#17『Lost signal』
「所で、その糸は?」
クリスは体をほぐしながら、ルピナスが倉庫中を漂わせている糸について問う。
「実は、私にもよく分かってないんです。多分、記憶を無くす前の私と関係があるんだと思うんですけど......」
「記憶?」
「あぁ、言ってませんでしたね。どこから話しましょうか...そうだ、暁さん、精神科医なんです。と言っても、治療法が少々特殊で、神子石と、あの人が持ってる針を使って、針に人の記憶を閉じ込める事が出来るんです。」
ルピナスは手元であやとりをしながら、糸で様々な形を作り、紙芝居の様にしてクリスに説明する。
「それで、暁さんは私の記憶が閉じ込められた針を持っていて。返す準備が整うまでは...っとそうだ。と言う訳で今の私は、何も記憶を持ってないまっさらな私だって、暁さんが言ってました。実際、初めて目を覚ましてからそれ以前の記憶は何もありません。」
「そうか...」
「まぁ、少なくとも今の私は、この生活に特に不満は無いので、毎日楽しくやれてますよ。過去の私がどんな人だったのかは気になりますが。って、長くなってしまいましたね。そろそろ始めましょうか。」
「あぁ。所で、何をやるの?」
「それはですね...」
〈暁の館、玄関前〉
「......ん?」
外から帰宅した暁は、玄関前で陽の光を反射する何かを見つける。それは明らかに不自然な光り方をしており、暁が近づくと、その像は針の形になって眼に留まった。
「なっ!?」
暁は咄嗟に懐から裁縫針を入れた革製のケースを取り出す。ケースは底が破れており、ルピナスの記憶を閉じ込めていた針が無くなっていた。
「いつの間に...折れたりしてねぇよな?」
暁は針を拾い上げると、隅々まで傷が付いてないか確認する。針に傷は付いて無かったが、針の中の記憶の断片が、声となって辺りに満ちていた。暁はケースの底が破れていないポケットに針をしまうと、玄関の戸を開けた。
「ったく、ありえないとは思うが、何かの拍子にルピナスが興味本位で見つけ出すんじゃないかって、持ち歩いてたのが裏目ったな...ん?」
玄関に並べられた靴。クリスとパール、そして、ルピナスの靴が無い。
「......嘘だろ?いや、落ち着け。針から声がするって事は、ルピナスの記憶は戻ってないはずだ。だが、もし覗いてるとしたら......」
「あ、おかえりお父さん」
冷や汗を掻きながら玄関で考え事をしていると、ライラが通りがかった。
「上がらないの?」
「な、なぁ、ライラ」
「なぁに?」
「ルピナス、どこ行ったか知らないか?」
「あぁ、さっきクリスと一緒に出掛けたよ?私も行こうかと思ったけど、断られちゃった」
ライラは棒付きのアイスを頬張りながら答える。
「そうか...あんがとな」
暁は靴を脱ぐと、真っ直ぐ自室へと向かった。
〈理性の街、倉庫跡〉
眼を開けてください。
瞼を開くと、目の前には1本の白い線が現れる。その糸は何処までも続いており、まるで自身をその先へと誘う様に。
クリスはその糸を辿る。クリスが進むと同時に、糸は少しずつ引いて行く。少しずつ糸の引きが早くなっていくと同時に、クリスもその糸に追いつこうと速度を上げる。窓から差し込む日の光、2本、3本と増えて行く糸に惑わされぬように、クリスは糸を追う。クリスが糸を掴みそうになった、その時だった。
パァン!
背後から鞭のような音と共に、衝撃波が飛ぶ。
それはクリスの周囲で立て続けに起こり、気付けばクリスの周りから糸は消えていた。
衝撃と音は1回ずつ、移動するように鳴る。ルピナスは沈黙したまま、どこに居るかも分からない。
何の説明も無く、暗闇に置かれたクリスでも、本能で、目の前で起きている事は理解出来た。
鞭の音は迂回しながら少しずつ近付いて来ており、クリスは耳を澄ませながらその場で構える。
鞭の音は一定の距離で止むと、全く違う方向から速いペースで鳴り始め、同時にクリスとの距離を縮めて行く。
クリスは鞭の音を聞くにつれ、その動きを漠然と捉える事が出来ていた。鞭がクリスの間合いに入ると同時に、クリスは鞭の音がした方へ飛び出す。クリスが先程まで居た場所から音が響き、クリスは回避に成功する。
その後も何度も迫る音を頼りに、攻撃を躱していく。ルピナスは糸を手繰りながら、それを見てほほ笑む。
(気が――――わ。今—――――してあげる。)
「......えっ?」
何処からか響く声。声は酷く聞き覚えがあり、何処を見ても声の主は居ない。
(私はただ―――――――――の!!)
「やめて......」
ルピナスは咄嗟に糸を引っ込めようとしたが、その意思に反して波打つ糸は次第に勢いを強めて行く。
クリスも異変に気付くと、瞼を開きルピナスの方を見た。
「...!ルピナス!!」
「あっ...くっ!!ぐぁぁぁぁっ!!!!」
ルピナスは激しい頭痛に襲われ、身体の制御が効かなくなっていた。クリスは咄嗟に駆け出し、ルピナスに接近を試みる。だが、近付くにつれ糸の勢いは強まり、あっという間に弾かれてしまう。
「くっ...いや、待てよ...?」
(思い出せ。学んだことを生かす時だ。)
クリスは目を閉じる。視覚を遮断し、肌と耳の感覚に委ねる。その眼で見ずとも、次第に目の前の像がはっきりしてくる。
倉庫中に糸が当たる。まるで台風の中に居るかの様で、クリスはその場で迫り来る糸を避ける。
クリスは豪雨の如きノイズの中で、ルピナスの悲鳴を聞き分ける。
「...居た。」
クリスは再び歩み始める。距離が縮まると共に、クリスの身体に鞭が当たり、一瞬だが、当たった箇所が麻痺してしまう。躓きそうになりながらも、確実に声の元に辿り着く。
「ここだっ!!」
「あっ――――」
クリスは嵐の中に飛び込み、ルピナスを両腕で包み込むと、そのままその場に倒れた。
眼を開け、体を起こす。ルピナスはクリスの腕の中で、深い眠りについていた。
「...今のは......」
クリスはルピナスの頭を膝に乗せると、そのままルピナスの両耳に手を当てた。
「......」
「ルピナス!!!!」
突如、倉庫の入口から声が響く。暁だった。
暁は乱れた呼吸を整えながら、目の前の光景を理解しようと試みる。
「......クリス......?」
「......」
クリスはしばらく、暁と目を合わせた後、再びルピナスの方を見つめていた。
To be continued.




