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俺に魔法は使えない。でも、なぜ王国の結界が落ちたのかは説明できる  作者: pj.masta


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第3巻 第十八話 捨てられた冬

レントがラグナへ戻ったとき、エマは製粉所の壁から、古い紙束を剥がしていた。湿気で糊が黒くなり、紙の半分は読めない。けれど、石臼の止まった日だけは太い炭で丸が打たれていた。


「王都では、これは異常値だそうです」


 ノアから届いた写しを見せると、エマは笑わなかった。丸印を三つ数え、臼の脇に置かれた欠けた歯車へ手を当てた。


「異常なら、なぜ毎年同じ棚にあるの」


 レントは答えず、紙束と現物を並べた。一年前の記録には、凍った水桶を割ったとある。牛舎の裏には、そのとき使った継ぎ目だらけの桶がまだあった。二年前の紙には、子ども一人が足の感覚を失ったとある。治療所のナダは薬棚の下から、焦げた毛布の切れ端を出した。火鉢を近づけすぎ、凍えた子の足を温めようとして穴が開いたものだった。


 三年前の紙は、もっと短い。『夜明けまで熱が届かず。老女、呼吸止む。』名前は書かれていない。余白だけが切り取られていた。


「誰の記録です」


 レントが聞くと、ナダは炉へ薪をくべた。


「名前を残すと、配給が止まった理由を問われる。問われれば、当番の誰かのせいにされる。だから亡くなった人まで、数にしないでおいた」


 炉の火は低かった。紙を読んでいる間にも、ナダは鍋の底を何度もかき混ぜる。粥が焦げないことと、三年前の死を帳簿に戻すことは、同じ手ではできない。


 レントは学校へ行った。倉庫の梁には、昔の避難名札が残っている。大人の名札は一枚ずつ、家へ帰った日に外された。子どもの札だけ、二枚が紐から外されずにいた。先生は新しい札をその上から掛けていたが、古い紙は消えていない。


「一人は足を悪くして、春まで教室へ来られなかった。もう一人は、父親が夜番へ出て、母親が治療所にいた子です」


 先生は言った。


「生きている人の記録も、冬が過ぎると片づけろと言われた。次の年に怖がらないように、と」


 レントは名札の紐を切らなかった。過去を飾りにするためではなく、どこまで熱が足りなかったかを示すために残す。


 午後、彼は牛舎でメラと会った。メラは割れた桶の継ぎ目を指で押し、昨年の搾乳帳を開いた。寒波の週だけ、乳の量が落ちている。粉の不足や凍傷の記録と別の帳簿なのに、日付は重なった。炉が消えた夜は、牛の水も凍り、子の粥も薄くなった。


「これを全部、熱の不足だと数えるのか」


「死者だけにしません」


 レントは言った。


「死ぬ前に、働けなくなる。食べられなくなる。次の冬へ持ち越すものが減る。その線まで見ないと、また同じ紙を除外する」


 夕方、製粉所へ戻ると、エマが古い紙を新しい板へ写していた。止まった臼、借りた火鉢、割れた桶、二つに分けた椀。誰かの失敗としてでなく、同じ寒波で重なったこととして並べている。


 レントは三年分の丸印を、王都の平均表の寒波週へ重ねた。毎年、同じ七日前後。偶然ではない。捨てられた冬は一度の不運でなく、制度が見ないことにした季節だった。


 ナダが炉の前から顔を上げた。


「証拠にしても、明日の火は増えない」


「増やすために、先に消える線を決めます」


 レントは答えた。紙の外へ追い出された死傷を戻しても、総量がすぐ増えるわけではない。だから次は、正しく計算された量が、なぜ村を凍らせるのかを見なければならなかった。


 その晩、レントは《連環視》を一度だけ使った。村の家々から延びる淡い線は、治療所、共同炉、製粉所、牛舎へ複雑に結ばれている。三年前の寒波週に限って、治療所へ入る線が細くなり、学校から火鉢の線が伸び、製粉所の線が夜半で途切れる。だが術が見せるのは、重なった候補だけだった。誰が何をいつ失ったかは、光の太さでは決められない。


 レントは光を閉じ、翌朝から足で確かめた。


 最初に訪ねたのは、学校の古い名札に残っていた少年の家だった。戸を開けたのは、今は背の伸びた青年だった。右足を引きずっている。彼は来客用の椅子を断り、火のそばの低い箱へ腰を下ろした。


「二年前、ここで寝ていた」


 青年は靴を脱ぎ、足首の外側を見せた。皮膚は白く硬く、指先へ向かうほど色が薄い。凍傷の痕だった。医者の診断書は残っていない。けれど母親が出した布袋には、搬送札が一枚入っていた。『学校避難室より治療所へ。夜二刻。足部冷却。』札の端は濡れて波打ち、裏には当番の印が二つある。


