第3巻 第十話 火のない家
夜の深さを測るのに、レントは時計を使わなかった。あたたかそうに燃えていた炉の炎が、壁の隙間から入ってくる風で一度小さくなる。その後、水壷のへりが白く曇る。そこから先が、その家の夜の最低熱だと思っていた。
ミレアの村に入ったとき、レントは鉄の棒と薄い木板を持っていた。棒は壁のそばまで突き立て、雪がどこまで凍っているかを見るため。木板は炉の前に置き、黄茶色に変わるまでの時間を比べるためのものだった。熱を数にする道具はない。だから、人の手と、冷える物が代わりになった。
「火がないって書くなら、炉がない家だけじゃない」
エマはレントの隣を歩きながら言った。雪を道の脇へ追いやると、家々の屋根から不揃いな煙が上がっている。それでも、中で寝られるかは別の話だった。
「書きません。炉があっても、朝まで炭が残らない家はまず見ます。その次に、何人がその熱の中で寝るか聞きます」
一軒目は、家の中に子供の声があった。母親が炉の炎に厚い鍋をかけ、その後ろで三人の子供が古い毛布にくるまっていた。壁は粘土で埋めてあるが、窓の板の下から風が細く吹き込んでいる。
「何人」
「私と子供三人。夫は山道の見張り」
レントは、炉の横の木板に、窓板の隙間から風が届く位置まで線を引いた。夜中には窓の板が凍って、開かなくなるという。火が消えたから冷えるのではない。火のあるわずかな場所に、大人一人の代わりに子供三人分の息が重なる。
「水壷のへりが白くなるのは」
「夜の真ん中。でも、子供を炉のきわに寄せると、母親の場所がなくなる」
レントは木板の端へ、「四人、窓板の風、夜中結露」と書いた。その横に、「炉はある」とも書き足した。火があることは、この家の夜をもっている証拠にはならない。
二軒目は、屏風の向こうに年寄りが一人寝ていた。火起こしはすでに消え、石の炉床はわずかにぬるい。年寄りは、丈夫な木戸から離れた壁際の寝台で、膝まで毛布を引き上げていた。
「燃料がないのか」
「ないわけじゃない」と年寄りは言った。「夜に二度起きて継ぐより、最初から短くした方が立ち上がれる。起き損なうと、火より先に自分が冷えるから」
壁は厚く、炉の造りも良い。但し、同居人数は一人だった。その一人の手で、燃料も炉も夜中の水も守らなければならない。レントは炉の口から炭の小さないきれを拾い、「一人、燃料あり、継ぎ手なし」と書いた。
三軒目は、家というより、共同炉の空き室だった。雪が屋根を破ってから、三軒の家がひとつの広間に移っている。炉は中央に一つ、燃料は持ち寄り。壁はあちこちが厚い布で塞がれていた。
子供は炉の近くで寝、年寄りは壁側の寝台にいた。元の家の炉が使えなくなった家族は、煙の流れる戸口で夜を度す。そのため、火の近くには人が多く、壁の側には少ない。それは素直な配置ではなかった。互いに起きる回数と、小さな子が咳をしたときの近さが決めていた。
「みんな、ここが一番あたたかいと思っているのか」
レントが聞くと、炉の火番をしていた女性が首を振った。「あたたかいよ。けど、あたたかいから、子供をどこへ寝かせるかを決めるのが大変なの。今日はこの家、明日は別の家の子が炉の脇」
レントは木板に、「十二人、炉一つ、寝台の移動あり」と書いた。平均すると十二人の家になる。けれど、実際には、明日の冷えを誰が受け持つかを、今夜の中で入れ替えている家だった。
日が傾いて、レントとエマは最後の一軒へ向かった。村の端、水路の堰の下にある小さい家だった。屋根の雪は落としてある。壁は新しい板で支えられ、炉の煙も細くまっすぐ上がっていた。外から見れば、この日まわったどの家よりも、火を保ちやすそうに見えた。
中には、母親と小さい女の子がいた。炉にはまだ熾火の残る赤い炭が入っている。壁に手を当てると、午後の冷たさはない。レントは木板を炉の前に置き、水壷を壁の隣へ置いた。
「二人。壁の剥がれなし。炉の燃料は」
「三日分。ただし、女の子が寝た後は減らす」
「なぜ」
母親はすぐには答えなかった。小さい女の子は、炉の前で木片を並べていた。エマがその子の肩へ毛布をかけ、レントの答えを待った。
「夜の最後、火があっても家が冷える。ここだけ。だから、熱を残すと、明け方まで持たない」
