1-15 雨の日の攻防
朝、窓を叩く音で目が覚めた。
雨だった。それも、かなり本降りの。
「ねぇ、ノル。雨でも薬草採取なら──」
「危険だ。開けた草原は、雷が落ちれば終わりだ。雨の日に草原へ出る冒険者は、よほどの阿呆だけだ」
なるほど、ごもっとも。安全第一に異論はない。ないが……それはそれで問題が。
俺はベッドに座り直して、天井を仰いだ。そうか。週に2回の休日以外にも、天候で休みになる可能性を忘れていた。これからも、こういうことはあるだろう。だが、ノルの仕事が「俺の護衛」である以上、例え草原に行かなかったとしても通常通りに日給は払わなくてはいけない。
ノルの日給、宿代、食費、ざっと計算しても、11,000ゼナの赤字だ。しかも、魔法ランプを買うのは決定事項だ。それに、この部屋の快適さを知ってしまったからには、大部屋雑魚寝にも戻りたくない。もう少し、真剣に収入アップを考えよう。今日は、道具屋のついでにギルドや役所に行って、情報を集めることを決めた。
昼になると、雨は小降りになった。
「ノル、買い物に行こう!」
向かったのは、以前も世話になった道具屋だ。
火事の時の二方向避難なんて、絶対に考慮されていない雑然とした店内を進むと、奥の方の棚に目当ての品があった。小さめで手のひらサイズの魔道ランプだ。ガラスと真鍮のシンプルな灯り。火を使わず、魔力を込めておけば一晩中でも灯りが点くと魔道具辞典に載っていた。「見る」と、糸は3巻。初級の魔道具で値札は10,000ゼナ。永久ランプと思えば安いが、今の俺には安くはない。だが、迷いもない。俺がそれを手に取ると、後ろから太い腕が伸びてきて、ひょいと取り上げられた。
「これは、俺が買う」
「は?」
「……俺のせいで……買うものだから」
ノルが斜め下に目を逸らしたまま、ぼそぼそと言い訳する。俺は腰に手を当てて見上げた。
「金、持ってないだろ。ノルは」
「証書を交換してくれ」
おや。
おや、おや。
思わず顔がにやける。
ノルが、ちゃんと証書が自分の給金で、実在する金であることを認めたぞ。ほんの1週間ちょっと前に、「単なる紙だ」と無視しようとしていたくせに。
ノルの意識が変わり始めている。
とても感慨深い。感慨深いが、答えは決まっている。
「却下します。賃金からの天引きは、全額払いの原則に反します。大陸奴隷法にも労基法と同じ条文があります。たとえあなたの同意があったとしても、労使協定が締結されていない限り、業務の遂行に必要な道具は使用者の負担となります」
俺のどや顔に、ノルが顔をしかめる。
「また、意味がわからんことを……これは、主のための買い物ではない。俺のための買い物だ」
「いいえ、これは照明です。照明は住環境、住環境は衣食住、衣食住は使用者の義務。衣食住が満ち足りてこそ、業務の円滑な遂行が望めるのです。つまり、百パーセント、使用者である私の管轄です」
「屁理屈だ」
「法的根拠に基づく主張です」
6歳児と大男が、小さなランプを挟んで睨み合う。カウンターの向こうで、道具屋のオヤジが心底呆れた顔をしていた。
「……あのなあ、お前さんたち。どっちが払っても、うちは構わんのだがね。他の客の迷惑だから、早くしてくれ」
結局、俺が払った。当然だ。法は俺の味方である。ノルは最後まで何か言いたげだったが、6歳児スマイルで黙殺しておいた。
残金、34,500ゼナ。(ノルへの証書払い賃金、18,800ゼナを含む)
俺は、宿の部屋でメモ帳を広げて、残金と言う現実と向き合っていた。
この部屋のために魔道ランプを買ったけど、やはり大部屋の雑魚寝に戻るべきか──想像して、俺は首を振った。無理だ。一度ベッドを知った体は、もうあの床には戻れない。ノルに伸び伸びと寝てほしい。生活水準を上げるのは一瞬で、贅沢はすぐに慣れるが、不便さはいつまでもストレスを感じるのが人間の順応性なのだ。
ならば、答えは1つ。もう少しこの世界に慣れるまでなんて甘えてないで、明日から収入を上げるしかない。
「ノル。明日から、森に行きたい。森で採れる癒し草は、草原の薬草より高く売れる」
「いいだろう。森ならC級魔獣が狩れる。兎より金になる」
「やっぱり狩るつもりか。それなら、お話があります」
俺はメモ帳を構えた。ここからが本題、本日の第2回戦スタートだ。
「森はC級魔物が出ます。草原より明確に危険度が上がります。ついては、契約を戦闘奴隷に区分変更して、日給を5,000ゼナに引き上げます」
「不要だ」
即答だった。
「あのですね、これは労働条件の改善でモチベーションを──」
「主、戦闘奴隷というのは、朝から晩まで戦い続ける奴隷のことだ。狩り、戦争、闘技場、ダンジョンで最前線に立って戦う。だが、俺がやるのは違う。護衛のついでに狩るだけだ。朝から晩までじゃない。短時間だ。護衛奴隷のままでいい」
こいつ……普段は寡黙なくせに、奴隷契約のことになるとスラスラと話し出す。しかも今回も、悔しいことに解釈の筋が通っている。区分は業務実態で決まる。実態が護衛なら、護衛奴隷で問題ない。
だが、こっちにも総務の意地がある。
「……その『短時間』とは、具体的にどのくらいですか」
「…………30分」
「妙に具体的ですね。わかりました。では護衛奴隷のまま、狩りの30分に対して危険手当、日額300ゼナを追加します。これは区分変更ではなく手当なので、拒否権はありません」
「──」
ノルが口を開き、無言で閉じ、それから天井を仰いだ。ふふん。奴隷に関する契約解釈ではノルに分があるかもしれないが、諸手当の設計は総務の専権事項だ。十年選手を舐めてもらっては困る。まあ、総務の頑張りより、経営者交流会帰りの社長の一言で、手当てや福利厚生は決まりがちなのだが……。
「主は、本当に6歳なのか?」
ノルの悔し紛れな言葉に、内心、冷や汗をかきながら6歳児スマイルを返した。




