第3巻 第十三話 学校の一刻
ノアが学校へ着いた時、教室の窓は内側から白く曇っていた。
朝の授業をするはずの部屋には、机が壁際へ寄せられ、藁の上に子どもと大人が眠っている。夜の避難室として使ったまま、まだ誰も家へ戻れていない。中央の火鉢には灰が多く、火の芯だけが赤い。
「火をください、とは言いに来ません」
ノアが言うと、教員のティナは炭の火箸を止めた。
「では何を」
「日の出前の一刻を、治療所へ回したいとエマさんが頼んでいます。代わりに、学校がいつから熱を必要とするかを、ここで決めたい」
ティナは窓の下の寝床を見た。母親が二人の子を抱え、老人が外套を頭までかぶっている。火鉢が弱まれば、起きる前に咳をする者が出る。
「決めるのは、私では足りません」
教員は教室の隅を指した。子どもたちが、床板へ細い炭線を引いている。鐘の絵が四つ。最初の鐘の下に「おこす」、次に「水」、三つ目に「火を寄せる」、最後に「授業」と書かれていた。
「誰が書いたんですか」
「この子たちです」
ティナが答える。
背の低い少女が、炭を持ったまま言った。
「夜の火番表。大人が眠ると、火を見てる人がいなくなるから」
「一刻目は、誰が」
「私とミロ。火を見て、灰を寄せる。二刻目は先生。三刻目はお母さんたちが起きる」
ノアは床の線を見る。治療所へ熱を回せば、最初の鐘から二つ目まで、火鉢はさらに小さくなる。ここで眠る者は、寒いからといって皆すぐ家へ戻れるわけではない。家の炉が切れた者、雪で戸が閉まらない者、子どもの咳がひどい者がいる。
「一刻だけなら、火を小さくできます」
ティナは言った。
「ただし、子どもを起こす鐘を早める。寝ている間に冷えるより、起きて膝掛けを配る方がましです」
母親の一人が目を覚ました。話を聞いていたらしい。
「うちの子は、朝の乳を待っている」
「牛舎の分は、半刻遅れるそうです」
ノアが答えると、母親は子どもの髪を撫でた。
「なら、起こして待たせる。寝ていても腹は減る」
教室の一番奥で、ユリクと同じくらいの少年が手を挙げた。
「火番、俺もできる。昨日は咳が出たから外されたけど、今日はまし」
「だめ」
ティナが言う。
「火番は、眠い子が一人でやる仕事じゃない」
少女が炭線の横へ、二人組と書き足した。ノアはそれを見て、紙の上の配分より先に、誰が起きて火を見られるかが学校の一刻を決めているのだと思った。
「治療所へ回す間、ここには何が残る」
ノアは尋ねた。
「火鉢一つ。湯桶二つ。起きた子へ配る毛布」
ティナは指を折った。
「授業は遅らせます。避難している人が出てから」
「それを、村の配分席へ伝えていいですか」
ティナはすぐ頷かなかった。
「学校が後回しでいい、と書かれるなら困ります」
「書きません。学校が必要とするのは、朝の一刻目からだと書きます」
ノアは床の火番表の横へ、小さな紙を置いた。教員の名だけでなく、火番をした子どもの印、避難している家の数、火を小さくした開始刻を書く欄がある。
「学校を空ける時刻は、ここで決めてください。配分席は、それを前提にします」
少女は自分の名前を書けず、家の印を描いた。丸の中に三本線。ティナが隣へ名を添えた。
外で、治療所へ向かう蓄魔車の鈴が鳴った。火鉢の芯が一度、細くなった。
子どもたちは、授業の鐘より早く起きるための火番表を、床から剥がさなかった。
ノアは教室の外で、早く起きた子どもへ湯を配るのを手伝った。椀は数が足りず、二人で一つを交代に使う。熱い湯を多く飲む子と、手を温めるだけの子がいる。
「同じに分けないの」
ノアが聞くと、少女は首を振った。
「小さい子は飲む。大きい子は手でいい。昼に歩いて帰る人は、靴にかける」
配分を受ける側が、すでに削る順番を持っている。ノアはそれを勝手に紙へ整えず、ティナへ尋ねた。
「この順番を、村の席で言えますか」
「言う。けど、子どもに決めさせた、と書かないで」
「書きません。子どもたちが朝に何を必要としたか、と書きます」
火番の少女は、鐘の絵の下へ湯桶の印を一つ増やした。治療所へ熱が行った一刻、学校では火を待つだけでなく、起きる順番と椀の順番を作り直していた。
ノアは教室の隣の小部屋も見せてもらった。普段は地図と読み書きの本を置く場所に、濡れた外套が何枚も掛かっている。窓際の机には、避難している家ごとの小さな包みが並ぶ。赤子の布、老人の薬包、朝に履く靴。
