第38話 要件
稼働中の王領施設を調べると、同じ管理人でも求められる仕事はかなり違っており、倉庫なら在庫と鍵を預かり、宿駅なら馬と人を見て、採石場なら産出量と事故を記録する。
仕事の中身は違っても、王領のものを預かり、起きたことを数字へ残し、事故や不足があれば原因と対処まで報告するところだけは、どの施設にも共通していた。
「資格は?」
オットーが規則集を開いたまま、共通項目だけを指で追った。
「読み書きと計算、帳面の作成、それから定期報告です」
「それ以外は?」
「施設ごとに違います」
宿駅では馬を扱った経験が要る。
採石場では、現場を監督した期間まで条件に入っていた。
「ここで働いた一年は、管理経験になりますか」
「書くことはできます」
「認めるのは?」
「本局です」
処分として管理していた期間を正式な経験へ数える規則は見つからないが、反対に、処分だから経験として扱ってはならないと決めた規則も見つからなかった。
同じ棚にあった教会職の任用規則には、地方神官の妻帯を禁じる条文はなく、妻帯したまま村や地方教会へ勤めることもできる一方、本院の正式職へ進む者は任用時に独身であること、と別の条件が付いていた。
添付された異動候補の照会先にはヨナス様の名もあり、地方で封印管理を続けた年数と本院への報告歴から、次に本院へ戻す候補として扱われているらしい。
候補に名前があるだけで異動が決まったわけではなく、本院へ進まなければ地方神官としての務めも妻帯も両立できるので、わたしの管理人要件とは別の制度だった。
その頁は元へ戻し、ヨナス様の名前も候補欄の一つとして覚えただけで、自分の規則集へ視線を戻した。
「湯治場の前例は?」
「ありません」
昔のヴェルテは、いま使われている規則より古い。
廃止施設を正式な王領施設へ戻した前例も、この地方には残っておらず、グレタが積み上がった規則集を見て、これだけ紙があるのに答えはないのですか、と聞いた。
「答えがないというより、まだ作られていないのでしょう」
オットーが一冊を閉じたところで、秋にザント担当官から届いた照会が二通あったことを思い出し、湯あたりの記録の写しを送った一通で終わりだと思っていたが、もう一通が別の束に残っている。
「何と書いてありますか」
封を開いたままの照会をオットーへ渡した。
「管理人要件を定めるため、現地で実際に行っている業務を整理して提出せよ、とあります」
「では、先に資格を探す必要はありませんね」
「仕事のほうを出す?」
「そのようです」
机には受付、湯温、取水、宿、乳、共同費、予約などの帳面が並んでいる。
全部の帳面を一冊へまとめればかえって読みにくくなるので、各帳面は今のまま残し、管理人が毎日、十日ごと、月ごと、季節ごとに何を見ているかだけを別の一枚へ移すことにした。
「毎日は?」
「受付、湯温、設備、取水です」
「十日ごとなら?」
「予約と宿の空きですね」
「月ごとは?」
「収支と共同費です」
季節ごとには湧出量、薪、凍結、修繕があり、最後に事故が起きた場合の確認を加えた。
原因を見ること、直したあとに同じところを測ることまで書けば、これまでやってきた形は残る。
「このくらいで十分でしょう」
「もっと書けますが」
「書けますね」
顔を見合わせてから、二人とも同時に紙へ視線を戻した。
「増やさないでおきましょう」
「賛成です」
横から覗いていたピナが、自分の仕事のないことに気づいた。
すぐに少し不満そうな顔になる。
「わたしは?」
「数えることです」
「一行だけ?」
「大事な一行です」
「鐘も鳴らします」
「では二行です」
ようやく納得したらしく、ピナは自分の札を抱えて入口へ戻っていった。
紙にすると、湯温を見ることも予約を返すことも「管理業務」という別の名前へ変わるが、資格らしい言葉へ置き換えたところで、明日の朝にやることまで変わるわけではない。
提出する紙を作った翌朝、その内容を最初から見直した。
書いた仕事が、本当に一日の中へ収まっているか確かめるためで、入口を開ける前に、わたしは最初の湯温を測る。
ボリスが凍結を確かめる横では、ピナが前日の札を元の箱へ戻していた。
「これも管理人の仕事ですか」
「凍っていたら、直す人へ頼むところまでです」
「直すのはボリスさん?」
「そこはボリスです」
呼ばれた本人は樋から顔も上げず、凍ってなければ俺の仕事は減る、とだけ返した。
少しあとにはクレメンスが来て、前日に長く湯へ入った人がいなかったかを帳面で確かめる。
管理人が全部を自分でやるわけではなく、誰が何を見ているかを知らなければ、最後の報告だけは作れなかった。
その一行を業務一覧へ足すと、オットーが今度こそ増やしませんと言って紙を裏返した。
「まだ書けますよ」
「書けますから止めます」
そこは昨日と同じ結論になり、数日後、朝から細かな雪が降り、ヨナス様が本院からの控えを持って上がってきて、足湯で話すには寒すぎたので、窓を閉めた休憩室へ入り、板の間の端へ座ってもらう。
オットーは管理棟との間を何度も往復しており、グレタも土間で乳を温めているため、部屋に二人きりという形にはならない。
「申請は受理されました」
ヨナス様が、疫病の年の束を取り寄せる申請の控えを机へ置いた。
「束そのものは?」
「まだです」
大書庫では、まず閲覧できるかどうかを確かめるらしい。
そのあとで写しを作るため、送られる時期もまだ決まっていない。
