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第二十九話 調整官不在

レントが運び出されたあとも、北塔は止まらなかった。


 ミナは彼を追わなかった。


 追いたかった。


 けれど、自分の担当は警報と停止判断だ。


「北塔、七割で安定。出口温度、暫定上限の三低下」


 声に出して記録する。


 ノアが時刻と数値を書く。


「南塔から再接続要請」


 エドの声が伝声石から届く。


 いつもなら、ミナはレントを見る。


 つないでよいか。


 ほかへの影響はないか。


 代わりに、壁へ張った停止基準と再接続手順を見た。


「北塔との圧力差は」


『四。規定差以内』


「出口確認は」


『温度、音、漏れ、異常なし。二人で確認』


「低出力で接続してください。三十数える間、南区画の高負荷設備は停止」


『了解』


 自分で決めた。


 北塔の数値は変わらない。


 三十。


「南塔、接続完了」


 一つ仕事が終わる。


「旧副塔の炉心冷却、完了!」


 リクから連絡。


「訓練流路を閉じていいか」


 ミナは手順を見る。


 北塔圧は七十。逃がし先はもう不要。ただし新型冷却核は停止していても、残留魔力がある。


「ガルドさん」


 答えを求めたのではない。


 設備側の情報を求めた。


「銀輪の残留は」


「白灯がまだ一つ。完全には抜けてねえ」


「旧副塔流路を半開で維持。白灯消失後に閉じます」


「了解だ」


 ガルドが素直に答えた。


 以前なら「俺が見る」で終えただろう。いまは状態を伝え、ミナの判断を受ける。旧副塔側でも、手順どおりに進まない箇所があった。


『残留白灯、消えました』


 リクの報告から二呼吸遅れて、ハンスが割り込む。


『待て。外側の確認石がまだ温かい』


 一人は灯を見て完了と判断し、もう一人は熱が残っていると判断した。


「閉鎖を保留」


 ミナは答える。


「温度を測れるものは」


『正式な測定石は北塔にある』


「ガルドさん、触れて確認できる安全位置を指定してください」


「接続具の外縁だ。手の甲で近づけろ。熱ければ触るな」


 リクとハンスが別々に確かめる。片方は温かい、片方は熱くないと答えた。


 判断が割れた。


「三十待って、もう一度。同じ順番で確認してください」


 二度目は、二人とも冷えていると答えた。白灯だけを見て閉じれば、残留熱を流路へ閉じ込めていた。ガルド一人の感覚に任せず、若手二人の不一致を停止理由として扱えた。


「市場から、冷蔵箱再起動の問い合わせ」


 商人組合の伝令が来る。


「全部は駄目です。一列目を半分だけ。起動時刻をずらして、圧が七十五を超えたら停止」


「祭りの魚が」


「板氷を使う代替案があります。組合長へ確認してください」


 伝令が走る。


 十分後、北塔圧が七十四へ上がった。


「市場、一列目の半分だけでは?」


 ミナが問う。


 戻ってきた伝令は息を切らしている。


「半分です。ただ、魚屋と氷屋が別々の箱を一台ずつ動かしました」


 ミナの指示は、店ごとに半分と受け取られていた。市場全体で一列の半分、という意味が伝わっていない。


 七十五。


 停止基準へ届く。


「市場流路を止めます」


 自分の指示が原因でも、基準を変えない。


 北塔圧は七十二へ戻った。


「私の伝え方が曖昧でした」


 ミナは記録へそのまま書かせた。


「箱を番号で指定します。一番箱だけ起動。魚屋と氷屋で中身を共有してください。二番以降は板氷を使う」


「店同士でもめます」


「商人組合長を判断者に。再起動は一番箱の前に二人そろってから」


 二度目の起動では、圧は七十三で止まった。正しく判断できたのではない。曖昧な指示で一度失敗し、止め、範囲を狭めてやり直した。


 次々に判断が必要になる。


 レントがいないから減るわけではない。だが、レント一人へ集めなければ、同時に進められる。


 ただし、扱っているのはレントたちが昼までに作った停止基準と、町内の限られた流路だけだった。新型冷却核の再起動、未知の弁操作、北塔の八割以上への増力は、すべて禁止した。今夜を越えるための復旧であって、どんな障害にも対応できる証明ではない。


 セラは治癒院と城壁を確認し、守備隊の配置を戻す。


 城壁では、兵を全員戻さなかった。北側の結界には新型過圧で生じた細い亀裂が残っている。通常の半数を配置へ戻し、残りは食事と休息を交代で取らせる。


 セラは「復旧中」の札を北門へ下げた。結界が青く見えるため、住民が安全宣言と誤解しないようにするためだ。ノアは王都製冷却核の強制接続について、操作した術師全員から別々に証言を取る。


