姫君◇十一 はろゐん
―― ピロリン ――
―― ピロリン ――
にわかに、鈴のような涼しき音がします。この音は何じゃ。いずこより聞こえてまいるのですか?
わらわは辺りを見ましたが、鈴などいずこにもありませぬ。
「わあっ、RINEがめっちゃ来た。スマホが鳴り止まないよ」
ちひろが懐へ手を差し入れました。
懐より取り出したるは、漆塗りの黒き板です。そこより、鈴のような音がしております。
おお、わらわは先刻にあの板を見ましたよ。あれには珍しき細工がされておりましてな。つややかなる漆塗りの板に文字のようなものが連なり、次々と浮かんでは消えるのです。蒔絵のごとく黄金がきらきらと美しい飾りではないのですが、あの板の細工もまた趣がありよいものでした。
文字のようなものは一所には止まらず、川に浮かぶ紅葉のように定めなく流れてゆきます。文字に見ゆるもの一つ一つの形はさして美しくもありませぬが、わずか一時に集うては散り、また集い、定めなく動いてゆく様が美しいのです。
あの美しき細工を、わらわは再び見とうございます。
されど……ちひろは年が十ほどの女の童だといふのに、指にて術を使ふのです。陰陽師も鼻白むほどの恐ろしき術を。
あの細工も、ちひろの術であるのかもしれませぬ。わらわまで術をかけられぬように気を張らねば!
「RINE? 誰からなの」
ママと呼ばるる女人が、ちひろと話しております。
2人が何を話しておるかわかりませぬが、悪しきこと企てておるのかもしれませぬぞ。
「私のササヤイッターをフォローしてくれてる人だよ。どうしてこんなにいっぱい送って来たのかな?」
ちひろが漆の板に指を触れました。
おおお! 術をかけておるぞ。
「えっ! ママ、この動画を見てよ。すごいことになってる」
ちひろは驚いておるようにございます。
いかほどの美しき細工が見えるのであろうか。ぐぬぬ……。見とうございます。
否、いけませぬ。これは罠じゃ。美しき細工にて、わらわを誘おうと企てておるのであろうな。
そのような謀り事にわらわがはまると思ふのか?
わらわは誘拐されて、神の社におります。ここより逃れねばならぬのじゃ。
「コンビニの前に、コスプレの人がいっぱい集まってるんだって」
ちひろは、漆塗りの板をママの顔の前へと差し出します。
「この動画、人が多すぎて景色が見えないわ。すごい人混み。ここがコンビニ?」
ママは漆塗りの板を覗きました。
わらわが先刻に脱ぎました衣を、手にしたままでございます。
「ほら、この店員のお兄さんが、コンビニの前で気を失ってたでしょ。あそこのコンビニ」
ちひろは鬼を指にて差します。
鬼にも術をかけたのか? 非道な! 鬼は陰陽師の術により、床に転びて屍のごとく動けぬのじゃぞ。ちひろめ。鬼をいかにするつもりじゃ。
ちひろもママも、“こんびに”といふ言の葉をしきりに繰り返しております。あれは、悪しき呪いでございましょう。
「あのコンビニの前で、今ね、渋谷みたいにいっぱいコスプレの人が集まってるの。すごいよ!」
「渋谷? ……東京の、すごく大きな交差点のあるところよね」
「ママ、ゆうべテレビで見たでしょ。ハロウィンの週末だから、渋谷にゾンビやアニメキャラのコスプレした人達がいっぱい集まって大変なことになってるって」
ちひろの言うておるはろゐんとは、今日のことにございますね。わらわは人より聞きまして心得ておりますぞ。
「あんな風にいっぱいの人が、今、コンビニの前へ集まってる」
「どうしてあのコンビニの前に人が集まるの? ママにはわからないわ。教えて」
「ママはパパと一緒に、家のパソコンで動画の中継を見てくれたでしょ。私がさっきコンビニの前で、スマホで撮って中継した動画のことだよ」
ちひろとママはずいぶんと長く話しておるな。長き呪いの言の葉じゃ。
「あの動画がネットであっという間に拡散されてすごくいっぱいの人が見てくれて、見た人達がコンビニの前に集まったみたいなの」
ちひろは誇らかなる顔をしております。
呪いを唱え終わったのであろうか。
「ちひろがアップした動画を見て? まさか、こんなにたくさんの人が……」
「嘘だと思うでしょ? でも本当なんだよ。私のササヤイッターをフォローしてくれてる人が京都の大学に通ってて、私のイケイケ動画を見てくれたの。それで、あそこのコンビニに行ったんだって。中継は終わってて私はいなくなってたけど、その代わりにコスプレの人がいっぱい集まってたんでびっくりして、スマホで動画に撮って送ってくれたの」
ちひろが、こちらを見ました。
「ねえ、お姉さんも動画を一緒に見ようよ」
袖を振ってわらわを招いております。
わらわを近くへ誘い、捕らえるのじゃな。そうはさせぬぞ。
わらわは退いて逃れようといたしました。その折に、男の声が聞こえたのです。
―― お前ら さっきから『貞子、貞子』って何のことやねん ――
―― 買い物せえへんヤツは、営業妨害じゃ! 俺の店の前から出て行け ――
むむっ、この声は何じゃ? 小さき声ですが、わらわは聞きましたぞ。
されど、男はいずこにおるのじゃ? ここにおりますのは、わらわ、ちひろ、ママ。女人ばかりでございますよ。
陰陽師は男でありまするが、先刻に去ったゆえ今はおりませぬ。鬼も男でありました。されど今の声は、鬼の声でもありませぬぞ。
―― 触んな! この腐れゾンビが ――
―― フジワラ! バイトのフジワラはどこへ行ったんや 早うこいつら追っ払え ――
―― くそっ 人が多すぎて フジワラがどこにおるか見えんのや 返事しろ ――
―― フジワラ! どこじゃ? 無視すんなや 店長の命令やぞ ――
―― 俺がパチンコから戻るまで店番してろ言うたやろが どこにおるねん? ――
わらわの知らぬ言の葉で、男が叫んでおります。“ふじわら”といふのは人の名かもしれませぬが、あとはわかりませぬ。
されど、男の姿は見えませぬ。いずこにおるのじゃ?
