第三十三話 祭りの灯
収穫祭は、千二百個の灯で始まった。夕鐘と同時に、広場を囲む祝祭灯へ火が入る。
赤、黄、青。
麦穂をかたどった光が石畳を走り、家々の軒へ登り、最後に迎賓館の尖塔を金色に縁取った。
歓声が上がる。
子どもたちは光を追って走り、商人は焼き菓子の鉄板へ新しい生地を並べる。楽師が笛を吹き、太鼓が腹へ響く。町じゅうが明るくなった瞬間、蓮人の足元で流路が震えた。
広場の灯一つなら、小さな負荷だ。
千二百個なら、小さくない。
迎賓館の厨房。
市場の冷蔵箱。
酒場の保冷庫。
祝祭門を開く術式。
王都使節団の馬車を照らす誘導灯。それぞれが必要なだけ魔力を使い、合計が北塔へ流れ込む。塔の外壁に掲げられた簡易確認灯は赤かった。
『運転信号受理』
代官庁の術師が、その下へ札を足した。集まった住民から安堵の声が漏れる。
「正常だってさ」
「なら、昨日の騒ぎも大丈夫だったんだろう」
「祭りを止めなくてよかった」
言葉が人から人へ渡る。
測定項目の少ない表示ほど、説明は短い。短い説明ほど、遠くまで届く。
「北塔、点検中です!」
守備隊員が声を張った。
「赤い確認灯は入口圧と結界出力のみ。塔内では冷却温度を継続監視しています。警報時は係員の誘導に従ってください!」
太鼓が鳴る。
後半は音に消された。
セラは広場の北と南へ避難路の札を立てさせた。一列だった通路を二つに分け、荷車の置き場を路地へ移す。祭りを止められなくても、逃げる場所は作れる。
「治癒院は」
蓮人が尋ねた。
「蓄魔石へ切替済み。重症床三つを南側へ移した」
「井戸浄化」
「夜半までの貯水を確保。止まっても四刻は持つ」
「市場」
「冷蔵箱は組合ごとに順番を決めた。赤旗で半数停止」
「守備隊」
「外壁配置を二割増やした。結界が落ちた場合、北門は私が受け持つ」
すべて、以前に決めた内容だった。蓮人が新しく指示したものはない。それでも確認すると安心した。
安心するために全部を聞き続ければ、また自分が情報の詰まりになる。
「他に、まだ担当が決まっていないものは」
蓮人は尋ね方を変えた。
セラは広場を見渡す。
「王都使節団だ。代官庁は迎賓館から動かさない。避難経路もこちらへ渡していない」
「欠けているのは、人数と経路ですね」
「ああ。そこはノアが持っているはずだ」
ノアは塔の中にいる。
扉は閉じられたまま。
小鐘が二度鳴った。
間を置いて、二度。
出口温度、暫定上限より二低い。北塔上部、左の排熱窓から青い布が下がる。
守備隊が白旗を返す。
祭りの太鼓に紛れれば、鐘を聞き落とす。セラは小鐘のそばに隊員を一人置き、その隊員の肩へ手を置く係をもう一人つけた。音を聞いた者が合図し、合図を受けた者が打数を数える。
一人の耳へ任せない。
十五分後、小鐘がまた鳴った。
一度。六度。
入口圧、七十六。
二度。二度。
出口温度、暫定上限より二低い。
三度。四度。
監視環、平常より四高い。
守備隊の記録係が、打数を声にしながら板へ刻む。
「前回から温度が一上がっています」
蓮人が言った。
「測定間隔も短くなった」
セラが時刻を見る。
半刻ごとだった鐘が、十五分で鳴った。
塔内で誰が変更を決めたのかはわからない。だが、上昇傾向が続いた場合は十五分間隔へ切り替える。それも接収前に決めた手順だった。
左窓と中央窓に青布が並ぶ。
まだ監視継続。
窓の奥で人影が二つ重なった。一人が布へ手を伸ばし、もう一人が間へ入る。声は祭りの太鼓に消され、何を言い争っているのかまでは聞こえない。
