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毒の泉しかない土地に追放されましたが、あれ温泉なので大歓迎です ~前世が温泉オタクの令嬢、辺境で湯屋を作ります~  作者: とんこつしょうゆ


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第26話 冷たい水

 夏になったら何が売れるのかを考えると、温かいものだけ並べて答えるのには無理があった。


 ぬるい湯なら熱さを抑えられ、蒸す小屋も入る時間を短くすれば使えるが、それでも外そのものが暑くなるなら、湯へ入る側だけを工夫するより、上がったあとの時間を反対の冷たい方向へ伸ばしたほうがいい。


 前世で銭湯へ行ったとき、湯上がりに探したのはたいてい冷たい瓶で、牛乳の日も果物の飲み物の日もあったが、火照った手で表面の冷えた瓶を持ち、最初の一口を飲むまでの時間まで含めて好きだった。


 同じものを作る必要はなく、この土地ならまず冷たい水があればいい。


「水なら、どこでも同じではないのですか」


 グレタに聞かれ、土間の井戸水へ手を入れた。


「同じではありません」


「そうなのですか」


「今ほしいのは、触った瞬間に冷たいと分かる水です」


 グレタは桶とわたしを見比べた。


「また難しいことを簡単そうにおっしゃいますね」


「沢へ行きます」


 ボリスは理由を聞く前に山側を見て、村へ流れる沢は雪解け水を集めているが、日当たりのよい場所では春の終わりでも水が温まる。


 管理棟まで運べばさらに上がるので、夏まで冷たい水を探すなら岩陰から直接出る場所がよかった。


 ボリスとラルフに付き合ってもらい、昼前に管理棟を出た。


 冬には土ばかり見えていた沢沿いに草が伸び、若い葉が水面へ重なって細かな影を落としている。


「この辺りの水は、夏も減りますか」


「減る」


 ボリスは流れを見た。


「だが、なくなりはしない」


 細い支流を見つけるたび手を入れて確かめると、ラルフも最初のうちは同じようにしゃがんで真似をしたが、三本目まで来るとさすがに濡れた指を振って顔を上げた。


「全部冷たいですよ」


「冷たい中でも、もっと冷たいものを探しています」


「冷たいのにですか?」


「冷たいのにです」


 まだ納得していない顔だったが、そのまま斜面を上った。


 高くなるほど道は消え、倒木をまたいで濡れた石を避けることが増える。


 沢そのものが目印なので方向を失うことはなく、ボリスは途中で何度も地面を見た。


「ここは違う」


「どうして分かるんですか」


 ラルフが聞いた。


「石が乾いてる」


 春だけ水が通る場所と一年中濡れている場所を見分けているらしく、ラルフも乾いた石と隣の黒い石を触った。


「本当だ」


 さらに上ると木が濃くなり、昼なのに日差しがほとんど届かない場所へ出て、苔のついた大きな岩がいくつも重なる一番下から、沢へ混じる前の細い水が絶えず湧き出していた。


 ボリスがしゃがんで一口飲み、何も言わずに場所を空けた。


 わたしも両手を差し入れると、流れが触れ続ける指先から先に感覚が薄くなるほど冷たく、思わず手を引き上げてからもう一度入れ直した。


「これです」


 思ったより声が大きくなった。


「これが欲しかったんです」


 ラルフが沢の水と岩から出る水を交互に触った。


「湯守様なのに、冷たい水でそんなに喜ぶんですね」


「温かい湯の隣に冷たい水があるんですよ」


「それは見れば分かります」


 たぶん分かっていない。


 飲むだけでも十分だが、量があるならその先も考えられる。


 湯で温まったあと、この水へ脚から入れたらどれほど冷たく感じるだろうと思い、そこまで考えたところで止めた。


 飲むだけなら一人一杯の量と保存方法を見れば済むが、水へ入る設備を作るなら流量も深さも、急に冷やしたときの安全も別に確かめなければならないので、まずは飲むほうからでいい。


「これを湯治場まで持って帰るんですか」


「まずは飲む分だけです」


「まずは?」


「その先は、量を調べてからです」


 ラルフが口を開きかけた横で、ボリスはもう湧き口の周りを見ており、石を崩さず、水だけ取れる場所を探しており、湧き口は広げず、手を入れて濁らせるより出てくるものをそのまま使うことにした。


「ここから樋を引けますか」


「引ける」


 ボリスが斜面の下を見た。


「長いぞ」


 沢を二度またぎ、崩れやすい斜面も避けるため、木樋だけでもかなりの長さになる。


 管理棟へ戻って距離を渡すと、オットーは常設と運搬の紙を最初から二つに分けた。


「常設なら、木樋が三十二区間ほど必要です」


「三十二」


「沢を越える補強は別です」


 ラルフが横から紙を見る。


「運んだほうが早くないですか」


「今は、そのほうが早いです」


 増築棟の仕上げも残り、村の若い人たちも農作業へ戻っており、長い樋へ人を回してほかを止めるより、当面は桶で運んだほうがよかった。


「当面は運びましょう」


「そうなると思って、桶の分も書いてあります」


 オットーはもう別の欄を作っており、蓋のできる桶を四つ用意し、朝と昼に二桶ずつ運んで日の当たらない土間の北側へ置き、汲んだ時刻まで札へ書いて、翌日へ残った水は飲み水として出さず掃除へ回すことにした。


