第8話
研究室の窓の外はいつの間にか夕日が落ち、あたりはすっかり深い闇に包まれていた。
前野は疲労でかすむ目を何度もこすり、ルーペを握り直して、さらに石板の解読を進めていく。ここからは文字の刻み方が変わり、別の領域――第二石板へと移行していた。
【第二石板:日向の興隆】
『――スサノオの日高見国より、はるか西。日向の国。
この地に、一つの小さなクニが産声を上げた。
山幸彦・ホオリを祖とする、その国の名はマカツ。
マカツでは初代国王であるホオリが崩御し、代わってウガヤフキアエズが国王の座に即位していた』
「マカツ……? 禍、あるいは『真勝』か。記紀にそんな国名は存在しない。やはり日向の王権は、最初から大和の直系ではなかったんだ」
乾いた唇を舐め、前野は一文字ずつ現代語に編み直していく。
『――ウガヤフキアエズ十年、その長子であるイツセが誕生。
その二年後、次男であるイワレビコが産声を上げる』
後の神武天皇、イワレビコ。
ついに現れた歴史の主役に前野が息を呑んだ直後、石板は、既存の神話の系譜を根底から裏切る「一人の男」の存在を浮かび上がらせた。
『――しかし、国王ウガヤフキアエズには、幼き頃に生き別れた実の弟がいた。
その弟は、遠く大和の地からやってきた人買いの手によって、拉致されるように連れ去られてしまったのである』
「人買い……! 神の血脈が、奴隷として大和へ売られたというのか!?」
前野は鳥肌が立つのを抑えられなかった。記紀がひた隠しにした大和王権の薄汚い奴隷貿易、そして掠奪の歴史。大和へと売られ、歴史の波間に消えた国王の弟――。
しかし、石板の記述の端々には、不穏ながらも力強い未来の予兆が隠されていた。
『――この、大和へ連れ去られた生き別れの叔父の子が、やがて成長し、甥であるイワレビコの最も心強い仲間として歴史の表舞台に還ってくることになるのだが、それはまだ、少し後のお話である』
前野はペンを握ったまま、震えが止まらなかった。
日向から大和へ向かうあの「神武東征」の裏には、単なる領土拡大ではない、売られた身内を奪還する、あるいは内部から大和を転覆させるための「壮絶な復讐劇」の血が流れていたのだ。




