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10.彼女の提案

 ふとぼくの服をつかんでいる彼女の袖を見ると、先のほうが黒ずんでいた。薄い色のものを着て机などに向かっていると、書いているものがこすれて袖に付着し、そこだけ黒く汚れてしまうことがある。ぼくにも経験のあることだ。洗濯機で洗ったって、そんなに簡単に取れない。彼女はここで一生懸命なにをしていたのだろうか。食事をする気も起きないほどの。強い目がぼくを見ていた。


「あんたが作ってくれればいいんだけど」


「ぼくが?」


 なんでぼくが作るという選択肢が出てくるのだろう。目の前に知らない人が空腹で倒れていたから料理をしたのであって、今元気になったその彼女が、料理をしたくないからといって、代わりにぼくがしてあげるというのは、やはりおかしな話だ。


「ちがう、大丈夫だって、落ち着いて」困惑するぼくを前に、彼女は落ち着かせようと両手を左右に振った。


「部屋が欲しいんだよね? できたらひとりになれる自分の部屋」


 確かにそうは言ったが、諦めているし、一体これとどういう関係が。


「家いっぱい部屋余ってるから、しばらく使ってなくて埃っぽいけど、自分で掃除してくれたらどこ使ってくれてもいいし。あんたが私にこれからごはん作ってくれれば一部屋くらい貸してあげてもいいよ。材料代はこっちで持つし、ここに来たときだけ作ってくれたらいいし、あんたの部屋にはいないときでも勝手に入らない。あ、これさっきから考えてたんだけど」


 彼女か出たさらっとした言葉は、突然降ってわいた涎のこぼれそうな良い話であった。ぼくにとって都合のいい条件だった。家にいるときは自分だけの空間なんてまったくなく、こっそり料理したり、料理の本やら、ときにはシェフのエッセイなんか読むときも、カバーを付けて何の本かわからないようにしていた。


 この家の部屋を貸してもらえるということは、いつドアが開けられて、父さんや母さんが覗きに来るかなんていうことを恐れなくていいということだ。


 まして作った料理は彼女が食べてくれるのだ。今まではどんなメニューを作っても自分で食べるしかなく、他人が食べたとき、本当においしいと感じるかどうかわからなかった。彼女ならきっと率直に意見を言ってくれるだろう。 


 初めは古くて暗くて幽霊でも出そうなお屋敷だと思ったが、よく見るとあまり日当たりが良くなく、そのせいで少し薄暗いのであり、また家具がどれも年代物のようで古臭いため、部屋の雰囲気をいくらかおどろおどろしく見せているだけのようだった。


 冷静に観察すると、そこら辺に人の住んでいる気配をうかがえた。机の上にはノートと鉛筆、数冊の本が転がっており、絨毯の上には脱ぎ散らかされた上着が無造作に投げ出されていた。こんな人通りのない古いお屋敷に、女の子が一人で住んでいるのは異様ではあるが、まぎれもない事実のようだ。


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