第一話:死ねなかった占い師
死ぬつもりだった。
ただ、足を踏み出せば・・・それで終わるはずだった。
けれど、落ちる感覚は来なかった。
代わりに、頭の奥へと「映像」が流れ込んできた。
あっという間に地面が近づき、その後地面に叩きつけられる衝撃。
肺から空気が抜け、息ができなくなり、ひたすら苦しい。
視界も赤く滲んでいき、音が遠のいていく。
そして、何もかもが消えた。
自分の死。
あまりにも鮮明で、逃げ場のない未来だった。
次の瞬間、意識は現実へ引き戻される。
私はまだ屋根の上に立っていた。
覚悟をしていたはずなのに、足が震えて、一歩も前に出ない。
「……はぁはぁ。」
喉がひどく乾く。
今のは何だ。
幻覚にしては、あまりにもリアルすぎる。
それにさっきの光景を見た後だから、もう身体は動かなかった。
まるで、止められたみたいに。
「……あれが未来?」
馬鹿みたいな言葉だった。
けれど、それ以外に説明がつかない。
その日から死のうとするたび、先に「結果」が流れ込むようになった。
そして、それを見た瞬間、身体が言うことを聞かなくなる。
踏み出せない。刃を当てても力が入らない。何をしても同じだった。
「……もう最悪だ。」
死ぬことすら選べない。
くそ——生きるしかないのか。
誰かに必要とされたことも、居場所があったことも、一度もなかったのに。
そうして私は、死ぬことを諦め、どうせならこの力を生きるための手段として割り切ることにしたのだった。
裏路地に、小さな占いの店を構えた。
布を垂らしただけの簡素な場所だが、客は意外と途切れない。
理由は単純だ。
当たるから。
正確には、“当たる前に避けさせる”。
もっとも、最初からそうだったわけじゃない。
昔、一度だけ、やけに身なりのいい酔っ払いを占ったことがある。
「そのまま、そこの階段を下りて帰ると、怪我をする。遠回りだがあちらの坂を下りなさい。」
そう言うと、男は笑って聞き流した。
翌日、その男が階段から落ちて腕を折ったと騒ぎになった。
しかもそれがそれなりの身分の人間だったらしく、周囲の者が面白がって話を広めた。
それ以来、妙な噂だけが一人歩きしている。
……別に、当たってほしかったわけじゃない。
子どもの頃、似たようなことがあった。
友達に言ったのだ。「明日、お父さんが大怪我をする」と。
当然、誰も信じなかった。
そして結果だけが現実になった。
それ以降の生活は、もう思い出したくもない。
「次の方、どうぞ。」
今日もいつも通り、最低限だけ未来を覗く。
深く関わらない。
それが、自分なりのやり方だった。
「随分と、よく当たる占い師だそうだな。」
不意に、品のよい声が落ちてきた。
ふと顔を上げる。
そこに立っていたのは、この場所に似つかわしくない男だった。
整った衣装。無駄のない立ち姿。静かな目。
関わるな。
直感が告げている。
「……店じまいです。」
「そうか。では手短に頼む。」
断ったのに、男は当然のように腰を下ろした。
厚かましい。
少しの間固まっていると、男の方から再び声をかける。
「占ってくれ。今日、このあと起こることを。」
短い言葉だった。
断るべきだ。
そう思うのに、私は目を閉じていた。
ほんの少しだけ、視る。
さっきまでのように、ほんの10秒ほど。それだけでいい。
意識を沈める。
これは鉄の匂いか?
場所は二本先の暗い路地だな。
目の前の男がいる。
その脇腹には深く突き立てられた刃。
そして崩れ落ちる身体。
広がる血。
「……っ。」
息が詰まり、意識が戻る。
指先が冷えていた。
「どうした?大丈夫か?」
男の声が近い。
「……あなた。」
喉がうまく動かない。
「今日、死ぬかもしれない。」
沈黙が落ちる。
普通なら、笑うか、怒るか、無視する。
けれど、この男は違った。
「ほう、その根拠は?」
静かな声。
「そう。見えたから。」
「にしても、そんな大それたことを随分と簡単に言うんだな。」
その言葉とは裏腹に、声には少し緊張感がある。
「信じたくなければ、信じなくて構いません。」
突き放す。
これ以上は関わらない。
男はわずかに考えるように視線を落とし、やがてこちらを見る。
「なるほどな。」
小さく、そう言った。
その一言が、妙に引っかかった。
「なら、確かめてみようじゃないか。」
ぞくりとした。
「ただの事故じゃない、襲われるの!刺されるの!」
思わず声が強くなる。
「信じなくていいから、とにかく気をつけなさい。特に二本先の暗い路地には近づかないように。」
男は、ほんのわずかも動じない。
「本当にそうなるのか、見てみたいな。」
淡々と、言い切る。
理解できない。
いや、したくない。
「あなた、馬鹿じゃないの?」
「そうかもしれないな。」
あっさりと認める。
その態度が、余計に気味が悪い。
男は立ち上がった。
「忠告は受け取った。」
それだけ言って、お金を支払い背を向ける。
「ただし、従うとは言っていない。」
足音が遠ざかっていく。
止めるべきか、迷った。
でも、動けなかった。
関わらないと決めたはずだ。
それなのに…。
あの男、本当に確かめるつもりだ。
嫌な予感が消えない。
胸の奥に、ざらついた感覚が残る。
もうすぐ、あの未来は現実になる。
そして私は、それを知っている。
それでも、何もしないのか。
(……また、同じだ。)
子どもの頃から、ずっとそうだった。
言わなければよかった未来を、それでも言わずにいられなかった。
言っても信じてもらえなくて、結果だけが現実になって、そのたびに何かを失った。
今日も同じになる。
あの男は死んで、私はまた何もできなかったと知る。
それでいいのか。
「……くそっ。」
舌打ちが漏れる。
気づけば、もう立ち上がっていた。
畳みかけた布が、足元に落ちる。
答えは、まだ出ていなかった。
それでも足は、男の消えた方向へ向いていた。




