第3巻 第十四話 同じ一単位
レントは、蓄魔車の側板に残った霜を指でなぞった。
治療所へ一刻分を運んだあとの車は、空に近い。車輪のそばに付いた小さな計器石は、残りの光を細い線で示している。数だけ見れば、まだ一単位をどこかへ回せる。
だが、治療所でその一単位は、薬湯を煮直す火になった。学校では、子どもを早く起こし、毛布を配るための一刻になった。牛舎では、乳を一桶減らして子牛へ飲ませる朝になった。
同じ言葉でまとめると、何も見えなくなる。
「次は製粉所です」
ミナが言った。
村の共同製粉所は、川沿いの低い場所にある。石臼の部屋へ入ると、麦の粉が鼻に付いた。臼は止まっている。止まっていても、室内の石だけが夜の冷えを残し、手を置けば指の節が痛む。
ブラム・オルゼは、臼の脇で麦袋を開けていた。五十三歳の大きな手が、麦粒を一握りすくう。粒は乾いている。粉にできればパンになる。だが臼を回す補助流を入れれば、村の流路から熱が引かれる。
「一単位で、どれだけ挽けますか」
レントが聞く。
「朝の配給なら三十戸分。臼が冷えきってなければな」
「治療所なら、薬湯を二回。学校なら、火鉢を一刻」
「だから、粉を後にしろと言いに来たのか」
ブラムは麦を袋へ戻した。
「言いに来たのではありません」
「なら、何を聞く」
「粉にならないと、誰がいつ困るかです」
ブラムは臼の下に溜まった古い粉を掬った。手のひらに広げると、白い粉は湿り気を吸って指へ貼りつく。
「今朝、パンを焼けなければ、治療所の薬を飲む前に腹が空く者がいる。乳を搾れなかった家は、麦粥で子どもの腹を満たす。粉は、火の代わりになる飯だ」
レントは答えなかった。治療と製粉を、同じ単位で比べるために来た。だが一方を数字にすれば、他方の空腹を小さく書くことになる。
製粉所の外で、王都から届いた配分札を持つ使いが待っていた。札には、優先供給先が並ぶ。王都治療工房、軍需工房、中央蓄魔庫。使用時刻の欄は、三つとも空白だった。
「時刻がない」
レントが言うと、使いは困ったように札を抱えた。
「量だけの割当です。どの刻に使うかは、王都側の内訳にはありません」
ミナが札を受け取る。ミレアでは一単位が朝の身体を分ける。王都工房の一単位だけ、何をいつ守るのか書かれていない。
レントの視界に、薄い線が見えた。配分札から北の流路へ、製粉所から治療所へ、牛舎から学校へ。線は重なり、どれが先かを教えない。
「これは仮説です」
彼はミナへ言った。
「王都の一単位が昼に余っているなら、朝の村へ回せるかもしれません。でも、用途欄が空白では確かめられない」
ブラムが石臼へ手を置いた。
「確かめてる間に、麦は粉にならん」
臼の下で、昨日の粉が一握りだけ崩れた。
レントは製粉所を出ると、治療所へ戻った。ナダは薬湯を二椀並べ、どちらへ先に蜂蜜を落とすか迷っていた。熱が届く一単位は、ここでは薬を煮るだけでなく、苦い薬を飲める形にする時間でもある。
学校の火番表、牛舎の空桶、製粉所の麦。三つを頭の中で並べても、優先は出てこない。出せるのは、同じ熱がそれぞれで何を失わせるかという問いだけだった。
王都工房の札の空欄は、その問いを受け取らない。レントは札を折らず、ノアへ渡すために布へ包んだ。
その足で、レントは学校の前を通った。早く起こされた子どもが、毛布を肩へ掛けたまま湯を飲んでいる。火鉢一つを治療所へ回した一刻は、ここでは授業を遅らせ、乾かす靴を減らす一刻になった。
さらに牛舎では、空桶が一つ壁に残り、製粉所では麦が石の脇で待っている。治療所の鍋では、薬を飲めない女が匙の先の一口を待つ。
同じ一単位を、どこへ入れたかではない。そこへ届かなかった時、誰がどの手を止めるかが違う。
レントは札の王都工房の欄を、指で押さえた。治療工房なら薬かもしれない。軍需工房なら防具かもしれない。中央蓄魔庫なら、次の都市の非常用かもしれない。空欄のまま想像だけで削れば、ここでしてきたことと変わらない。
「用途を聞きます」
ミナが言った。
「聞いて、昼に使うものなら」
「朝へ回せる可能性はあります。ただ、今は可能性です」
レントは頷いた。連環視の淡い線も、答えではない。学校の火番表、牛舎の木札、ブラムの粉袋を並べて初めて、一単位の先にある生活が見え始める。
