第3話
前野の研究室の窓の外は、すっかり濃い夜の闇に包まれていた。
机の隅に押しやった包み紙から、冷え切ったハンバーガーの匂いが微かに漂っている。手早く夕食を終えた前野は、指先を拭うのももどかしく、再び石板の解読に没頭した。
「ええっと、ここからは……」
判読できる単語を、パズルのピースを嵌めるように繋ぎ合わせていく。
【第一石板:承前】
『――〇〇(判読不能)から国土の形成を命じられ、天沼矛を授かったイザナギとイザナミは、天の(……数文字欠損)に立って、沼矛を下界の混沌へと指し下ろし、塩をドロドロと掻き回した。
そして、引き上げた矛の先から滴り落ちた塩が積もり重なって、一つの島ができあがった。それが、オノゴロ島である』
オノゴロ島に降り立った二神は、ここから本格的な「国生み」に着手しようとする。だが、肝心の手順を記した部分が、酷く執拗に荒らされていた。
『――(……数行にわたり解読不能)を左右から(……解読不能)
「私には、足りないところがあります」
「これは奇遇だ。私には、余っているところがある。これらを合わせて〇〇(判読不能)を作ろう」』
婚姻の儀式を経て二神は子をなしたが、不穏な記述が続く。
『――最初に生まれた〇〇(判読不能)は、葦の(……判読不能)に入れて流してしまった。次に生まれた淡島も、我が子の数には入れなかった』
――蛭子と淡島。記紀における「不具の子」の遺棄だ。
二神は、女神であるイザナミの方から先に声を掛けたのが良くなかったのだと考え、カミ(……原文では未知の文字)にその成否を確認した。その上で婚姻の儀式をやり直し、改めて本格的な国生みを開始する。
『――淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐島、対馬、佐渡島、そして本州。
大八島を生み落とし、さらに六つの小島を生んだ。その後、世界を形作る様々な神々を産み落としていく。
だが――』
解読を進めていた前野の、ボールペンを握る手がピタリと止まった。
石板の最下部、文字の刻み方が突如として乱れ、狂気的な深い溝に変わっている。
『――神々を生み続けていくうちに、やがて「火の神」を生んだイザナミは、その身を焼かれ、重い病に伏してしまうのだった』
しんと静まり返った研究室で、前野はノートに殴り書きのメモを走らせた。
『〇〇の箇所、完全に剥離。欠損激しい。だが間違いない、これは古事記の「国造り」の記述とほぼ完全に一致する。しかし――』
前野はこめかみを強く揉みほぐした。
一致している。一致しすぎているのだ。
古事記が編纂されたのは八世紀。この石板がそれより遥か昔の古墳から出土した本物であるなら、なぜ、後世に作られたはずの「物語」とここまで一言一句同じなのか。
まるで、後世の人間がこの石板の記述を「なぞって」偽りの神話を作ったかのような、おぞましい錯覚。
ゾクリと背筋に冷たいものが走った。窓の外の闇が、心なしか部屋の奥まで侵食してきているように思えてならなかった。