「冷たいまま出したいので、翌日へは残しません」


 ピナが椀を並べながら首を傾げた。


「残ったら?」


「掃除に使います」


 最初の運搬はラルフと一緒に自分でも行き、蓋をした桶を二つずつ持った。


 行きより帰りが当然重く、沢を一つ越えたところでラルフが腕を持ち替えた。


「これ、毎日やるんですか」


「当面は」


「樋、作りましょうよ」


「そのうち」


 もう一度持ち替えたあと、ラルフが三十二区間って急に安く聞こえてきました、と言った。


「持つ前と後で意見が変わりましたね」


「水って重いんですよ」


「知っています」


 沢を渡るところだけは一つずつ運び、反対側でボリスに受け取ってもらった。


「毎日は危ないな」


「雨の日はやめます」


「飲み水がなくなりますよ」


 ラルフが言う。


「井戸水に戻します」


「そこは戻すんですね」


「冷たい水がなければ湯屋を閉めるわけではありません」


 欲しいものと必要なものは違うので、その線だけは間違えないようにした。


 管理棟へ着くころには、桶の取っ手が当たった掌と前腕がじんじんしていたが、蓋を開けて手を入れた水はまだ十分に冷たく、運ぶ手間を一度は払う価値があった。


 翌朝、最初の桶から自分で一杯飲むと、岩場より少し温まっていても井戸水とははっきり違った。


 口へ含んだ瞬間から舌の奥、喉へ落ちていくところまで冷たさの筋が分かり、朝のうちに熱い湯へ入った身体の内側だけが遅れて冷えていくようで、ピナは蒸す小屋から出たあとで試し、一口飲んだところで目を見開いた。


「つめたい!」


「そういう水です」


「もう一杯いいですか?」


「ゆっくり飲んでからです」


 ボリスは二口で飲み、空の椀を見ながら水なのにな、と言い、村の年寄りは最初こそ腹を冷やすと断ったが、足湯のあと少し口をつけると残りまで飲んだ。


「うまいな」


 昼の外来客にも一杯ずつ出すと、街道を歩いてきた女客は最初に椀を頬へ当てて笑った。


「こんな水、どうしたんです?」


「山の上から運んでいます」


「水を、わざわざ?」


「わざわざです」


 冷たいものを一杯出すだけで湯上がりの時間が少し変わり、外来客の待ち方にも別の手が使えそうだった。


 一日に湯へ入れる人数は三人から増やさず、遠くから来た人は村へ泊まれるようにし、宿泊代と食事代はそれぞれの家が直接受け取り、湯治場は空きだけを把握する形にした。


 ラルフが村を回ると最初は三軒だった家が、三日後には七軒まで増えた。


「七軒も?」


「泊めてもいいって家だけです」


「食事は?」


「出せる日だけ」


 家ごとに違ってよく、それを先に客へ伝えるところだけ揃えた。


 その日の午後、冷たい水の置き場へ新しい札を書いていると、入口の鐘ではなく、坂を上がる杖の音が一度だけ聞こえた。


 振り向くとヨナス様が管理棟の前で外套を整えており、今日は封印柵の帳面も木箱も持っていない。


「巡回ですか」


「いいえ」


 最近この答えをよく聞く気がする。


「では、膝ですか」


「……それもあります」


 少し間を置いたあと、ヨナス様は足湯ではなく、わたしが並べていた木椀へ目を向けた。


「冷たい水を始めたと聞きました」


「今日からです。飲みますか」


「いただきます」


 椀を一つ渡すと、ヨナス様は指先で縁を持ったまま冷たさを確かめ、口をつける前に一度だけ眉を上げた。


「ずいぶん冷たいですね」


「山の岩陰から出ています」


「それを、運んだのですか」


「はい」


「あなたも?」


「最初の分は」


 答えたところで、ヨナス様の視線が木椀からわたしの両手へ下がり、桶の取っ手が擦れた掌の赤い跡で止まった。


「これは」


「水は重いので」


「それは知っています」


 いつもより少し低い声で返され、さっきラルフにも同じことを言われたのを思い出した。


「当面だけです。雨の日は運びませんし、常設の樋も考えています」


「それならいいのですが」


 ヨナス様はそう言ってから水を一口飲み、喉が動いたあとも、すぐには椀を下ろさなかった。


「湯へ入ったあとなら、確かに欲しくなりますね」


「でしょう」


「ただし、運ぶのは毎回あなたでなくてもいいでしょう」


「ラルフもボリスも運びます」


「そうではなく」


 そこでヨナス様は言葉を切り、椀の中へ視線を落とした。


「……いえ、それなら構いません」


 何が違ったのかは分からなかったが、二杯目を勧めると今度は素直に受け取り、そのあと足湯へも座っていった。


 冷たい水を出し始めて三日目には、村の子どもまで桶の置き場を覗きに来た。


「これ、山の水?」


「そうです」


「飲んでいい?」


「湯へ入っていなくてもいいですよ」


 一杯渡すと飲んだあとで歯が痛いと言い、それでももう一口飲んだ。


 湯治場へ来る理由が、また一つ湯ではなくなった。


 翌日の夕方、ラルフが町から一通の手紙を持って戻った。


「湯守様」


「はい」


「街道の町で、ここの話を聞いてる商会があるそうです」


「商会?」


 封の表を見る。


「グルント商会です」


 ラルフがこちらを見た。


「ヴェルテの湯治場に興味がある、と」


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