1-13 2階の角部屋
大部屋の雑魚寝は、安い。安いが、ノルはあの狭い毛布1枚のスペースに、190センチの体を折り畳んで、俺を抱きかかえて寝ている。寝言や歯ぎしりはうるさいし、何より臭い。朝起きても、ピチピチのはずの俺の身体でも、首回りが痛かったりするのだ。
今の宿は、女将さんは気持ちいい人だし、飯もうまい。個室は二人なら6,000ゼナ。4,000ゼナのアップになるが、今の売上なら、十分に払える。固定費を上げるのは財務的にリスクだが、ノルの睡眠環境と安全配慮義務の維持はそれ以上の優先事項だ。
背に腹は代えられない俺はノルと一緒に、宿のカウンターに向かった。
だが、部屋の変更は、そうすんなりとはいかなかった。
「今日から、一番狭い二人部屋にしてください」
そう言った途端、カウンターで受付をしている若い女性が、俺とノルを見比べて、怪訝そうな顔をした。視線がノルの首元──首輪で止まる。
「えっと、坊や、そっちは奴隷よね? 奴隷だったら、裏に専用の部屋があるのよ」
「奴隷専用の部屋というのは?」
「納屋よ。うちは、ちゃんと藁を敷いてるわ。食事だって、奴隷は納屋で残り物を食べさせるものなのよ」
納屋? 藁? 残り物? 俺の相棒を、牛や馬と一緒にする気かよ。
そういえば、初日にノルを大部屋に入れるのに、受付のおじさんが不満げな顔をしていたことを思い出す。この世界では、奴隷はそこまで差別されるのが当たり前なのだろうか。せっかく軽口を言うようになったノルが、いつもより少し硬い無表情に戻っているのが、悔しかった。
俺は懐から、読み込んで少しふやけ始めた小冊子を取り出した。『大陸奴隷法(要約版)』だ。該当ページを開き、カウンターにバンッと置いて、ビシッと指さす。
「ここ! 第12条。使用者は隷属者に対し、衣食住を保証する義務を負う。衣服は寒さをしのぎ、食事は1日2回以上、住環境は快適であること──ほら、ちゃんと見てください、ここに書かれています。納屋は、『快適』には該当しません。よって、私と同じ部屋に泊めます。これは法定義務ですから違反するわけにはいきません」
「はぁ?」
「同じ部屋に、同じ食事。以上です。お部屋の鍵をください」
カウンターの女性は、助けを求めるように周囲を見た。ロビーにいた他の客たちが、何だ何だと遠巻きに見て、呆れ顔で肩をすくめる。「世間知らずの坊やだな」「奴隷と同室たぁ、物好きすぎんだろ」ひそひそと馬鹿にしたように話す声が聞こえる。
だが法は俺の味方だ。誰も守っていないとしても、間違っているのは俺じゃない。スキルで目立つわけにはいかないが、労務管理なら目立ってもいいだろう。
騒ぎが広がると、食堂の調理場から、女将さんがやってきた。さっき、一角草兎の肉を受け取って、ノルの定食におまけしてくれた人だ。
女将は俺を上から下まで眺め、小冊子を眺め、それから、豪快に笑った。
「あっはっは! さっきの兎肉といい、奴隷法といい、あんた、ちっこいのにしっかりしてるねえ! 気に入ったよ。──ほら、2階の角部屋にお通ししておくれ。窓が大きくて、いい部屋なんだよ」
「女将さん、でも奴隷を2階以上の客室に入れるのは──」
「あたしの宿だ。あたしが良いと言ったら良いんだよ」
俺は、詰めていた息をほっと吐いた。この世界にも、話のわかる管理職はいるらしい。いや、経営者か。
俺は女将さんに笑顔でお礼を言ってから、深々と頭を下げた。
2階の角部屋は、狭いけれど本当にいい部屋だった。ベッドが2つ。大きな窓からは星空。ノルは入り口で立ち尽くし、部屋とベッドと俺を何度も見比べた。