やがて最初の手が離れた。
青布は残った。
蓮人は息を吐く。
塔の中でも、決めた運用を守ろうとしている。祭り広場では、最初の踊りが始まった。
麦穂の冠をかぶった子どもたちが輪を作る。足を踏み鳴らすたび、祝祭灯が明滅した。
焼いた肉の匂い。
果実酒の甘さ。
汗をかいた人々の熱。
蓮人は北塔の壁へ手を当てた。日中に温められた石より、さらに熱い。手のひらを離しても、熱が残る。
「表示は正常だぞ」
衛兵隊長が言う。
確認灯は赤。
灯の下の真鍮板を、セラが読み上げた。
「《正常稼働》」
その前で記念絵を描かせる家族までいた。青い結界と赤い灯を背景に、絵師が祭りの日の笑顔を紙へ写している。
「確認灯が見ているのは入口圧と出力だけです」
蓮人は同じ説明を繰り返した。
「どちらも正常なのだろう」
「はい」
衛兵隊長が勝ち誇った顔をする。
「だから、それ以外が正常だとは言えません」
蓮人は塔上部を見る。
青布。
まだ青。
中で何が起きているか、すべてはわからない。見えないことを、正常という言葉で埋めない。
「市場北列、冷蔵箱の外板が熱い!」
商人が走ってきた。
セラは組合の手順書を開く。
「北列を停止。品物は中央倉へ移す。担当は」
「俺たちです」
別の商人二人が荷車を押して現れた。指示を待っていたのではない。赤旗を見て、決めたとおりに来た。
「治癒院から。蓄魔石への切替完了、患者への影響なし」
「井戸貯水、予定量へ到達」
「南門、避難路確保」
町の各所から報告が集まる。
蓮人は一つずつ聞き、重なっていない仕事だけを探した。
「迎賓館の人数がまだありません」
セラが頷く。
「私が行く」
「避難指揮は」
「副長へ引き継ぐ」
即答だった。
役割が渡る。
人が動く。
蓮人が全体を握らなくても、町は備えを進めている。胸の奥に、安堵と取り残されるような不安が同時に生まれた。いまは、そのどちらも判断材料ではない。
小鐘が鳴った。
太鼓の連打と重なる。
「何打だ!」
セラが叫ぶ。
鐘係が隣の隊員を見る。
「二打!」
「続きは!」
誰も答えない。
広場の歓声が上がった。
王都使節団の馬車が祝祭門をくぐり、灯が一斉に白く輝く。北塔の水輪が、壁越しにもわかるほど高く唸った。上階の左窓から、青布が引き上げられる。
一瞬、何もない。
代わりに赤い布が落ちた。
冷却系統。
停止基準到達。
「冷却系統、停止基準到達」
蓮人の声が、自分のものではないように聞こえた。
続いて、点検口から小さな白い石が外へ投げられた。地面へ落ち、二つに割れる。測定石の表面には、熱で生じた細い亀裂が走っていた。
それでも、外壁の確認灯は赤かった。
入口圧、規定内。
結界出力、規定内。
運転信号受理。
祭りの灯は、ひとつも消えていない。赤布の横から、白い測定石がもう一つ投げ出された。今度の石には、中央表示との差を示す三本の傷が刻まれていた。
広場の貴賓席へ走った伝令が、バルガスへ赤布と測定石の報告を伝える。バルガスは北塔を見た。次に、祝祭門をくぐった王都使節団と、動き始めた群衆を見た。
「歓迎式を続ける。避難準備は表へ出すな」
伝令が聞き返す。
「塔内から停止基準到達の合図です」
「いま広場を動かせば、使節団の馬車と住民がぶつかる。式次第を終えてから区画ごとに出す」
危険を知らなかったのではない。知ったうえで、いま止めない方を選んだ。塔の外では衛兵が赤布を引き下ろそうとしていた。
広場では二曲目の太鼓が始まる。赤い確認灯の下で、北塔の冷却水が初めて沸騰する音を立てた。