「冬を越すかもしれないところは変わらないのですね」
「はい」
案件番号と申請日以外に、新しく分かったことはなかった。
「温かい乳、飲まれますか」
「お願いします」
椀を渡すと、ヨナス様は両手で包んでから少し不思議そうに見た。
「温かいのですね」
「冬は温かいほうがいいです」
「では、冷たいものは?」
「春です」
「樋が通ってから?」
「はい」
二口ほど飲んだあと、ヨナス様は少し考えてから、これは湯ではありませんね、と言い、思っていたとおりだったので、そのまま頷く。
「でも、いいと思います」
「ありがとうございます」
そこで会話が途切れ、ヨナス様の視線が机の端にある本局の判断通知へ移った。
「読まれますか」
「よろしいのですか」
「公文書ですから」
紙を渡すと、一つ目の施設区分変更では止まらなかった。
二つ目の管理人任命も、そのまま読み進める。
三つ目へ来たところで、紙を押さえていた指だけが止まり、封印の照会が終結するまで、区分変更と管理人任命の執行を保留する。
ヨナス様は同じ一行をもう一度読み、次へ進まないまましばらく紙を見ていた。
案件番号の食い違いを見つけ、疫病の年の束を取り寄せる申請を出したのもこの人で、その仕事が進めば進むほど照会は終わりへ近づき、同時に管理人任命の保留も終わりへ近づく。
外では雪が屋根を打つ音だけが続いていて、机に置かれた椀はもう湯気を上げていなかった。
「テア」
「はい」
顔を上げたが、そのあとに言葉は続かなかった。
いつもなら、期限か運用を確かめる質問が一つは来る。
今日は通知を返すまで、何も聞かれなかった。
調査をやめてほしいとは思わないし、それを口にすれば、この人が一年近く続けてきた仕事をこちらの都合で軽く扱うことになるので、そこだけは違う。
「昨日から、熱い水槽の流量を少し上げました」
代わりにそう言うと、ヨナス様は通知から顔を上げた。
「雪のせいですか」
「朝だけ冷えます」
「昼は?」
「戻しています」
「記録は?」
「半刻ごとに三度です」
そこからは湯温と時刻の話へ戻り、いつものヨナス様と話している感じが少しだけ戻り、ただ、束が届いたあとのことだけは、帰るまでどちらも口にしなかった。
その日の午後、ヨナス様が管理人要件の紙を見に来て、机へ並べた業務一覧を上から読んでいき、受付、湯温、設備、取水、事故記録のところで何度か頷く。
「これを全部、テアが?」
「全部一人ではありません」
「そういう意味ではなく」
ヨナス様は紙からこちらへ視線を移した。
「この仕組みを作ったのが、です」
「必要になったので増えました」
「必要になれば、増やす」
「はい」
「それを一年続けたことは、経験にならないのでしょうか」
「決めるのは本局です」
「では、本局へ分かるように書くべきです」
珍しく強い言い方だった。
「ヨナス様が決めることではありませんよ」
「分かっています」
「なら」
「分かっていますが」
そこで声が止まり、ヨナス様は紙の端を押さえていた指を離した。
「あなた以外の人がここへ来て、同じように管理するところを、うまく想像できません」
それはピナにも似たことを言われた。
「仕事は紙に残しています」
「それも知っています」
「なら大丈夫です」
「テア」
名前を呼ばれたので顔を上げる。
「大丈夫かどうかを、紙の話だけで決めているのは、たぶんあなただけです」
何を基準にすればいいのか分からず、しばらく見返した。
ヨナス様のほうが先に視線を外し、足湯の方角へ向ける。
「少し入ってから帰ります」
「今日は巡回では?」
「ありません」
「では理由なし?」
「……それで構いません」
最近は、こちらが確認する前に本人から言うようになり、足湯へ移ったヨナス様は、雪で冷えた靴を脱ぐといつもの深い側へ腰を下ろし、両足を湯へ入れた瞬間だけ肩を小さく揺らした。
「冷えていました?」
「道が少し凍っていました」
法衣の裾を膝の上へまとめ、濡れないよう片手で押さえたまま、もう片方の手は石の縁へ置いており、湯へ入ってしばらくすると指先の力が抜け、膝を曲げたときの動きもさっき坂を上がってきたときより滑らかになった。
「管理人が変わっても、足湯は残ります」
「はい」
「水風呂も」
「はい」
「乳も、たぶん」
「それも分かっています」
「では、何が気になるんですか」
聞くと、ヨナス様は湯の中で足を一度止めた。
「テアがいなくなることです」
今度は言い直さなかった。
湯気が間を通り、向こうの顔が一瞬だけ白く隠れる。
「まだ決まっていません」
「はい」
「要件を出して、それからです」
「それも分かっています」と同じ返事が続くのに、声だけが少しずつ硬くなる。
「だから、要件はきちんと出してください」
「出します」
「あなたがここでしてきたことが、処分だったという一言で消えないように」
ヨナス様はそこまで言ってから、ようやく視線を足元へ戻した。
これは膝や封印の話ではないらしい。
その夜から雪が強くなり、翌朝には坂も屋根も白く覆われており、二度目の冬が始まり、閉め時間のあとに露天へ入ると、雪は湯面へ落ちるたび一瞬だけ白く残り、すぐに形を失っていった。
背後の通路から、閉め作業をしていたグレタの声が飛んできた。
「お嬢様、明日の朝は凍ります。今日は長湯なさらないでください」
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