第27話 日の長い季節
日が長くなって十日ほどで、朝の利用人数には季節の変化がはっきり出始めた。
外来客は毎日三人まで埋まらなくなり、三人の日もあれば一人だけの日もあって、村の利用者まで同じように減り始めたため、オットーは日付を揃えた紙を机へ置いた。
「宿泊も減っています」
「先週は六泊、今週は三泊です」
街道の宿屋の主人が言ったとおり、暑くなれば温まりたい人は減るらしい。
「朝は残っていますね」
「はい」
来る人は早い時刻へ寄り、昼の坂を歩くだけで汗をかく時間には露天も空くようになり、熱い水槽と打たせ湯は目に見えて利用が落ちたが、蒸す小屋はそれほど変わらず、汗をかいてから水を浴びる使い方はこの土地にも前からあるので、全部の設備が同じ割合で減るわけでもない。
数字が減ったなら減ったまま見ればよく、季節そのものを変えることはできない。
ちょうど増築棟の仕上げも終わり、二つの脱衣室と一階の休憩室が使えるようになった。
高い位置にある二つの窓を開けると部屋の中を風がまっすぐ抜けるので、試しにぬるい水槽へ入ってから板の間へ座ってみると、日の当たらない床の冷たさがまだ熱の残る足裏へ触れ、濡れた髪のあいだから入る風まで気持ちよかった。
「ここは涼しいですね」
湯へ入らなくても涼しい部屋だが、温まったあとなら違いがもっとよく分かる。
ボリスは窓枠を確かめて戸の歪みを削り、道具をまとめた。
「終わりですか」
「ここはな」
答えたあとは、もう足湯の排水を見ており、休憩室ができると足湯へ座り続ける人も減り、足を温めてから窓の風へ当たり、少し冷えたらまた戻る人が出てきたので、時間を細かく決めなくても次に座る場所があれば、人は自分でちょうどいいところへ動くらしい。
ピナは床へ両手をつき、頬まで板へ近づけたところでグレタに止められた。
「ピナ」
「寝ません」
「まだ何も言っておりません」
「冷たさを確かめています」
「同じ姿勢です」
横を通った村人が笑い、さらに暑い日の昼には畑帰りの三人が上がってきたが、誰も着替えを持っていなかった。
「湯は使わないのですか」
「今日は暑すぎるよ」
年嵩の女が笑った。
「冷たい水だけ一杯もらえるかい」
「どうぞ」
三人とも水を飲み、そのあとせっかく上がってきたからと足湯へ並んだ。
全身浴を使わなくても湯治場へ来てしばらく話し、風へ当たってから帰る。
翌日には水だけ飲んで帰る人まで現れ、坂を上がる人数は少し戻り、湯へ入らない人が来ても、困る理由はない。
休憩室の使い方も日ごとに変わり、いまでは足湯だけの人も水だけの人も板の間へ座る。
グレタは濡れた足で上がらないよう入口へ布を二枚置いた。
「一枚では足りませんか」
「足りません」
昼にはもう一枚まで濡れ、ピナが取り替えながら部屋を見回した。
「ここ、人気です」
「湯に入らない人にも?」
「はい」
窓際には畑帰りの男が一人、冷たい水の椀を持ったまま壁へ背を預けている。
「今日は足湯だけですか」
「それも入ってない」
「水だけ?」
「ああ」
男は窓から入る風へ顔を向けた。
「ここまで上がると風が違うんだよ」
それは設備として作ったものではないが、人が使う理由まで作った側の予定どおりである必要はない。
午後には、銀貨を払って湯へ入った外来客と、水だけ飲みに来た村人が同じ板の間へ座り、片方は旅の話をし、片方は畑の話をしながら、料金とは関係なく同じ窓から入る風へ当たっており、昼過ぎ、いちばん暑い時間にもう一度ぬるい水槽へ入ってみた。
冬なら肩まで沈んでいた温度でも、日差しの残る午後には腰まで入っただけで十分に温かく、首まで浸かろうとは思わない。
そこで無理に冬と同じ入り方を残すより、浅く入って早めに上がり、冷たい水を飲んで休憩室へ移るほうが、この季節には合っており、水槽から上がって濡れた足で板の間へ入ると、高い窓を抜けた風が腕と首筋へ触れ、湯の熱を一気に奪うのではなく、少しずつ外へ逃がしてくれる。
冬には「温める」だけだった湯治場が、暑くなると温めたあとどう冷ますかまで含めて一つになる。
同じ設備でも季節が変われば使う順番が変わるなら、夏用の決まりを冬の数字から作る必要はなかった。
問題は冷たい水の量で、翌朝、ボリスとピナを連れて上流へ向かい、岩の下から出る水をもう一度測る。
木椀を持つ指が痛くなるほど冷たさは変わらない。
同じ桶を湧き口へ置いた。
「空からいっぱいまで数えてください」
「はい!」
ピナが構えた。
「いーち、にーい、さーん、しーい……」
「少し遅くないですか」
「前に速いって言われたので!」
「普通でお願いします」
「普通が難しいです!」
ボリスが横で笑い、一度目が終わると桶を空にして二度目を測る。
満ちるまでの数は少し違った。
「雨でも変わる」
ボリスが濡れた岩を見た。
「晴れが続いた日も見る」
「三度測りましょう」
朝だけの一度で決めず、時刻も日も変えて三度ずつ測り、雨のあとと晴れが続いたあとまで並べてから、常設の樋へ回せる量があるかを決めることにした。