 証言は一致しなかった。主任が八割起動を命じたという者。代官命令には出力指定がなかったという者。すでに接続具が組まれていたので、停止できないと思ったという者。


 ノアは一つの結論へまとめず、それぞれの時刻と見た命令書を分けて封じた。ガルド、リク、ハンスは銀輪を切り離し、残留魔力を抜く。


 エドは南塔。


 商人組合は町の設備を段階再開。ミナは北塔で、報告を受ける。すべてを詳しく知る必要はない。


 次の判断に必要な情報だけを聞く。


 夜勤へ渡す項目も絞った。


 北塔圧。出口温度。旧副塔の残留。市場一番箱。治癒院の蓄魔残量。北壁の亀裂。


 それ以外の修理、新型冷却核の調査、責任確認は朝まで止める。


「夜の間に原因調査を続けなくていいんですか」


 若い術師が尋ねた。


「新しい変更をしない方が、同じ条件を観測できます」


 ミナは答えた。


「今夜の目標は、直し切ることではありません。この状態を朝番へ渡すことです」


 朝番用の板には、完了と未完了を分けた。完了は、南塔低出力接続、旧副塔冷却、新型冷却核の物理切断、治癒院の臨時供給。未完了は、北壁亀裂の検査、銀輪内部の洗浄、市場二番箱以降、迎賓館、歓迎紋、強制接続の責任確認。


 未完了の項目には、夜間に触れない印を付ける。


「止まっている仕事が多すぎませんか」


 若い術師が問う。


「人と条件がそろうまで止めます。未完了を隠して全部動かす方が、朝番は困ります」


 板は北塔入口へ掛けられた。誰が見ても、町の半分しか戻っていないことがわかる。


「白灯、消えた」


 ガルドが言う。


「リクが確認した。ハンスも確認」


「旧副塔流路を閉じます」


 リクが弁を閉じる。


 北塔圧は七十一。


 安定。


 日が暮れるころ、町の半分に灯が戻った。


 共同厨房では薪の大鍋が沸き、塩へ回した小魚がスープになった。治癒院のエナは、その椀を母マーサの枕元へ置く。まだ食べられない。それでも湯気の匂いに、老女の瞼が一度動いた。


 市場の一番箱には、魚ではなく薬と板氷が先に入った。ダロは不満を言いながら、箱の開閉時刻を自分の帳面へ書き始めている。


 北通りの家々は暗いままだった。子どもは早く寝かされ、井戸では洗濯用の水を断って飲み水だけを配る。町全体が戻ったのではない。守る順番を決めた範囲だけが、一晩を越えようとしていた。


 ミナは市場へ行けない。代わりに、箱番号を書いた木札を伝令へ持たせた。


 一番箱の前には魚屋と氷屋が並び、薬、板氷、大魚の順に入れる。開ける時刻は商人組合長が管理した。


 最初の曖昧な指示で焼けた二台目の律式板は、白布をかけず通りに残した。誰の店が悪かったのではなく、同じ言葉を別々に受け取った結果だと札へ書く。失敗の跡を見える場所へ置いたまま、限定した一台だけを動かした。


 歓迎紋は点いていない。


 迎賓館も暗い。


 それでも治癒院の五つの寝台は明滅し、井戸から水が出て、城壁の結界は青く残っている。


「レントさんは」


 ミナは、ようやく尋ねた。


 治癒院から戻ったセラが答える。


「眠っている。治癒術師は、魔力枯渇ではないと言っている」


「では何が」


「頭を使いすぎたそうだ」


「そんな診断があるんですか」


「ない。私がそう説明した」


 ミナは笑いそうになり、笑えなかった。


「目を覚ましたら、怒るでしょうか」


「なぜ」


「相談せず、全部進めました」


 それだけではなかった。


「私の指示で、市場を一度止めました。意味が曖昧で、二台動いたんです」


「直したか」


「止めて、番号で指定し直しました」


「なら明日、本人へ報告しろ。成功だけ聞かせるな」


 ミナはうなずいた。レントなら最初から曖昧さを見つけたかもしれない。そう考えた直後、それを確かめる相手がいないことへ、腹立たしさと寂しさが同時に湧いた。


 自分の判断を止めようとしたレントへ怒っている。倒れた彼を心配している。その二つは打ち消し合わなかった。


「怒ったら、もう一度寝かせる」


 セラは北塔の中央を見る。


「あいつがいなくても進んだ。それを見せるのが、一番効く薬だ」


 ミナは記録板の最後へ書いた。


『調整官不在。各担当、手順に基づき復旧継続。重大な追加障害なし』


 その下へ追記する。


『対象は北塔七割以下、南塔再接続、市場一番箱、旧副塔冷却。市場への初回指示に曖昧さがあり一時停止。修正後、再開』


 不在は、異常ではなかった。


 それが今日いちばん大きな成果だった。ただし、記録板の上端には期限も書いた。


『有効期限、明朝の交代まで』


 レント不在で進められたのは、既に決めた基準の範囲と、この一晩だけだった。朝番へ渡す封筒には、判断を求める項目を三つ入れた。


 北壁亀裂を修理してから増力するか。市場二番箱をいつ戻すか。銀輪を誰の立会いで調べるか。


 どれも夜勤だけでは決めない。エドが北塔へ到着し、ミナと同じ数値を一度ずつ読み上げた。未完了板、停止基準、市場での誤指示も口頭で渡す。


「引継ぎ完了」


 エドが言った。


 そこで初めて、ミナは確認石を机へ置いた。自分が離れても次の当番が同じ状態を見られる。限定された成功は、夜が終わる時刻まで途切れず残った。


 町全体ではない。次の障害でもない。北塔と周辺流路の一晩を、決めた手順の中で渡し切っただけだった。

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