声は、ちひろの手の辺りより聞こえますが……。よもや、漆塗りの板より声がしておるのか?
「まあ、店員さん1人をみんなで取り囲んでかわいそう。ゾンビメイクをした怖い人ばっかり。それにしても特殊メイクってすごいのね。本当に、口が耳まで裂けているみたいに見えるわ。いやだわ、こっちのゾンビは目の玉がすっぽり抜け落ちてる。頬に穴が空いて血だらけのゾンビも。本物みたい!」
ママが漆塗りの板を眺めて、驚いております。
「動画で叫んでいる男の人は、コンビニの店長さんでしょうね。お兄さんと同じ制服を着ているもの」
ママは、ちひろの術が見事なゆえに驚いておるのであろうな。
「でも、こんなにたくさん人がいるのに、みんなどうして店長さんだけを囲んで脅かすんでしょうね」
「たぶん脅かすつもりじゃなくて、みんなお姉さんを捜してて、お姉さんがどこにいるのか店長さんに訊こうとしてるんじゃないかな」
「コスプレの人達がお姉さんを捜してるの? どうして」
ママは、わらわの方をちらりほらりと見ております。
「お姉さんが貞子のモノマネをしたよね? 地面を這ったり、長い髪を顔の前にバサバサ垂らして、コンビニ店員のお兄さんを脅かしたやつ。あの貞子の動きが本物以上のクオリティでやばいって話題になって、動画を見た人があそこのコンビニへ見物に行ってるらしいの」
ちひろも、わらわの顔を見ております。
「あのときのお姉さん、ガチで貞子が乗り移ったみたいで怖かったもん。私、呪い殺されるかと思った」
ちひろがこちらへ歩んでまいりました。わらわの身が危のうございます!
「お姉さん、本当にすごいよ。尊敬しちゃう。これだけの人が、お姉さんの貞子パフォーマンスを見たくて集まってるんだもん」
ちひろは、漆塗りの板をくるくると裏へ返しまして、わらわの方へ向けました。
「何と!」
わらわは、驚きました。
……恐ろしき術じゃ。
漆塗りの板の中に、もののけがおるのです。もののけと言いましても豆の粒のように小さいのですが、あまた蠢いておりまして、数知れず。
顔を血で汚した鬼ども、黒き衣をまとい烏帽子をかぶった者、わらわのように顔を白う塗っておりまして目の辺りに黒き穴の開いている者もおりまする。
絵巻のようにも見えますが、絵ではないのです。漆の板の上にて、もののけはたしかに動いておりますゆえ。
わらわが見ておるのは幻か? よもや、漆の板に結界が張られて、もののけが中に閉じられておるといふのか?
わらわは身の毛がよだちました。
あの漆塗りの板へ閉じられてしまえば、わらわも鬼も、いのち尽きるまで逃れられぬのであろう。
いかにしても、鬼と共に逃れねば!
されど、ちひろのような術を使えぬわらわは、いかにして闘えばよい? ここは神の社……。そうじゃ! わらわは、あの方々を頼みとすればよいのでは? 頼みとする人はおりませぬが、神仏に祈ることはできますぞ。
御仏と狛犬よ、わらわを再び導いてくだされ!
いかにすれば、わらわの元へ現れてくださるのですか?
わらわが地へ伏して、髪を乱して願へば、お導きくださるのでしょうか。
ハロウィン当日ギリギリの更新になってしまいました。お待たせしてすみません!
先日に新規ブックマークをくださった方、アクセスしてくださった皆さまにも執筆のエネルギーをいただけました。どうもありがとうございました。
少しでも楽しんでいただければよいのですが……。
なかなか場面が変わらなくて申し訳ないです。次話では、なんとか場面転換しようと思っています。