 日付は、青札の二日目と一致した。


「熱がなくて、父が火鉢を借りに行った」


 青年は言った。


「帰るまで待てと言われた。待っている間に、足の感覚がなくなった」


 レントは札を写し取った。痛みの話を数字に替えるためではない。青札の『火鉢借用』が、実際に誰の搬送へ続いたのかを、紙と身体の両方で確かめるためだった。


 次に治療所で、ナダは木箱を開けた。底には、古い搬送札と死亡札が麻紐で束ねられている。名前の欄が空白のものもある。村外から運ばれた者、家族が記録を断った者、当番が書く余裕をなくした夜の者だ。


 ナダは三年前の札を一枚選んだ。『午前四刻。呼吸浅。共同炉の熱、届かず。』裏へ『搬送中止』とある。次の札には、同じ家の番地と『死亡確認、日出前』。レントは二枚を並べ、製粉所の停止記録と照らした。石臼に太い丸が打たれた刻の後、治療所への熱が落ちている。


「名前を聞かないでください」


 ナダは言った。


「今も家族がここにいる。帳簿の穴を埋めるために、またあの夜を名前で呼ばせたくない」


「聞きません。札が示す順だけを残します」


 レントは答えた。死者を数へ戻すことは、家族から語る権利まで取り上げることではない。


 エマは製粉所で、臼の下に落ちていた金属片を渡した。三年前に歯車が噛み、石が半刻早く止まったときの欠片だという。ブラムはすでに亡く、詳しい説明は残っていない。だがエマは、その夜に父が粉袋を治療所へ運び、途中で袋を半分にしたことを覚えていた。


「粉が足りないからではなかった。臼が止まったら、夜番が直せるまで何も出ない。父は、朝まで待つ人の袋を軽くした」


 その証言は、原本の『一時増』より具体的だった。熱が不足しただけでなく、熱が不足した刻に臼も止まり、粥を作る粉が減った。術の線が重なって見えた理由を、現物と人の記憶が別々に裏づける。


 最後に、レントは共同炉の裏へ回った。壊れた炉の内壁が、雪よけの板の下に積まれている。三年前の寒波の後、急な加熱で割れたものだ。割れ目は黒く煤け、補修の土は何度も重ねられていた。エマの父の印がある修理札には、『当夜、炉壁裂。熱を治療所へ迂回』と書かれている。


 迂回した熱は、村を救うための判断だった。けれど共同炉から熱を外せば、別の家は冷える。誰かの悪意で死傷が生まれたのではない。足りない夜に、人がその場で選んだ順番が、翌年の紙では異常として消されただけだった。


 レントは、原本の写し、搬送札、死亡札、金属片、炉壁の欠片を布の上へ並べた。ノアの原本は寒波週の数を欄外へ押した。エマの証言は臼の止まった夜を示した。現物は、凍傷と炉壁と搬送の順を残している。どれか一つだけでは、原因を断定できない。重ねて初めて、紙にない寒波の重さが見えた。


 ナダが、札の束を箱へ戻した。


「これで、また数えられる」


「数えるだけでは終わらせません」


 レントは炉壁の欠片を拾った。冷たい破片は、手袋越しにも角が分かる。


「次の冬に、同じ順で誰かを失わないために使う」


 王都の表では、寒波週は毎年、平らな線の外へ置かれていた。だがラグナには、足の痕、裂けた炉、名前のない札が残っている。


 レントはその日の照合表に、見つけたものを一列ずつ記した。年、寒波の始まり、原本の赤丸、臼の停止、炉壁の破損、搬送札、死亡札。空欄も残した。名を聞かなかった札は、空欄のままにする。書けないことまで埋めれば、また別の形で人を紙に従わせてしまう。


 エマがその表を読み、臼の停止欄へ小さく足した。


『夜番、二人。片方は凍傷の手で作業』


 それは帳面の量にはならない。だが、石を回した人の手が働けなければ、同じ量の麦があっても粉は出ない。レントは消さなかった。原因は一つの線ではなく、寒さの中で重なった幾つもの現物にあった。


 外では、共同炉から上がる煙が細くなった。レントは次の寒波までの残り日を数えず、今夜の炉に必要な薪を確かめた。過去を記録へ戻すのは、明日の選択を軽くするためではない。何を切れば誰が傷つくかを、もう見失わないためだった。


 紙束をしまう前に、レントは凍傷の青年の搬送札をもう一度見た。二つの当番印は薄く、今にも消えそうだった。それでもその夜、誰かが学校から治療所まで走ったという事実だけは、札の繊維に残っている。冷えた朝まで。


 過去三年も同じ死傷が隠れている。

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