「授業は、どこでします」
「火が戻れば、この部屋です」
ティナは答えた。
「でも今は、靴を乾かす場所の方が要る。濡れたまま帰せば、今夜また誰かがここへ来る」
教室を避難室にすることは、授業を止めることだけではない。机を寄せ、火鉢を見守り、眠る家族の荷を置き、朝に乾いた靴を渡す仕事が増える。
窓の下で、二人の子が板切れを並べていた。片方には「火」、もう片方には「水」と炭で書いてある。
「何をしてる」
ノアが尋ねると、年上の子が言った。
「先生が寝たら、どっちを見に行くか決める。火だけ見てると、湯桶が空になる」
「大人に言われたのか」
「昨日、湯がなくなったから」
小さな板は、子どもたちの失敗からできた表だった。ノアはそれを取り上げず、ティナへ向いた。
「学校の必要は、火鉢の熱だけではありませんね」
「火を見に起きる人の数と、湯を運べる手も要ります」
ノアは配分席へ持ち込む紙の端に、学校・一刻とだけ書くのをやめた。火番二名、湯桶、乾燥中の靴、避難家族。書けるものを書き、書ききれない部分はティナが話せるよう空けた。
授業の鐘は鳴らなかった。代わりに子どもたちが、自分で火番を交代する刻を指差した。
ノアは校庭へ出た。雪の上には、夜に避難してきた家族の足跡と、朝に水を汲みに出た子どもの小さな足跡が重なっている。教室の火を一刻減らすと決めても、誰が家へ戻れるのかは別の話だった。
戸口にいた父親が、濡れた靴を持ち上げた。
「乾かなければ、昼の薪運びへ行けない」
「火鉢のそばに置く場所を作ります」
ティナが言った。
「ただし、靴だけを置けば子どもの寝床が減る」
ノアは机を運ぶのを手伝った。机の脚を上にして並べ、下へ靴を吊るす。火に近づけすぎれば革が縮む。遠ければ昼まで湿ったままだ。子どもたちは、火番表の「水」の板を一枚ずらし、乾かす靴の数を数えた。
「これも学校の一刻です」
ティナは言った。
ノアは頷いた。授業を遅らせた時間は、失われた時間ではない。避難室を昼へ戻し、薪を運ぶ父親を外へ出し、子どもが夜またここへ戻らずに済むための時間だ。
彼は紙の端へ「授業遅延」と書きかけ、やめた。「避難室から教室へ戻す刻」と書く。言葉を替えるだけでは熱は増えない。それでも、学校をただ削られた場所にしないために、誰が何をしているかを残す必要があった。
火鉢の火が少し戻ると、少女は板へ新しい印を足した。靴の絵の横に、家の印が三つ並ぶ。ノアはその板を持ち帰らず、夕方にティナが持って来ることを約束した。
教室の奥で、ユリクが毛布を膝へ掛けて座っていた。治療所から運ばれる前に、学校の避難室へいたことがあるという。指にはまだ布が巻かれ、鉛筆を握れない。
「授業の火を減らすと、誰が一番困る」
ノアが聞くと、ユリクはすぐには答えなかった。窓の曇りを見てから、火鉢の近くにいる年少の子を指した。
「小さい子。でも、寝てる人も」
「大人は毛布がある」
「毛布だけだと、朝に起きられない。薪を運ぶ人が寝てるから」
ティナが頷いた。授業用の暖房を削れば、黒板の前が寒くなるだけではない。夜の避難室で眠る父親が起きられず、朝の薪と水を運ぶ手が減る。子どもを教室へ入れるための火は、翌日の仕事を起こす火でもある。
ノアは寝床の数を数えた。藁の列は九つ。だが毛布は十二枚あり、家族で寄れば十六人までは入るという。火鉢を小さくする一刻は、毛布を寄せる家が増える一刻だった。
「今夜、何人受け入れる」
ティナは火番表の裏を返した。そこには、家の印と人数が並んでいる。大人の配分紙には、火鉢一つ、湯桶二つとしか書かれない。子どもの板には、眠る場所、起こす順、靴を乾かす順まである。
「十六人。これ以上は、教室の火を増やしても寝かせる場所がない」
「入れない人は」
「家へ帰すのではなく、集会所の床を開ける。学校の火が足りないからと、外へ出す順にはしない」
ノアはその言葉を紙へ写した。暖房を削るかどうかは、熱の量だけでは決まらない。誰を起こし、誰を寝かせ、満員になった時にどこへ移すかまで、学校の一刻には含まれていた。
ユリクは火番表の端を指で押さえた。
「これ、残して。朝になっても」
「なぜ」
「次の夜、また忘れるから」
ノアは板を持ち帰らない約束を、もう一度頷いて返した。次の冷える夜のために。