レントは、壁の板の継ぎ目を一つずつ押した。風は入っていない。屋根から滴る水もない。炉の煙突は黒く歪まず、燃料の量もほかの二人家と変わらない。それでも、木板の色が、ほかの家のものより早く褪せた。
レントは木板に書きかけた。「屋根」。だが、その後の字は書かなかった。壁と炉だけを見て、家の奥で熱がなくなる理由は決められない。能力が見せたものも、ただ「冷えが早い」という輪郭しかなかった。
「今夜、もう一度来ます。炉の横と、寝台の下と、外の水路のそばに、それぞれ水壷を置きましょう。凍る順番を見たい」
その日の夕方、レントは一度、共同炉の広間へ戻った。真ん中の炉は、昼より高く炎を上げていた。だが、壁側の寝台にいた年寄りの足先は、既に毛布の中で青白くなっている。炉の強さを聞くのではなく、レントは寝台から炉までの歩数を数えた。
「寝台を替えるのは、どの刻だ」
火番の女性は、指の関節で答えた。「一度目は子供が寝た後。二度目は灰をかき出すとき。三度目は、年寄りが水を飲みたがるとき」
三度目は、炉のあたたかさとは関係がないように思えた。けれど、年寄りが起きると、子供が寝ている傍を通ることになる。火番は火を整えるか、水を渡すか、どちらかの手を一度止める。共同炉の熱は多くても、その熱のまわりの手が足りない。
レントは、木板の「寝台の移動」の後ろに、「水の刻」と書き足した。家の中の人数は、炉の前の人数だけではなかった。寝台から起きる人の数と、水を渡す人の数まで入っている。
単身の年寄りの家にも、灯がついていた。レントが戸を叩くと、昼のあの年寄りが、炉の前で金属のはさみを持っていた。燃料の束を二つに割り、それぞれに紐をかけている。
「今夜の分と、明日の分か」
「そうさ。ひとつの束にしておくと、寒いときに全部炉に入れたくなる。明日の自分が冷えるのは知っているから、先に紐で止めてる」
炉の形も壁の厚さも、この家は悪くない。けれど、燃料は一度きり分けられず、毎回一人の手で分け直される。レントはその方法を「弱い」と書かなかった。炉の熱を誰かの手で保つから、二度目の火立てまでは持つ家なのだった。
夜の二刻目、エマとレントは最後の家へ戻った。外の水路の水壷は、すでに薄い膜を張っている。寝台の下の水壷のへりにも、白い輪が出ていた。だが、炉の横の水壷の表面にまで、細い氷が浮かんでいる。
「炉の横が、先に」
エマがささやいた。レントは炉の口を見た。炭は残っている。火が死んだわけではない。だが、女の子の息が白くなり、母親は三日分の束から、二本目の薪を取り出した。
レントは、木板の空いていた行の下に、それだけを書いた。「炉近く、二刻目に氷」。原因は、まだ一つにならない。壁か、水路か、燃料の自然な減り方か。どれかだけを選ぶには、今夜の観察はまだ浅すぎた。
レントは鉄の棒を持ち、炉の後ろの板と寝台の下の土を軽く叩いた。響きは違った。けれど、穴があるとは言えない。板の隙間に水が回っているかも、今の金属の音だけでは分からない。
「その部分、壊れてるの」
エマの問いに、レントは棒を抜いた。「分からない。壊すと、今夜の家をもっと冷やす。見るのは明るい時間にします。今は、冷える順番と、母親さんが薪を追加する刻を残す」
母親は、火かき棒を持ち直した。「一度目は、女の子の手が冷たくなったとき。二度目は、炉の水壷が白くなったとき。今日は、二度目が早い」
レントはその言葉を、木板の空欄の下へまっすぐに書いた。能力が先に指すのは、ものの輪郭までだった。その輪郭が誰かの夜にどう刺さっているかは、この家の人の言葉と並べなければ分からない。
母親は、三日分と言った燃料の束を抱えたまま、うなずいた。エマは、レントの木板の空いた行を見た。
「まだ書かないの」
「あったかった火が、なぜ冷えるかを、まだ知らないからです」
エマは炉の前へ寄って、火かき棒の先で炭を寄せた。明るい火が一度だけ盛り返した。それが母親の求める答えではないことを、レントは知っていた。強い炎がどこへ逃げるかは、まだ誰も知らない。
レントは木板を胸元にしまった。その行は、誰かを責めるための印ではない。明るい朝まで、この家の冷えを消さないための印だった。
大きな火のある家ではなかった。火を残しているのに、夜の底でだけ、火のない家になる家だった。