測定を終えて坂を下りる途中、ピナが何度も後ろを振り返った。
「何かありますか」
「水です」
「水?」
「ずっと出てるなって」
岩の隙間から細い流れは変わらず出ている。
「そうですね」
「誰も入れてないのに」
「入れていません」
「誰も止めてないのに」
「止めてもいません」
ピナは少し考えた。
「湯も同じですね」
そこで足を止めると、封じられていたあいだも泉そのものはずっと湧き続け、誰かが使わないと決めても湯が止まったわけではなかったことを思い出した。
「ピナ」
「はい」
「帰ったら、昨日の水の量も並べてください」
「分かりました」
それ以上は言わず、また坂を下りた。
湯治場へ戻ると、管理棟の土間に見慣れない木箱が二つ置かれており、ヨナス様がその横で古い紙を一枚ずつ広げている。
「巡回ですか」
「今日は違います」
紙の端へ重しを置いた。
「照会のために来ました」
本院から返事が来て、いまの封印の状態だけでなく、封じ始めた時期と、そのころ教会側に残された記録まで確認するよう言われたらしい。
「始まった時期を?」
「はい」
木箱には巡回の日付や支柱の交換記録が混じり、どこか一枚を開けば答えが出るようなものではない。
「誰が、何のために封じたのかも?」
「そこまでは、私も教わっていません」
それなら、と口を開いた。
「ヨナス様」
「はい」
「春の視察で、祭祀局のヘニング様が柵の文字を写していきました」
ヨナス様の手が止まった。
「文字?」
「建て替えていない古い支柱の根元です」
さらに、王宮で割れた水盤の底にも同じような文字のある板があったことを伝える。
ヨナス様がこちらを見て、そのときはそこまで自分から話していなかったが、この人が封印の始まりを探すなら関係があるかもしれない。
「ヘニング様は、炭で写して持ち帰っています」
「祭祀局へ?」
「はい」
古い紙は乾いて波打っているものが多く、ヨナス様は一枚めくるたびに端を指先で押さえ、読めない箇所へ細い紙片を挟んでいた。
巡回記録なら日付と支柱の本数だけで済むものが多いのに、封印を始めた時期を探すとなると、何十年も同じように繰り返された記録の前まで戻らなければならない。
「最初から、永久の封印だと教わっていたのですか」
聞くと、ヨナス様の手が少し止まった。
「そうですね。少なくとも、私が教えられたのは『解いてはならない泉』ということでした」
「いつまで、とは?」
「聞いたことがありません」
期限のない決まりは、それだけでずっと続くものに見える。
「始めた時期が分かれば、その前の記録も探せますね」
「はい。封じる前に何と呼ばれていたかも」
ヨナス様は木箱の底へ残った紙を見てから、こちらへ視線を戻した。
「テアは、知りたいですか」
「知りたいです。湯なので」
答えると、ほんの少しだけ口元が緩んだ。
「そうお答えになると思いました」
ヨナス様はしばらく古い紙を見てから、一枚を別へ置いた。
「本院への返事に加えます」
「お願いします」
聞かれる前に話したのは、それで終わりだった。
「こちらは?」
「冷たい水の量を測っています」
「また帳面が増えたのですか」
「今回は欄だけです」
「それなら少し安心しました」
木箱の中身を広げ終えたあと、ヨナス様は紙ではなく休憩室の開いた窓へ目を向けた。
「今日は、ずいぶん風が通りますね」
「増築棟が使えるようになったので、湯へ入らない人も休んでいきます」
「あなたは?」
「さっき試しました」
答えると、ヨナス様は机の上の古い紙から顔を上げた。
「湯を、ですか」
「ぬるい水槽と休憩室の組み合わせを見たかったので」
「そういう意味でしたか」
「ほかに何が?」
「いえ」
ヨナス様は一度だけ咳払いをし、また紙へ視線を戻し、何か変な聞き方をした気はしたが、今日は外も暑いので、湯へ入ったこと自体を珍しがったのかもしれない。
何に安心しているのかはよく分からない。
ヨナス様は古い紙へ戻りかけ、指先だけを一度止めた。
「テア」
「はい」
「この泉は、人を害しますか」
「害しません」
「即答されるのですね」
「毎日入っておりますので」
古い紙へ戻る前に、ヨナス様はその答えを書かずに少し黙った。
「記録には、そういう言葉は残りません」
「そうでしょうね」
「ですが」
そこまで言って続きをやめ、こちらも聞かず、紙を箱へ戻す音が、妙に小さく聞こえた。
夕方、街道から馬が一頭上がってきて、乗っていた男が封をした紙をオットーへ渡した。
差出人を見て、オットーが眉を上げた。
「湯守様」
「はい」
「グルント商会からです」
「この前の?」
「代理人を一人、こちらへ寄越したいそうです」
「ずいぶん丁寧ね」
オットーはもう一度文面を見た。
「断る余地をこちらへ残す書き方です」
「それなら断れますね」
「ええ」
紙を畳む。
「ただ、この書き方をする相手は、たいてい断られない話を持ってきます」
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