第9話
ウガヤフキアエズ二十五年。
長子イツセは十五歳、次子イワレビコは十三歳になっていた。
ある日、イツセは父王に呼び出され、密かに命じられる。
「――四国へ向かえ」
まだ少年と言っていいイツセが、なぜ単身、四国へと赴かねばならなかったのか。その肝心な理由が記された部分は、無残にも刃物で削り取られていた。
ウガヤフキアエズ三十年。
激動のなか、国王ウガヤフキアエズが崩御する。
――兄イツセが四国から不在のまま、次男であるイワレビコが、若くしてマカツの新たな王となった。
カムヤマト八年。イワレビコが二十六歳になった
頃、高天原に不穏な動きがあった。
突如として現れた「神兵」の軍勢が、辺境のムラを襲撃し始めたのだ。彼らは過酷な供物を要求して人々を脅し、ついに差し出す人間すら枯渇すると、そのムラを跡形もなく徹底的に焼き滅ぼした。
事態を重く見た新王イワレビコは、近衛兵のナガハ、同い年の楯使いであるニニギ、そしてマカツ軍百人隊隊長タカクラジを従え、滅ぼされたムラの調査へと向かった。しかし、それを境に神兵の動きはぱたりと途絶える。
何事もないまま季節が巡り、実りの秋が訪れた。
マカツの西にある、ゴトシロヌシが治める邑では、盛大な収穫祭が執り行われていた。
宴の席、すっかり酒に酔ったゴトシロヌシは、イワレビコに向けて相好を崩した。
「――どうです、王。うちの娘を、嫁に貰ってくれませんかね?」
そんな他愛のない冗談に、若き王も、側近たちも声を上げて笑い合う。
この時はまだ、高天原の「神々」が自分たちを本気で屠りにくることなど、誰も、予想すらしていなかった。
カムヤマト九年。
突如として、空が割れた。
――そこまでカチリと現代語訳を打ち込み、前野はキーボードを叩く手を止めた。
研究室の遮光カーテンの向こう、夜明け前の街は不気味なほど静まり返っている。
「高天原の神兵……。そして、イワレビコの側近に『ニニギ』がいるだと……?」
記紀において、ニニギ(ニニギノミコト)は高天原から地上を支配しに降りてきた「天孫」のはずだ。それがなぜ、地上の日向の王イワレビコの側近——楯使いとして、同じ泥を啜っているのか。
歴史が、神話が、血の流れる音を立てて狂い始めている。
(巻の一:天地開闢 完)




