11.利害一致
彼女は呆れたような目つきでぼくを見た。
「なあんだ、すっかりやる気じゃん」
そうだけど。理性が少しだけ引っ掛かっている。
「女一人暮らしの家に、ぼくが転がり込んでも良いものだろうか。それも今日会ったばかりでさ、あんたのことなんにも知らないし、名前さえ知らない」
彼女は間髪入れずにこう答えた。
「白井脩子。名前なんてすぐだよ。あんたは?」
躊躇することなく彼女は自己紹介し、ぼくにも勢いを止めさせないことを期待している。
彼女の目にこれからのことに対する不安はなく、取引を成立させ、お互いの利益に順ずることだけを願っているように見えた。
突然見知らぬ訪問者が現れ、食事を作り食べさせてくれたという予測不可能な成り行きに、今更警戒しても仕方ないということだろうか。
「若林です。本当にいいの?」
「いいよ。私が困ることはないし、お互いにとって良いことよ」
なんだか気になるような様子でこちらを見ている。
「なんですか?」
「下の名前はなんていうの?」
白井さんはこっちを焦らすように急き立てた。名前。それこそ一番の苦手とするものだ。最も避けて通りたいことであり、できればぼくの名前が「若林」という苗字だけだったらどんなにいいかと思う。名前によってどれだけの難関が不必要に迫ってきたことか。いつも背後霊のように付きまとう、避けられない苦悶の名前だ。
「宙他」
ほんのわずか沈黙がつづいた。白井さんが表情を崩すことはなかった。
「宙他、宙他っていうの…?」
首を縦にこっくりと振る。これ以上の返答を心得てはいない。
「ネズミを呼んでるみたいね」
白井は顔を右に傾け、手を口元に添えながら、絞るような声を上げて、愉快そうに笑った。こう素直に笑われてしまうと気が楽ではあるが、むっともしたくなる。
「ほっといてくれ。好きでこんな名前になったんじゃない」
「ごめん。宙他君なんて可愛い名前じゃない。似合ってて良いと思うよ」
似合ってるだと。どうしたら今出会ったばかりなのに、こんな名前が似合っているという言葉が出てくるのだ。
白井が右手を差し出した。
「これからよろしく、宙他くん。あ、いや若林さん」
失礼な爆笑にむかつきはしたものの、
「ああ、よろしく白井さん」と、ぼくは差し出された手を握った。