「……俺は、床でいい」
「ベッドがあるのに床で寝せたら、俺が虐待したと見做されるよ? 法的に処罰されちゃうから、ベッドでちゃんと寝てよ」
渋々、という擬音が背後に見えそうな動きで、ノルはベッドの端に腰を下ろした。ぎしりと軋む音がするが、ノルのような大男が乗っても、問題が無い良いベッドだった。
今日は、ベッドを汚さないように、初めて魔道シャワーを利用することにした。
一人500ゼナの別料金だ。ちなみに湯舟がある風呂は、高級レベルの宿にしかないらしい。俺は前世でもシャワー派だったので、全く問題はない。
宿のカウンターで二人分1,000ゼナを払い四角いカード2枚と薄い布を受け取る。全身を洗う石鹸もどき50ゼナも2個買って、1階奥のシャワー室へと向かった。
カウンターにいる女性は、まだぎこちない表情をしていたが、もう、俺とノルを止めることはなかった。
シャワー室は、薄い布で一人分ずつ仕切っただけの、モワッジメッとした薄暗い空間だった。服を脱いで籠に入れ、薄い布を腰に巻く。お金が入った革袋は、シャワーのところまで持っていくようにとノルに注意される。ノルは剣を持ち込んでいる。
シャワーは、天井の固定式だ。壁にある魔道具に、カウンターで受け取ったカードを入れ、丸く黒い魔石に触れて魔力を流す。初めての魔道具体験だったが、うまくできた。というか、触れただけで、勝手に魔力を吸い取られた感じだ。
「あ゛あ゛あ゛、気持ち゛いぃー」
お湯を浴びながら、しばし放心する。
「主、頼む」
ノルは魔力が無いから、俺が隣から手を伸ばして黒い石に触れる。深く息を吐く気配が、仕切りの向こうから伝わってくる。ノルにとっては数年ぶりのシャワーなのかもしれない。
ゆっくり味わいたいが、3分しかお湯が出ないため時間との戦いだ。頭からつま先まで、泡立たない石鹸を塗り付け、薄い布で擦っていく。
暑い季節じゃなかったし、大部屋の匂いがひどかったから気にならなかったけど、こうしてシャワーを浴びると、体から薄皮が何枚も剥がれたようにスッキリする。毎日は無理だけど、週1くらいは使えるようにしたい。健康のためにも清潔な環境と習慣は大切だ。
俺たちは、3分間、シャワーを心から堪能して、部屋へと戻った。
部屋でメモ帳を開きながら、俺はふと、気になっていたことを聞いてみた。
「ノル。奴隷って、その……普通は客室に泊まれないものなの?」
ノルは窓の外を見たまま、少し黙った。それから、抑揚のない声でぽつりぽつりと、独り言のように呟いた。
「この宿の対応は普通」
「奴隷が入れない場所は多いし、納屋でも横になって寝られるだけまし」
「家畜の方が待遇がいい時もある」
「簡単に売って、簡単に次を買う──ただそれだけの話だ」
短い言葉だったが、十分だった。
「俺は、絶対に大陸奴隷法を守るから。いつもノルと一緒だからな」
気づいたら、拳を握って、そう宣言していた。
ノルは窓から俺へ視線を移し、不思議そうに俺を見た。
「そんな主人は、聞いたことない。……主は、変だな」
「それは、褒め言葉として受け取っておくね」
その夜は、久しぶりの柔らかい寝床で、すぐに眠りに落ちた。
──だから、気づくのが遅れた。
低い、唸り声。
目が覚めた時、部屋は真っ暗だった。隣のベッドから、獣が唸るような、苦しげな声がする。俺は慌てて、手探りでテーブルのロウソクに火を点けた。
隣のベッドへ近づくと、揺れる灯りの中にノルが浮かび上がる。
目を固く閉じたまま、自分の喉元を──首輪を、搔きむしるノルが。




