第2巻 第四話 全門停止
風が内側へ吸われた瞬間、セラは封鎖線の兵へ右手を上げた。
「全員、石壁まで下がれ」
理由を説明するより先に、声が出た。
兵士が木柵を持ち上げる。ミナは採取した紐を布箱へ収め、残留灯から目を離さない。リオが荷車の方へ一歩出たため、セラは作業着の襟をつかんで引いた。
「走らないと言ったな」
「風が」
「見えている」
使われていない門の奥は、灰色の石壁で塞がれている。
穴はない。
それでも風は草と埃を石の中へ引いていた。白い残留灯が消えかけるたび、細い砂が門枠へ吸い寄せられる。
「残留魔力が、向こう側へ流れています」
ミナが言った。
「向こう側はどこだ」
「わかりません」
「閉鎖操作は」
「この門では受け付けません。廃止済みなので、管理所から操作権限を取れないんです」
廃止した設備は、動かないことになっている。
動かない設備を止める権限は、誰にも割り当てられていない。
セラは伝令へ向いた。
「東の廃集積場、北の旧巡礼門を完全封鎖。現役門は新規転移を止めろ。すでに経路へ入った便がないか、各門へ確認」
伝令が走る。
ミナが顔を上げた。
「現役門を全部ですか」
「行き先を選べない門へ、人を入れられない」
「荷送も?」
「人だけなら安全だと確認できるか」
「できません」
「なら止める」
答えは短かった。
ユナの所在はわからない。
使われていない門が二つ開き、閉じたあとも何かを吸い込んでいる。同じ状態で次の旅客を通すことはできない。
セラは正しい判断だと思った。
少なくとも、伝令が戻るまでは。
「副隊長!」
東門側から別の兵士が駆けてくる。
「治癒院行きの薬荷が、王都地下門で停止。送り元が、受取時刻の保証を求めています」
「陸路へ切り替えろ」
「王都からでは二日です」
「近隣の在庫は」
「確認中」
次の伝令が来る。
「南門、旅客三十四名が待機。うち妊婦一名、治癒術師一名。宿の手配を求めています」
「門前に置くな。空いている詰め所を開けろ」
「西の荷送門からも問い合わせです。冬蒔き種の便が十三台。今日を逃すと、北の雨季に間に合わないと」
「待機させろ」
答えるたび、新しい待機が増えた。
人を門へ入れなければ、誤着者は増えない。
荷を門へ入れなければ、必要な場所へ着く物も増えない。
安全のための停止が、町の別の場所で時間を削り始める。
セラは南門へ向かった。
伝令だけで全門を止めておきながら、実際に何が止まったかを見ないまま管理所へ戻る気にはなれなかった。
南門の石輪は白く曇っている。
門前には三十四人の旅客が二列で待たされ、門番が木札へ名前を書いていた。妊婦は石段へ座り、夫らしい男が外套を丸めて腰へ当てている。治癒術師は、背負い籠に薬瓶を詰めたまま門役へ詰め寄っていた。
「停止命令を出した者か」
治癒術師がセラの守備隊章を見た。
「そうだ」
「私は南のカレス村へ行く。熱病患者が六人。代わりは明後日まで来ない」
「いま門へ入れば、別の場所へ着く可能性がある」
「ここにいれば、カレスの六人は治療を受けられない」
「陸路は」
「一日半だ」
セラは答えを返せなかった。
門役長代理が走ってくる。
「副隊長、停止操作は完了しました。ただ、受け入れ側の流路も閉じてよいですか」
「全部止めろと伝えた」
「新規出発は止まっています。ですが、経路内に二便います」
「どこから」
「南のカレス村から旅客四名。西南のトルカ宿駅から荷一箱。到着予定は半刻以内です」
「受け入れを閉じたら」
「出発門へ戻るはずです」
「はず?」
「通常経路なら」
今日の経路が通常ではないから、全門を止めた。
セラは自分の命令を思い返す。
現役門は新規転移を止めろ。
伝令ではそう言った。
しかし南門へ届いた文面には、「南門、停止」とだけ書かれていた。受け取った門番は、新規出発と到着受入れの両方を閉じようとしている。
「受け入れは開けておけ」
「出発停止、到着だけ受け入れ?」
「経路内の二便が着くまでだ。到着者は門前で名と出発地を一人ずつ確認。予定外の門から着いたら、誰も次の門へ乗せるな」
「了解」
門役が白の確認灯を見ながら、到着流路だけを待機へ戻す。
セラの背中に汗が流れた。
止める。
一言で命じても、入口を止めるのか、出口を止めるのか、途中にいる人を戻すのかで結果が違う。
妊婦が石段から立とうとした。
腹を支え、顔をしかめる。
「無理に立つな」
セラは近くの兵へ合図し、門番詰め所の長椅子を運ばせた。
「今夜、南領の母の家へ着く予定でした」
妊婦が言う。
「出産はまだ先です。でも夫は明日、ここから北へ戻らないと仕事を失います」
