1-17 精算の日
ギルドの魔獣買取カウンターに狼を2匹並べると、あちこちを確認した職員のお兄さんが最後に口笛を吹いた。
「森狼の成獣、仕留めて2時間以内。しかも毛皮がほぼ無傷。こいつは、皮革屋が喜ぶぞ。解体手数料を引いて、1匹2万ゼナだな」
2匹で4万ゼナ。危険手当300ゼナの投資が、133倍になって返ってきた。株式投資なら金融庁に相談するレベルだ。投資利回りという概念が崩壊する。
癒し草の方も、下級20本で4,000ゼナ、中級2本で12,000ゼナ。薬草の2倍の単価だ。そして今日の素材買取のお兄さんに、癒し草の在庫が少ないので納品を増やしてほしいと頼まれた。そういう状況なら、もう少し多く採取しても悪目立ちしないで済むかもしれない。明日からはもう少し稼げそうだ。
しめて56,000ゼナ。革袋の中は82,100ゼナまで回復した。覗き込んでニヤニヤしてしまうのは、しょうがないだろう。
ギルドのあちこちに、ヒソヒソ声で俺たちの話をする冒険者たちがいた。買取窓口を観察していると、俺たちより稼ぎが低い冒険者の方が多いから、気持ちはわからなくはない。だが、ノルが鋭い眼差しで威圧すると声はピタリと止まった。護衛業務も完璧だ。
ギルドからの帰り道。俺は、昼間に魔物辞典を見ながら考えていた通り、防具屋の看板の前で立ち止まった。
「寄っていこう」
「防具はまだ必要ないと言ったはずだ」
「ノルが怪我をしたら、俺はすごく困るんだ。これは情ではなく、BCP──つまり事業継続計画だ。ノルの怪我による機会損失リスクは、金で減らせるなら減らすべきだろ」
「主……意味はわからんが、防具を買うことは決定ということか」
俺の総務モードの説得は成功した。というより、ノルも段々とこういう時は反対しても無駄だということをわかってきたようだ。よしよし。
防具屋の中は、革と金属の匂いが広がっていた。サイズ調整ができる籠手や脛あてが素材別に並び、サイズオーダーが必要な鎧や兜はサンプルが並んでいる。そして、俺の目には、武器屋とは違う景色が広がっていた。
巻いている。棚の防具の、そこかしこに糸が。
面白いことに、防具には値札と一緒に効能書きがついていた。『防御力+2%』の胸当てには、糸が2巻き。『+5%』の籠手には、5巻き。……1巻き1%だ。対応関係が、こんなに単純でいいのか。素晴らしすぎる。複雑な料率計算は不要なのだ。
そして、店の中央。マネキンに着せられた一式が、俺の目を吸い寄せた。
森狼装備セット。
灰色の硬い革で仕立てられた、額当て、胸当て、籠手、ロングブーツ。糸は10巻。つまり防御力10%増しだ。ノルの真っ黒な服の上に、この銀色が混じった濃灰色の装備を付けたら、めちゃくちゃ似合うだろうな。ふらふらと体も吸い寄せられる。
金色の値札に書かれたお値段は、1,600,000ゼナ。
ひゃくろくじゅうまん。
俺は暗算した。今日と同じ収入が続いても、2ヶ月近くかかる。
「はあ……160万……せめて半額なら……」
ぶつぶつ言いながら店を出る俺を見下ろして、ノルが、ふと言った。
「──欲しいなら、裏口があるぞ」
裏口。うらぐち。バックドア。──マルウェア!
「ネットワーク遮断! 今すぐLANケーブル、抜いて!」
「…………何の話だ」
「はっ。……悪い、ビープ音が脳内で鳴り響いてた」
ノルは、「またかよ、こいつ」という呆れがハッキリと浮かんだ顔をしていた。
「えへへ、気にしないで。それで、裏口って?」
「明日、確認する。可能だったら説明する」
気になる。非常に気になるが、こういう時のノルはどんなに頼んでも教えてくれない。不確定要素を口にしない真面目君だ。
──さて。いよいよだな。
その夜。夕食を終えた宿の部屋で、俺はメモ帳と革袋をテーブルに並べ、居住まいを正した。
「ノルグレンさん。証書を、全部出してもらえますか」
ノルが、動きを止めた。
「……なぜだ」
「精算します。全額、現金で」
しばらくの沈黙のあと、ノルは無言で懐に手を入れた。出てきたのは、小さく折り畳まれた紙の束。1枚、2枚──机の上に、証書が広げられていく。
全部で、6枚。
紙切れだと笑った男は、それでも1枚も捨てていなかった。
「では、照合します」
俺はメモ帳を開いた。破り取った証書の控えとして残っている、ページの上半分をノルに見せる。
1枚目。証書を、控えのページにそっと当てる。ビリビリに破いたギザギザの断面が、寸分の狂いなく、ぴったりと噛み合った。よし。控えと証書の両方に「済」と書き込み、革袋から銅貨を3枚数えて、机に積む。3,000ゼナ。
2枚目。ギザギザを合わせる。済。硬貨を積む。
3枚目。合わせる。済。積む。
ノルは身じろぎもせず、その俺の行動を見つめていた。断面が噛み合うたび、2つの紙切れが1枚のページに戻る。途中で10枚溜まった銅貨を銀貨1枚に交換した。
6枚目。合わせる。済。最後の硬貨を、積み終える。
テーブルの上には、銀貨1枚、銅貨8枚、鉄貨8枚。
「日給3,000が6日分、特別交通費が4日分。合わせて18,800ゼナ。相違ないですね」
「……ああ」
「それから、本日からは危険手当も含めて日給3,500ゼナ」
今日の分の銀貨と鉄貨をテーブルに追加する。
「未払い賃金と本日の給金、締めて22,300ゼナになります。お納めください」
じっとしているノルの右手をとって手のひらを開かせ、硬貨を全て乗せる。
ノルは、手のひらの硬貨と、俺の顔と、証書の束とを、順に見た。
唇を噛みしめ、それからゆっくりと硬貨を握りしめた。
「……確かに、受け取った」
その声は少し震えていた。
「明日からは、毎日、業務終了時に現金でお支払いします。本来あるべき形です。お待たせして、申し訳ありませんでした」
証書の紙とメモ帳と革袋を片付けてテーブルに戻ると、まだノルは拳を見ていた。
やがて、低い声が言った。
「主……あんたは、口だけじゃなかった」
「当然だよ。書面にした約束だからね」
俺はできるだけ軽く答えた。何でもないように答えるのに、少しだけ俺の声もふるえていた。
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ノルの買い戻しまで:29,977,700ゼナ
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