣に何があったのかは、わからないけどさ──ノルと縁があったってことじゃない?」
俺が言うと、ノルは弾かれたように顔を上げた。
「主、これは、俺が使えるような剣では──」
「備品台帳に登録して、管理責任者と使用者はノルにしておくね。うーん、法定耐用年数がわからないから、減価償却の設定は保留かな。いや、タダでもらったんだから消耗品として計上するか」
「……」
「あ、使用者にノルを登録するけど、まだルーデンの周辺では使わない方がいいかも。目立つどころの騒ぎじゃなくなりそうだしさ」
「……」
「ノル、返事は?」
「…………わかった」
よしよし。危険物管理者手当を検討しよう。
ノルは剣を丁寧に布で包み始めた。
大事な物が増えてくると、この部屋だと厳しい。もう少し広くてセキュリティがしっかりした部屋に引っ越すのもありかもしれない。今のままだと、シャワーのたびに、全ての武器防具をノルがシャワー室に持ち込みそうだ。
──さて。
興奮が落ち着いた頃、俺はメモ帳を開いて、ノルと向き合った。防具よし、剣よし。装備は揃った。となれば、次は経営目標の話だ。
「ノル。今、いくら貯まってるの?」
「……8万ちょっとだ」
ノルは日々の給料を、ほとんど使わずに貯めている。飲まない、打たない、買わない。たまに買うのは、武器のメンテ用品。ストイックにもほどがある生活だ。
「では、次の経営計画を発表します。ノルに3,000万ゼナを貯めてもらって、自分を買い戻してもらいます。それが我々の中期目標です」
ノルの剣を撫でる手が、止まった。
「……買い戻して、どうする」
「どうするかは、自由になったノルが決めることだよ」
「…………自由……考えたこともなかった」
沈黙の後の、ぽろりと言葉がこぼれた。少し途方に暮れたような声だった。その迷子のような声と表情に、胸の奥が少しだけ軋んだ。
だが問題は、現実的なロードマップだ。日給3,500ゼナで3,000万。週休2日だと単純計算で8,571日──33年だ。長い。長すぎる。中期目標は5年以内に達成するものだ。
そのためには、ノルにもっと稼いでもらう必要がある。
「主……言っておくが、あの制度は飾りだ」
剣を再び撫でながら、ノルが静かに言った。
「みたいだね。調べてみたら、ここ何十年も買い戻しした例はみつからなかった。ここまで形骸化してる法律も珍しいよね」
「理由も調べたか。買い戻しの規定額は、奴隷本人の所持金からしか納められない」
「主人や家族が、代わりに払うことは許されない──だろ? もちろん、条文は確認済みだよ」
「……わかっていて、なぜ目標にする。日給だけで、買値の100倍を貯めろという法だぞ。買い戻した奴隷の話など、聞いたことがない」
「だろうね。誰にも達成できないように、意地悪く設計されてるから」
俺はノルの目を見て、ニヤリと笑った。
「でも、俺は法の隙間を突くのが得意なんだ。明日、区分変更をする。抜け道はこの日のために調べ尽くした。──労基はちゃんと守れば、抜け道にも詳しくなるんだよ」
装備が整った今、俺たちは次のマイルストーンへ進むのである。




