第2巻 第一話 荷は着いた、人がいない
休暇日が終わるまで、あと九時間あった。
蓮人は転移門管理所の外に置かれた長椅子へ座っていた。
東の廃集積場へ荷車三台が誤着したという第一報から、半刻もたたないうちに、北の旧巡礼門でも旅客十二人が見つかった。二つの報告を受けた門務局は、同じ便の人と荷が別々の廃門へ着いたと判断し、ラグナの全転移門へ確認を求めた。
中へ入れてもらえなかったわけではない。入らないと自分で決めた。正確には、ミナから「一刻後ではなく明日の朝に」と言われた約束を、半分だけ守った。
調査卓から見えない場所にいる。
呼ばれるまで口を出さない。
その二つを休暇の条件として、管理所の外まで来た。
「それを休暇とは呼ばない」
隣でセラが言った。
「町を歩くついでです」
「北塔から東門まで、まっすぐ歩いてきただろう」
「迷わず着きました」
「そういう意味ではない」
東門前の広場には、転移を待つ荷車が列を作っていた。門は停止している。石の輪に刻まれた律式は暗く、中央には通行止めを示す黄色い綱が二本渡されている。
それでも列は短くならなかった。
荷主が番を離れれば、再開したとき最後尾へ回される。誰も動かない門の前で、御者は馬へ水を飲ませ、荷役たちは車輪の留め具を点検していた。
列の三台目には、治癒院の印がついた木箱が積まれている。箱の側面へ、乾燥を防ぐ白布が巻かれていた。
動かない門は静かだった。
待っている荷の方が、止まった時間を音にしていた。馬が石畳を蹴る。瓶同士が箱の中で触れ合う。御者が何度も同じため息をつく。
管理所の扉が開いた。
ミナが書板を抱えて出てくる。
「一刻後ではありません」
「明日の朝でもありません」
「わかっているなら帰ってください」
「呼ばれるまで、ここで待ちます」
ミナは書板を胸へ押しつけた。怒っているというより、言うべきことを先に決めようとしている顔だった。
「では、報告だけします。指示は受けません」
「はい」
「旧巡礼門へ誤着した旅客十二名は、全員を宿へ移しました。うち二名は軽い打撲。東の廃集積場では荷車三台を確認。一台が門枠に挟まり、御者二名が負傷しています。骨折した一名は治癒院へ搬送済みです」
「行方不明者は」
「いまのところ、いません」
蓮人はうなずきかけた。
ミナが続ける。
「ただし、出発側の名簿と、到着側の名簿が合いません」
「何人ですか」
「出発側は十二名。旧巡礼門へ着いたのも十二名です」
「合っているように聞こえます」
「名前が一人分、違います」
ミナが書板を開いた。
王都中央門から送られた出発名簿。北の旧巡礼門で書き取った到着名簿。十二行ずつ並んでいる。
蓮人は立ち上がらなかった。書板を受け取らず、ミナが指す二行だけを見る。
出発名簿の九番目。
ユナ・ハーゼ。十六歳。旅客案内補助。
到着名簿の九番目。
グレイ・トルム。四十一歳。薬種商。
「グレイさんは、出発名簿にいない?」
「本人は中央門から乗ったと言っています。乗門札も持っています。ただ、出発側の控えには名がありません」
「ユナさんの乗門札は」
「見つかっていません」
人数は合う。
一人が消え、一人が増えている。
数字だけなら、十二人が出て十二人が着いた。輸送件数にも、到着人数にも差は出ない。
「名簿を作った人は同じですか」
「出発側は王都中央門。到着側は旧巡礼門の見張りです。いまノアが両方へ確認しています」
「グレイさんから、乗るまでの順番を聞けますか」
「聞き取りは始めています」
ミナの返事は早かった。
もうやっている。
蓮人がここへ来るより先に、必要な確認は始まっている。
「では、待ちます」
「本当に待っていてください」
「努力します」
「努力ではなく、待ってください」
管理所の中から声が上がった。
若い男が、止める職員の腕を振り払って外へ出てくる。灰色の作業着。肩に太い縄をかけ、右手には短い青の予備紐を握っていた。
「十二人で合ってるって、どういう意味だ」
男はミナの書板を見た。
「ユナはどこにいる」
「落ち着いてください」
セラが長椅子から立つ。
男は一歩だけ止まった。セラの腰の剣を見たのではない。胸元の守備隊章を見て、自分が誰へ話すべきかを選んだ。
「リオ・ハーゼ。東門荷役所の見習いです。ユナの兄です」
「妹さんの確認をしている」
「人数は合ってるって言った」
「名が一致していない」
セラは言葉を濁さなかった。
「出発名簿に妹さんの名がある。到着した十二人の中にはいない」
リオの手の中で、青い紐がねじれた。
「だったら、一人足りないだろ」
誰も答えなかった。
十二という数は変わっていない。
だが、ユナは着いていない。
「その紐は?」
蓮人が尋ねた。
リオが初めて彼を見る。
「旅客案内の印だ。荷役は縄、案内は細紐を肩へ結ぶ。ユナは青を使ってた」
「どこで見つけましたか」
「見つけたんじゃない。今朝、ユナへ渡したのと同じ反物だ。色も太さも見ればわかる」
予備紐の端は、荷役用の小刀でまっすぐ切られている。片方には、結び方を示すための小さな玉結びがあった。
「中央門へ送る荷についていくって言ってた。王都から来る客を東門の宿まで案内するから」
「名簿では、旅客案内補助になっています」
「だから人の側だ。荷じゃない」
リオは広場の荷車を指した。
