1-14 小さな灯り
ロウソクの灯りが揺れる。
ノルは目を固く閉じたまま、首輪に指を食い込ませていた。額から汗が流れ落ち、歯の間から、押し殺した唸り声が漏れている。首から下の体は、硬直したように固まっていた。
悪夢だろうか。
俺は、ノルを起こすべきか迷った。悪夢を見ている人を揺り起こすのは危険だと、前世の何かで読んだ気がする。だが、このまま放ってはおけない。俺は、そっとロウソクを枕元のテーブルに乗せ、ベッドの縁に膝を乗せる。できるだけ優しく、そっと大きな肩に手を置いた。
「ノル、大丈夫だ。ノル、大丈夫だよ」
何度か声をかける。
少し強めに肩を押した瞬間、ノルが跳ね起きた。
視界が回った。跳ね飛ばされた俺の体が、ベッドから転げ落ちる。背中から床に落ちて、天井が見えた。ノルへと伸ばしていた両手は、そのまま天井へと延びていた。
その俺の目の前に、ノルが立っている。枕元に置いていた剣を、引っ掴んで構え、見開かれた灰色の目は、俺を見ていなかった。俺の向こうの、ここではないどこかを、俺ではない誰かを探すように彷徨っていた。
俺は転がったまま、子供の体って頭が大きくてバランス悪いよなと、何故か考えていた。
ほんの数秒──だが長い、長い数秒。
ノルの目の焦点が、戻ってきた。見開かれた目が、いつもの切れ長の目に戻る。
構えた剣を見て、倒れている俺を見て、慌てて剣を床に置く。ノルの顔から、一気に血の気が引いた。
短いうめき声が漏れる。
ノルは崩れるように膝をついて俺を抱き起こした。壊れ物を扱うように、そっと。大きな手が俺の背中を、腕を、頭を確かめていく。怪我がないか、探している。その手が、ずっと震えている。
「大丈夫だよ。どこも打ってない。びっくりしただけ」
返事がない。
「ノル。俺をよく見て。ほら、大丈夫だって」
返事は、まだない。ただ、俺を抱えたままの腕に、ぎゅっと力がこもった。分厚い胸の奥で、心臓がすごい速さで打っているのが、頬に伝わってくる。
「…………ト」
掠れた声で何かを呼ぶ。
俺は身動きして手を伸ばし、ノルの大きな背中を撫でた。刺激しないように、落ち着くように。ゆっくり、ゆっくりと。
「大丈夫。ここは宿で、俺が一緒にいる。ノルグレン、君はもう大丈夫だよ」
同じ言葉を、何度も繰り返した。意味より、リズムだ。震えが少しずつ、間遠になっていく。
どれくらい経っただろうか。ノルの腕の力が、ふと緩んだ。震えも収まっている。
俺は床に降ろしてもらい、水差しからコップに水を注いで、差し出した。ノルは両手でそれを受け取った。だが、飲まずにコップを見つめている。
息を吸う。喉が、大きく上下する。口を開くが言葉が出てこない。
何度か繰り返してから、絞り出すように掠れた声を出した。
「……昔……目隠しされて……拷問……を……暗闇が……なった」
それきり、ノルはまた黙った。
拷問。
奴隷に落ちる前か、後のどこかで拷問を受けたのだろうか。暗闇がトラウマになるほどの過酷な拷問を。俺は、もう一度、ノルの背中を撫でた。
大部屋では、防犯のために、常夜灯のような小さな魔道ランプが点いていた。だが、この部屋にはロウソクしかなかったから、寝る前に消してしまった。俺が暗闇を作ってしまったのだ。
「ノル、ロウソクを点けたまま寝よう。お皿の上なら火事の心配は無いよね」
ノルが、のろのろと顔を上げた。俺は、荷物置場の大きな台の上に陶器のお皿を置いて、ロウソクの燭台を移動させた。厚手のガラスコップ2個にも、ロウソクを灯して追加した。部屋中に、柔らかい灯りが広がる。
「これでOK! 照明は住環境の一部。つまり俺に決定権がある。反論は受け付けないからね。──それから」
俺は自分の毛布を引きずって、ノルのベッドによじ登った。
「今夜はこっちで寝る。昨日まですぐ近くにいたのに、急に一人で寝るのは寂しかったんだよ」
「……」
「ほら、ノルも早く寝なよ」
ノルはしばらく固まっていたが、水を一口だけ飲んで、のそりと動いてコップをテーブルに置いた。それでも、視線をあちこちに彷徨わせて、なかなか寝ようとしない。俺がじっと見ていると、諦めたようにふうっと大きく息を吐いてから、床の剣を拾い上げて、無言で俺の隣に寝ころんだ。
ロウソクの小さな灯りの中、俺は大きな背中に、自分の背中をくっつけて目をつむった。
──あの目。
あの焦点が合わない虚ろな目を、俺は見たことがある。
薄暗い部屋。
少し焼けた畳の目。差し込む西日は、ロウソクと同じ温かいオレンジ色。小学校から聞こえてくる、夕焼け小焼けのメロディに、俺の荷物がドサリと落ちる音が混じる。
床に座り込んだままの母が、部屋に入った俺を見上げる。表情が抜け落ちた顔。俺を見ているようで見ていない、虹彩が消えた虚ろな目。
その向こう。鴨居に結ばれたロープ。そして、ロープの先で揺れる──
俺は慌てて目を開けた。
ロウソクの灯りが、壁でかすかに揺れている。背中には、大きなぬくもり。俺は少し動いて、その大きな背中に体重を預けた。
もう一度、目を閉じた。今度は、何も見えなかった。
明日、道具屋へ行こう。風が吹いても、水にぬれても消えない灯りを。消えることなく俺たちを照らしてくれる魔道ランプを買おう。それだけを決めて、俺は眠りに落ちた。




