デミトリウス東方異聞録5
ポルト号を後にしたデミトリウスは、阿曽沼信辰から預かった書状を携え、藤堂家の屋敷を訪れた。
門前で来意を告げると、門番は異国の男を不審そうに見た。
「藤堂美津麿殿に会いたい」
「お約束はございますか」
「ない。阿曽沼信辰からの紹介状がある」
デミトリウスが書状を差し出すと、門番は封を確認した。
「お取次ぎいたします。こちらでお待ちを」
門番は書状を持って奥へ引き返した。
しばらくして家臣が現れ、デミトリウスは屋敷の客間へ通された。
茶が運ばれて間もなく、一人の若い女が姿を現した。
「藤堂美津麿です」
デミトリウスは女を見た。
信辰から渡された資料には、鬼や天狗を討ち、景綱とともに妖怪退治を行ったという数々の武勇伝が記されていた。目の前の女は、どう見ても二十代前半である。
「藤堂美津麿は君か?」
「はい。第十五代になります」
「なるほど。襲名制だったのか」
「先代は母です」
「では、資料にある武勇伝は母君のものか」
「はい」
「先代は今どこに?」
「既に亡くなっています」
「そうか」
デミトリウスは頷き、茶碗を置いた。
「では、本題に入ろう」
美津麿は姿勢を正した。
「阿曽沼信辰から百鬼夜行の討伐を依頼された。君にはその一員として参加してもらいたい」
「百鬼夜行……」
「知っているか?」
「伝承ならば」
「それが現実になる」
デミトリウスは陰陽師の予言を説明した。
北方に現れる百鬼夜行は、空亡と呼ばれる妖怪から逃れるように南下する。群れは人間を喰らうことで巨大化し、その進軍を阻止できなければ首都・江田へ到達する。
江田が消滅しても百鬼夜行は止まらず、やがて日本そのものを喰らい尽くすという。
美津麿は黙って聞いていた。
「通常の軍勢では止められん。群れを封じる者、内部へ入る者、遠方から核を射抜く者が必要になる」
「それで、私を」
「ああ。落星の使い手ならば適任だろう」
美津麿は少し考えた。
「ほかには、どなたが?」
「葦名景綱と久世道胤だ。剣豪と陰陽師だな」
「景綱様も?」
「知り合いか?」
「母とともに戦われた方です」
「そうか。ならば話は早い」
デミトリウスは茶を飲んだ。
「君を含めた三人に協力してもらうつもりだ」
美津麿はすぐには返事をしなかった。
デミトリウスが視線を向けると、彼女は静かに口を開いた。
「一つ、申し上げておきたいことがあります」
「何だ?」
「私は、まだ先代には及びません」
「ほう」
「名は継ぎましたが、弓の腕は母に届いていません」
美津麿の口調に謙遜はなかった。
先代の技量を知っているからこその言葉だった。
「いつかは超えたいと思っています。しかし、今の私が、このような大役を務められるかどうか……」
デミトリウスはしばらく彼女を見ていた。
「君は、いつなら先代を超えられる?」
美津麿は答えられなかった。
「一年後か? 十年後か?」
「……わかりません」
「だろうな」
デミトリウスは茶碗を置いた。
「望んだ時に機会が訪れるかどうかなど、誰にもわからん。十分な力を得たときには、既にその機会を失っていることもある」
美津麿は顔を上げた。
「百鬼夜行は、君が先代を超えるまで待ってはくれん。それに、今の君では何もできないと決まったわけでもないだろう」
「……はい」
「私は先代の代わりを探しているわけではない。藤堂美津麿の力を借りたいのだ」
美津麿は膝の上に置いた手へ視線を落とした。
母が亡くなってから、藤堂美津麿の名を継いだ。
受け継いだ落星を引くたびに、自分と母との技量の差を感じていた。少しでも追いつこうと研鑽を重ねてきたが、その差を埋めるにはまだ時間が必要だと思っていた。
だが、百鬼夜行はその時間を与えてくれない。
「……一つ、お聞きしてもよろしいですか」
「何だ?」
「あなたは百鬼夜行を倒せるのですか?」
「可能だ」
デミトリウスは即答した。
「しかし、私には別に優先すべきことがある。すべてを私一人で処理するのも面倒だ」
美津麿はその言葉に驚いた。
この国が滅ぶかもしれないというのに、目の前の男は平然としている。
だが、虚勢を張っているようには見えなかった。
「だから君たちの協力が必要なのだ」
デミトリウスはそれ以上、説得を重ねなかった。
美津麿はしばらく沈黙した後、静かに頭を下げた。
「お引き受けいたします」
「決めたか」
「はい」
「理由を聞いても?」
美津麿は顔を上げた。
「母に届かぬままでも、今の私にできることはあります」
デミトリウスは口元に笑みを浮かべた。
「それで十分だ」
美津麿は再び頭を下げた。
「いつ出立すればよろしいでしょうか」
「ほかの者たちの協力が得られ次第、知らせる。それまで準備をしておいてくれ」
「承知しました」
デミトリウスは立ち上がった。
「では、よろしく頼む」
「こちらこそ」
美津麿はデミトリウスを門まで見送った。
デミトリウスが去った後、彼女はしばらくその背中を見つめていた。
母を超えてから、大きな戦いへ臨むつもりだった。
だが、自分に残された時間も、次にどのような戦いが訪れるかも、誰にもわからない。
美津麿は屋敷へ戻った。
まずは落星の手入れをしなければならない。




