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あるじのかんさつ  作者: summer_afternoon


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6/7

流動性リスク

 

「クレオパトラだ」


 画眉鳥の派手な歌を聴いて、主人(あるじ)は嬉しそうに微笑む。どこで知ったのか、主人はとうとう声の主に辿り着いた。目の周りの「画眉」の部分だろう白い縁取りが、主人にとっては「クレオパトラ」らしい。疑問が解消されて何より。


 主人はいつものごとく、僕に誰にも喋れないことを打ち明ける。


「どうしよっかな。本当はドル、こっちの証券会社に移したいんだけど。対人って苦手」

「わん」


 困ったね。人間界でちゃんとやっていけるか心配になってくるよ。


 でも分かるかも。その証券会社からの電話で、めちゃくちゃ投資信託勧められてたもんね。


「ドルのまま移せればいいのに。いや、移せるけど、手数料がなー。いっそのこと、ドルで下ろして旅行とか。うっわ、どんだけ手数料取られるんだろ。怖っ」

「わん」


 僕を置いて海外旅行はダメだよ。


 主人が今、古い対人の証券会社に置きっぱなしにしているドル。それは昔、まだネットで海外の国債が買えなかったころ、高い手数料を払ってわざわざ円から変えたもの。今はネットで安く円をドルに替えて米国債を買える時代。だけど、(いにしえ)の口座からドルを引き出すには、また高い手数料を払って円に戻さなきゃいけない。それが癪なんだね。110円以下で買ったドル。今は150円以上だけど、この先分かんないもんね。


「はー」


 溜息まで。時代が変わったんだから仕方ないって。潔く、円に戻して引き出しな。


 なぜ今、主人が悩んでいるか。それは、今、米国債が大安売りだから。国債は、その国の先が危ないと思われれば思われるほど安くなる。


 主人は最近、最悪の予想ばっかしてる。株価大暴落、世界恐慌、ブラックスワン、ドル離れ、アメリカ経済の沈没、資本主義崩壊、米国債デフォルト、ドルの終焉、日本円ハイパーインフレ。さらには、第三次世界大戦、食糧不足。食料供給困難事態対策法ってのができたときから、主人は日本の参戦を怖がってる。


「ロシアがウクライナに侵攻するなんて、絶対にあり得ないって思ってた。でもあった」

「わん」


 僕は主人が元気になるよう、立ち上がって肩を叩く。


 どさっ


「うわ。政宗くん」


 急に僕からのしかかられた主人はバランスを崩して倒れる。次はれろんえろん顔を舐めてあげた。


「もういい。やめて、降参。あははは」


 過去の続きに現在があって、現在が未来へ続いてるとしても、考えるのやめなよ。人間って大変だね。



 5月と言えば、母の日。その母の日を何日か過ぎたころ、電話があった。


「お母さん? 元気? なに?」


 主人ママだった。主人ママには会ったことがない。新幹線と在来線とバス2本を乗り継いでやっと到着する遠い場所に住んでいる。主人は主人ママのことを気にかけているし、主人ママは主人のことをとても心配している。


「元気やよ。仕事はどお?」


 主人は「仕事」という言葉を聞くと、姿勢を正す。収入はあるけれど、世間一般が仕事とみなすことをしていないから。


「ぼちぼち」

「こんな時間に家にいるの? コロナ終わって、もう、在宅勤務はとっくになくなったのに」


 主人は瞼を重くし、目を細めた。分かるよ。抜き打ち検査された気分だね。


「そーゆー仕事なの」

「ふーん。どんな?」

「パソコン使う」

「そうなの。今の人は分からんねー」


 どうやら乗り切ったらしい。嘘をつかずにイイネ。主人はソファに深く腰掛けた。


「で、何? 元気確認?」

「ああ。あのね」


 スマホの通話は全て聞こえる。主人ママはそこで言葉を一旦止めた。


「……」

「……」

「……」


 不自然な沈黙があった。


「言わなあかんと思いながら、言い出せなくて」

「……」


 主人の背筋が再び伸びる。どころか、今度は前屈みになっている。


「もう私、年取ったから……」


 ああ、なんて悲しそうな顔。眉の形が情けなくなって口が半開き。きっと主人は、最悪のことを考えてる。


「お母さん、どうしたの?」

「……もう」

「もう?」

「母の日のカーネーション、やめてもらえる?」

「は?」


 主人の目がまんまるになった。


「カーネーションってね、多年草なの。あれね、何年も咲くの。夏は涼しいとこに置かなきゃダメで、でも日当たりは要るんや。冬はあったかくしなあかん。私ね、植木鉢を何個もあっちへ動かしたりこっちへ動かしたりして。しかも暑い日と寒い日に。もうメンドク、じゃなくて、もう年だから」


 メンドクサイって言いかける主人ママ。


「何年も? そんなにもつの?」

「うん。古いので枯れたのもあるけど、今、10個ぐらいある」

「そーなんや」

()分けしてわっさわさに増えたのもあって」


 主人は「株」という言葉にびくっと肩を揺らす。


「分かった。じゃ、来年は別のにする」

「せっかく送ってくれるのに、悪いね。こんなこと言って」

「ううん。ぜんぜん。よかった」

「え?」

「なにごとかと思った」

「なんで?」

「いーのいーの。来年、何がいい?」

「フィナンシェかプリン」

「OK」


 通話終了。


 主人はほっとしてる。僕は笑いが止まらない。主人の植物の面倒見の良さは、親譲りだったんだね。


 ただ、ちょっと気の毒。仕事してないってことが主人のコンプレックスだから。株式市場が15時30分に閉まっても、平日は18時以降にしか出歩かない。ドッグランだって平日の方が空いているのに、仕事をしてるふりをして、わざわざ休日に行く。「今日はお仕事、お休みですか?」なんて訊かれないように、注意深く行動してる。


 僕? 僕は仕事してるよ。24時間体制の自宅警備。それに、主人を、毎朝ランニングさせて、夜ウオーキングさせる専属トレーナー。ほっとくと人と喋る機会すらない主人のために、会話のきっかけ作り。それから、主人はかなりのペシミストだからさ、メンタルケアも。


 僕は「人間を育てる」って、すっごく重要な仕事をしてるんだよ。


「わんわんわん」


 主人、元気出して。なにごとも、深刻に考えすぎないほうがいいって。


 ぴぴょぴぴょぴぴょぴゅーいぴゅーぴゅーい


 僕の声に画眉鳥がハモる。オペラ歌手のように高らかに。ほら、あれくらい堂々とすればいいんだよ。鳥も犬も人も、それぞれなんだから。




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