第七話 三日で証明せよ
「主流弁を閉じろ!」
ガルドが怒鳴った。
ミナが壁際の大きな輪へ手をかける。
「待て。お前さん一人じゃ回らん」
セラが右腕で加わった。二人が力を込めても、輪は動かない。ガルドは工具袋から短い鉄棒を取り出し、輪の隙間へ差し込んだ。
「合図で押せ。三、二、一!」
金属がきしむ。
輪が少しずつ回り始めた。
「レント! そこの黄線から出ろ!」
床には炉を囲むように黄色い線が引かれていた。蓮人は意味を理解していなかった。言われた通り、線の外へ下がる。
次の瞬間、停止した水輪の接合部から、白い蒸気が噴き出した。さっきまで蓮人が立っていた場所を覆う。
熱風が顔を打った。
「何が起きたんです」
「冷却水が止まって、炉の熱だけが残った。圧を逃がしてる」
ガルドは別の小弁を開いた。細い管から濁った水が床の溝へ流れ込む。
「結界は」
セラが問う。
「まだ維持しています」
ミナは確認石を見ていた。
「北塔出力、低下なし。南塔も正常」
「水輪が止まっても、すぐには落ちないんですね」
蓮人が言う。
「炉に残った冷えがある。だが長くはもたん」
ガルドは壁の一角へ歩き、石板を外した。その奥に、手のひらほどの小さな弁がある。
「補助流路を開ける。ミナ、炉心温度を読め」
「入口しか測定石がありません」
「色を見ろ」
黒い石柱の表面を、青い筋が走っている。青から紫へ。紫から赤へ変わり始めていた。
「紫が半分」
「まだ間に合う」
小弁が開くと、石壁の奥から水音がした。水輪がゆっくり動き出す。
最初は途切れ途切れに。
やがて一定の唸りへ戻った。
「戻ったから終わりじゃねえ。蒸気を抜く」
ガルドは床の排水溝へ鉄板を渡し、工具袋から三本の鍵を出した。
「上の逃がし弁、ここ、補助流路の順だ。一つずつ開ける。二つ同時に触るな」
ミナが上弁へ向かう。
「術師は炉心を見てろ。弁は俺がやる」
「私は運転手引きの停止操作を知っています」
「その手引きに載ってねえ弁だ」
「なら、なおさら一人で触らせられません。操作を口頭で説明してください」
ガルドの眉が吊り上がる。
「説明してる間に圧が上がる」
「あなたが倒れたら、説明できる人がいなくなります」
二人の声の間で、逃がし管が甲高く震えた。蓮人は鉄板の外へ下がったまま尋ねた。
「いま決める必要があるのは、誰が上手いかですか。それとも、三つの弁を安全に開けることですか」
ガルドは舌打ちし、一本目の鍵をミナへ投げた。
「右へ四分の一。蒸気が白から透明になったら止めろ。音が高くなったら戻せ」
ミナは両手で鍵を受ける。弁をゆっくり回すと、管の先から白い蒸気が噴いた。床の水へ触れ、石を打つような音を立てる。
「炉心、青。入口圧、七十四」
「弁の音も言え」
「低い連続音。変化なし」
ガルドが二本目を操作する。三本目はセラが時刻を数え、ガルドの合図でミナが開けた。職人の手順と術師の数値が、初めて同じ作業の中へ並んだ。
蒸気が細くなるまでに、布が二枚濡れ、ガルドの腕には赤い筋がついた。ミナは記録板へ、誰がどの弁をどこまで動かしたかを書き足した。
「正式手引きには、あとで入れられますか」
「主任が認めりゃな」
「認めなくても、今日の記録には残します」
主流弁の下には、熱で膨らんだ革の封止材が残った。
「交換する」
ガルドが工具をかけると、主任付きの術師が止めた。
「規格品ではない。勝手な部材を入れるな」
「規格品は王都へ申請して三十日だ。こいつは今日もたせる仮設だ」
「事故は誰が責任を取る」
「交換せず漏れたときは誰が取る」
二人の言葉がぶつかる。選択肢は承認のない部材を入れるか、膨らんだ部材を残すか。何もしないことも現状維持という選択だった。
「使用時間を決められますか」
「一晩。明朝、必ず開ける」
「漏れの確認は」
「下に乾いた灰を敷く。水が落ちれば色が変わる」
「一晩限定、明朝交換判断、灰を夜番が確認。条件を記録して使う」
術師は不満そうだったが、代案を出さなかった。
ガルドが革をはめ、ミナが時刻を読み、セラが灰の確認を巡回へ加える。応急処置は安全の証明ではない。危険を一晩だけ管理できる形へ変えただけだった。
「炉心、青へ戻ります」
ミナが息を吐いた。
壁の測定石は、その間ずっと緑色だった。
「いまの手順は、運転手引きにありますか」
蓮人は尋ねた。
「あるわけねえ」
ガルドが鉄棒を拭く。
「補助流路は、二十年前に俺と親方で付けた。冬に主流路が凍ったときのためだ」
「図面にない細い管とは別ですか」
「別だ」
「では、あの管は?」
ガルドは答えず、炉室の扉へ向かった。上階から複数の足音が下りてきた。
先頭は結界庁の主任だった。代官庁の衛兵を四人連れている。
「何をしている!」
主任は炉室を見回し、顔を赤くした。
「封鎖中の設備へ、許可なく侵入するとは」
「冷却輪が停止した」