「荷車は東の廃集積場へ着いた。客は北の旧巡礼門へ着いた。ならユナは北だろ」
「北の十二人にはいません」
「見落としたんだ」
「顔と名を一人ずつ確認した」
ミナが答えた。
「二回です」
「だったら、王都に残ってる」
「中央門側は、門を通ったと報告しています」
「報告が間違ってる」
リオの声が大きくなる。広場で待つ御者たちが顔を上げた。
蓮人は青い紐を見る。
「妹さんは、荷車へ乗ることがありますか」
「ない。案内役が荷台へ乗ったら、客が誰についていけばいいかわからなくなる」
「乗門札を荷へ預けることは」
「もっとない。門を通るときに本人が持つ」
「青い紐に、経路を示す意味はありますか」
「案内役の色だ。青は東門、赤は中央、白は治癒院」
リオはそこで息を止めた。
「青麦の青とは違う」
「何が違いますか」
「青麦回りは、荷の印だ」
彼は広場の荷車へ駆けた。止めようとしたセラより先に、一台の車輪脇へしゃがみ込む。
荷台を縛る太縄には、細い色糸が三本編み込まれていた。
青、黒、黄。
「青は旧ラグナ下東継場。黒は王都地下荷役門。黄は途中確認なし」
「青麦回りは、色の組み合わせなんですか」
「荷役は文字を読めない奴もいる。札が泥で汚れても、縄ならわかる」
真鍮札には現在の地名が刻まれている。
縄には古い経路が編まれている。
人は札を持ち、荷は縄で縛られる。
「同じ便でも、人と荷は別の指定を持っている」
ミナが言った。
リオは荷縄から青い糸を一本抜いた。妹の案内紐と並べる。
同じ青ではなかった。
案内紐は空に近い色。荷縄は黒ずんだ麦の穂に近い色。
「ユナは間違えない」
リオが言う。
妹を信じているというより、自分が教えた仕事を信じようとする声だった。
「青麦の荷についていったりしない」
管理所から、別の職員が走り出てきた。
「中央門から返答です。出発時の読み上げ記録が届きました」
ミナが紙を受け取る。
十二人の名。
九番目に、ユナ・ハーゼ。
グレイ・トルムの名はない。
紙の下には、門を通過した順番も記されていた。ユナは最後ではない。前後の二人は旧巡礼門へ着いている。
「途中だけ、一人が入れ替わった」
セラが紙を見た。
「転移の途中に、人が立ち寄れる場所はありますか」
蓮人の問いに、ミナは首を振りかけた。
断定する前に止まる。
「正式な経路には、ありません」
正式な経路には。
東の廃集積場へは荷が着いた。
北の旧巡礼門へは人が着いた。
出発時にも到着時にも人数は十二。
その間で、ユナだけが消え、名簿にいない男が一人増えた。
管理所の壁へ、到着者十二名の名前が貼り出された。
家族と宿屋が確認できるよう、大きな字で書かれている。リオは一番下まで目で追い、もう一度上へ戻った。
北の宿へ移されたはずの親子が、人垣の外から歩いてきた。
母親は左足を引きずり、七歳の男児は赤い帽子を両手で抱えている。グレイが途中で見たという子どもだった。
「この帽子を、案内のお姉ちゃんに返したいんです」
男児が言った。
リオは帽子を見た。
ユナのものだった。つばの裏側へ、兄妹の姓を示すHの焼印がある。雨の日に色が落ちるからやめろと言ったのに、案内役は遠くから見える方がいいと赤を選んだ。
「どこでもらった」
声がかすれる。
「白いところ」
「白いところって、門の中か」
男児は母親の外套を握った。
「すみません。この子、着いてから同じ話をしているんですが、門役の方には転移中の見間違いだと言われて」
母親が頭を下げる。
「見間違いじゃない」
男児は強く言った。
「床がぐらってした。みんな転んだ。ぼく、手を離した」
「誰の手を」
「お母さん」
「ユナさんは?」
蓮人はしゃがみ、男児より少し低い位置から尋ねた。
「お姉ちゃんが来た。これをかぶせて、青いのを握ってって」
赤い帽子を持ち上げる。
「青いものは、紐でしたか」
「丸いところがあった」
端の玉結び。
「どちらの手で握りましたか」
男児は右手を出した。
掌に、細い赤い線が残っている。紐を強く引いた跡だった。
「お姉ちゃんは反対を持ってた。明るくなって、風が来て、青いのが引っぱられた。ぼく、離しちゃった」
「そのあと、お姉ちゃんを見ましたか」
「声だけ。名前を呼んでって言った」
「誰の名前を」
「みんなの」
母親が到着時のことを思い出す。
「旧巡礼門へ着いたあと、この子が名前を言い始めたんです。自分、私、前にいた方たち。混乱しているのだと思って止めました」
「何人分、覚えていますか」
男児は壁の名簿を見る。
指で一行ずつ追う。
「この人と、この人。杖のおじいちゃん。赤ちゃんを抱いてた人」
到着者の名と一致する。
ユナは途中で、子どもへ名を覚えさせた。
着いた人数が合っても、誰かが入れ替わっているかもしれない。そうなると知っていたのか、ただ迷子を防ぐためだったのかはわからない。
「ユナさん自身の名前は」
「最後に言った」
男児は名簿から指を離した。
「ユナ・ハーゼ。東門の案内。お兄ちゃんはリオ」
リオは顔を背けた。
妹は、消える直前まで客を案内していた。
自分が捜されるときに必要な名まで、子どもへ渡している。
「ありがとう」
赤い帽子を受け取らず、男児の頭へ戻した。
「見つけるまで、持っててくれ」
「返せる?」
「返す」
約束をしてから、怖くなった。
それでも取り消さなかった。
妹の名は、どこにもなかった。