「宿を用意する」
「宿代は」
「停止を命じた側で記録する。いま払えとは言わせない」
それが守備隊予算から出せるかは、あとで確認が必要だった。
確認が必要でも、いま座る場所は必要だ。
南門の赤い確認灯が一度点く。
運転信号の受理。
安全の証明ではない。
門番が出発地を読む。
「カレス村。旅客四名。予定到着、ラグナ南門」
白い光の中から、一人ずつ姿が現れた。
老夫婦。
籠を背負った若者。
杖をつく女。
四名。
門番は名を呼び、本人の返事だけで済ませず、乗門札と出発地を確認した。
全員、予定どおり。
セラは安堵しそうになり、止めた。
一便が正しく着いたことは、次も正しいという意味ではない。
それでも、到着流路まで即座に閉じていれば、この四人を別の経路へ押し戻していたかもしれない。
自分の停止命令は、最初から完全ではなかった。
「セラ」
蓮人が呼んだ。
封鎖線の外にいる。勝手に指示はしていない。
「止める判断は変えない」
「変えてほしいとは言っていません」
「なら何だ」
「止めたことで、いつ、誰が危険になるかを並べたい」
「いまは誤着を増やさないのが先だ」
「はい。その次を決めるためです」
言い返そうとして、セラはやめた。
次。
停止は終わりではない。止めたあとに、待っている者がいる。
「管理所へ戻る」
セラは命じた。
「各門の待機者、荷の種類、期限を一枚にまとめろ。ただし、再開判断は私がする」
「わかりました」
蓮人は反対しなかった。
転移門管理所へ戻るころには、入口の階段まで人があふれていた。
門番、御者、宿屋、商人、旅客の家族。全員が、自分の便だけは例外にしてほしいと訴えている。
職員が番号札を配っていたが、受け取らず奥へ進もうとする男がいた。
濃緑の外套。銀糸で商人組合の麦穂章が縫われている。
「セラ副隊長」
男は彼女を見つけると、人垣を割って近づいた。
「東西南北、すべての門を止めたと聞いた」
「人送、荷送ともに新規転移を止めた」
「誰の許可で」
「現場の安全判断だ」
「一つの便が誤着しただけで、辺境の物流を止めるのか」
「一つではない。人と荷が別の廃門へ着いた。行方不明者もいる」
「だから該当経路を止めればいい」
「該当経路がどれか確定していない」
「青麦回りだろう」
男は断言した。
「すでに町じゅうが知っている。なら、青麦印の便だけを止めろ」
「同じ印が旅客と荷で別の意味に使われている」
「細かい話は管理所でやれ。門前には、今日の荷で冬を越す者がいる」
「あなたは」
「ディーン・ローデル。ラグナ商人組合長」
男は胸章を示した。
「全門停止による損失は、いまこの場で増えている。安全という言葉で見えなくするな」
セラの奥歯が固くなる。
「見えなくしているつもりはない」
「なら、見ろ」
ディーンは後ろへ手を上げた。
組合の書記が、巻紙を広げる。床へ届くほど長い。
待機している荷の一覧だった。
治癒院の乾燥薬。
北村の冬蒔き種。
乳児用の山羊乳粉。
明朝までに港へ返す空樽。
そして、それぞれが遅れた場合に困る者の名。
「金額ではありません」
ミナが紙を見て言う。
「人の名前が書いてある」
「損失額だけ出せば、守備隊は商人の儲けだと切り捨てる」
ディーンはセラを見た。
「だから持ってきた。薬を待つ患者も、種を待つ農家も、荷下ろしの日当を待つ者もだ」
セラは巻紙を受け取った。
全門停止の命令を撤回する理由にはならない。
誤着先がわからない門へ、人も荷も通せない。
それでも、止めれば安全になるという一言では足りなかった。
巻紙の最初にある治癒院の欄へ、赤い砂時計印が押されている。
期限。
残り六刻。
「この薬は、近隣に代替がないのか」
「あるなら、ここへ来ていない」
「治癒院へ確認する」
「確認している間にも砂は落ちる」
「確認せずに門は開けない」
ディーンは何か言いかけた。
管理所の鐘が一度鳴る。
転移の開始を告げる鐘ではない。緊急連絡を知らせる短い音だった。
職員が青ざめた顔で紙を持ってくる。
「北の旧巡礼門です。閉鎖後、門枠の内側から呼び鈴が鳴りました」
「人の声は」
「ありません。ただ、呼び鈴は門の向こう側からしか引けません」
セラはディーンの巻紙をミナへ渡した。
「停止は継続する」
組合長の顔が険しくなる。
「同時に、六刻以内の代替を探す」
「見つからなければ」
セラはすぐには答えなかった。
止める危険と、開ける危険。
どちらを選んでも、誰かの名が残る。
「そのときは、両方の危険を並べて決める」
北の旧巡礼門から、二度目の呼び鈴が届いた。