セラが答える。
「補助流路で復帰済みだ」
「停止? 測定石は正常ではないか」
「見ていただけだと、正常でした」
ミナが言った。
「ですが、水輪は完全に止まりました。炉心色も紫まで上昇しています」
「補助術師が、私に運転判断を教えるのか」
「事実を報告しています」
ミナの声は震えていた。
それでも目を伏せなかった。
「その事実とやらは、記録されたのか」
「はい。時刻、停止音、炉心色、暫定対応を記録しました」
「正式運転簿へ書くな」
主任は即座に言った。
「代官閣下より、北塔は正常稼働中との告知が出ている。誤解を招く」
「止まったものを、止まっていないとは書けません」
「命令だ」
ミナの指先から血の気が引いた。
蓮人は口を挟もうとした。
その前に、セラが一歩出る。
「停止時刻と対応は、守備隊の警備記録にも残す」
「副隊長」
「結界停止へ至る可能性があった。守備隊の管轄だ」
主任は反論しようとして、衛兵の後ろに立つ人物へ目を向けた。
灰色の法衣を着た若い書記官がいた。まだ二十歳にも見えない。眼鏡の奥で、忙しく筆を動かしている。
「ノア。いまの発言は書くな」
主任が命じた。
書記官――ノアの筆が止まる。
「ですが、随行記録は発言を省略せず――」
「責任者の判断に従え」
「承知しました」
ノアは紙から筆を離した。
ただし、書き終えた行を消しはしなかった。筆を置くとき、ノアは紙束の一番下を折った。
蓮人には文字が読めない。それでも、折り目の下に別の紙が隠れていることはわかった。古い封印の端と、「北塔」の印らしい塔の図が一瞬見えた。
「その紙は」
蓮人が尋ねる。
ノアは紙束を閉じた。
「随行記録です」
「いま書いたものではないですよね」
「あなたには読む権限がありません」
平坦な答えだった。
主任の前だから言えないのか、蓮人を信用していないのかは判別できない。
「北塔に関係する資料なら、存在だけでも――」
「資料は、正式に請求された範囲で開示します」
ノアはそれ以上答えず、古い紙を法衣の内側へしまった。
何かを知っている。
だが知らせないと選んだ。
ミナの記録を止めようとする主任とは違う。消さずに保留している。それでも、いま必要な者へ届かなければ、ないのと同じだった。
炉室の上で昼鐘が鳴った。市場再開の時刻だった。
蒸気抜きに使った灰は濡れ、仮設材には交換時刻の札が下がっている。塔は動いたが、通常へ戻ったわけではない。
「告知では正常稼働中です」
ミナが言う。
「告知を訂正する権限は私にはありません」
ノアは法衣の内側の紙へ手を当てた。
「監察官が来れば、要求された原本を出す義務があります」
「それまでに事故が起きたら?」
ノアは答えなかった。規則を守って保存することと、必要な時刻に使うことは違う。その間で、若い書記官も選べずにいた。
主任が去る前、ノアは濡れた灰を一つまみ、紙片へ包んだ。
「何のためです」
「仮設材が漏れなかったことを、明朝の色で照合します。今夜の灰と同じ物でなければ比較になりません」
資料の存在を伏せた男が、現場の証拠は誰にも命じられず残す。
「その記録も見せてもらえますか」
「正式請求があれば」
ノアは同じ返事をした。ただ今度は、請求すべき物が目の前でわかっていた。灰の包みには採取時刻と場所、立会人としてミナの名が添えられた。
「一人で残した証拠では、不都合な灰へ替えたと疑われます」
ノアはセラにも封へ印を求めた。資料を渡さない慎重さと、資料を消させない慎重さは同じ根から出ていた。蓮人は、保留そのものを敵意と決めるのをやめた。
ただし必要な時刻に出ない記録は人を守らない。その問題は残ったままだった。
「クゼ・レント」
主任が蓮人をにらむ。
「代官閣下がお呼びだ。王立監察官が三日後に到着する」
「監察官?」
「王都へ報告が届いた。貴様には、それまでに北塔が安全であることを証明してもらう」
「俺が?」
「余所者でありながら、町じゅうに不安をあおった責任を取れ。安全証明へ署名すれば、拘置を解き、当座の滞在許可も与える」
条件は魅力的に見えた。
この世界で身元も金もない蓮人には、断りにくい。
だからこそ、先に確認する。
「安全だと判断できなかった場合は?」
主任の口元がゆがんだ。
「三日も調べて、何もわからなかった無能として王都へ引き渡す」
「最初から、安全だと書く以外の結論を認めないんですね」
「言葉を慎め」
蓮人は図面にない管を見た。
ガルドは、こちらを見ない。
三日。
安全を証明するには短い。
危険を一つ見つけるには、長すぎることもある。
「その依頼は受けられません」
主任が勝ち誇ったように笑った。
「ならば拘置へ戻れ」
「安全証明を書く依頼は受けられない、と言いました」
蓮人は続けた。
「北塔が安全かどうかを調べ、わかった事実を報告する依頼なら受けます」