王都工房だけ、札の用途欄が空白だった。
レントは村を一周して、同じ一単位が残したものを自分の目で確かめた。治療所では、女が三口目の薬湯を飲めた。学校では、火を小さくしたぶん、子どもが早く起きて靴を乾かしていた。牛舎では、乳が一桶少なく、子牛は腹を満たしていた。製粉所では、臼が止まり、麦は袋の中で硬いままだった。
どれも「供給した」「供給しなかった」の二つにはならない。熱が一刻遅れれば、薬の匙が半刻遅れ、乳を運ぶ子が学校へ遅れ、粉を挽く夜番が増える。
ミナは蓄魔車の計器石を覗いた。
「残りは、もう一単位ありません」
「なら、次の一単位を作るまで待つ」
「昼の王都向けが流れ始めれば、村側はさらに薄くなります」
レントは空欄の札を見た。用途が不明でも、王都の流路へ決まった量が出れば、村の一単位はまた何かを止める。
「ノアさんへ渡します。用途を聞く時、村の不足量だけを言わないでください」
「何を言う」
「朝の治療、乳、学校、粉が、どの刻に止まったかを」
レントは答えた。王都の工房が何を守っているかを知らずに責めないためにも、こちらが守れなかったものを生活の刻で渡す。
薄い線は、札から村の石箱へ伸びていた。だが線の先にいる人の朝を決めるのは、レントではない。彼は線を見送るだけにした。
レントは札を持ったまま、もう一度治療所へ入った。朝の一刻を借りた火は、すでに学校へ戻されている。炉の口は小さく、ナダが薬鍋の底を布で拭っていた。
「一単位があれば、何をします」
「鍋を温め直す」
ナダは答えた。
「でも、それだけではない。薬を飲んだ人の背を温める。吐いたら、また一口を作る。熱が切れたら、呼吸が浅い人から毛布を寄せる」
寝台の女が、浅く息を吸った。エマが湯袋の結び目を直している。熱が止まれば、薬湯を一椀減らすだけではない。女の呼吸を聞く手が、次の寝台へ移れなくなる。
家へ戻る途中、レントは炉の前に座る老人を見た。家の火は小さく、鍋には雪を溶かした水がある。老人の娘は薪を割りに出ていて、戸の隙間を布で塞いでいた。
「一単位があれば、家では」
娘が戻って答えた。
「父を寝かせる。いまは座らせてる。寝ると背中が床へ冷えるから」
同じ熱で、治療所では呼吸を保ち、家では老人を横にする。レントは炉の前の敷藁を見た。火が来なければ、娘は夜も父を座らせ、翌朝の薪割りへ出られない。
製粉所では、ブラムが石臼の歯へ指を入れていた。熱を回さなければ、臼は冷え、麦は粉にならない。粉にならなければ、薬を飲む前の粥がない。家の炉と製粉所を別の欄に置いても、椀の中では繋がっている。
「一単位を止めたら」
レントが聞く。
「パンが明日の朝から薄くなる」
ブラムは言った。
「すぐ腹は減らん。だが、薪を割る手が昼に止まる。遅れて困るものほど、帳面では軽く見える」
レントは一歩下がった。連環視の線が、炉、鍋、臼、牛舎を淡く結ぶ。線は一単位の行き先を示す候補でしかない。止めた時に誰が息を詰め、誰がパンを薄くし、誰が働く手を失うかは、歩いて聞かなければわからない。
王都工房の空欄だけが、その問いへ返事をしなかった。
村の出口で、レントは蓄魔車を止めた。車の中には、次の一単位を溜める石が二つ並んでいる。満ちるまで待てば、その間に治療所の鍋は冷え、牛舎の乳は配られ、学校の火番は次の刻へ移る。
「どこへ持っていく」
御者が聞いた。
「まだ決めません」
レントは言った。
「決めるために、今日見たことを持ち帰ります。治療所は薬湯だけではない。家は炉だけではない。製粉所は麦だけではない」
御者は首を傾げたが、車の手綱を緩めた。
「王都の分は」
「用途を聞くまでは、余っているとは言えません」
空欄の札を布から出す。紙は軽い。けれど、そこへ刻が書かれていないために、村の朝は何度も後ろへ押される。
レントは札をノアへ渡すため、会館への坂を上った。背後では、製粉所の石臼がまだ止まり、家の炉の煙は低く、治療所の戸は閉まったままだった。
王都工房だけ、用途欄は空白だった。
風が坂を下り、札の端を鳴らした。レントはそれを押さえ、空欄を埋める答えを自分の目だけで作らないと決めた。
村の一単位は、誰かの一刻を待たせていた。




