第5巻 第35話 水車の列
セラは、町の北橋の中央で立ち止まった。
橋板の隙間から、茶色い水が下を走っている。いつもなら二台の荷車がすれ違える幅だが、片側の石組みが雨で沈み、今は一台ずつしか通せない。橋の向こうには、東の泉から代替水を運んだ水車が三台。こちら側には、処理材の白い袋を積んだ荷車が二台、火の見の予備桶を積んだ小さな水車が二台、待っていた。
水車は、水樽だけを運ぶ低い二輪荷車の呼び名だった。町の者は、朝の配水でその車輪が何台続くかを見て、今日の煮炊きができるかを数える。今は列の先も後ろも、雨に濡れた人の顔で詰まっていた。
「処理材を先に通せば、治癒院の水が遅れます」
ノアが言った。
「水車を先に通せば、鉱山の炉が止まる。ミナさんの話では、あと半刻です」
「火の見の桶は」
火の見の老人が、空の桶を叩いた。
「西の納屋で雷が落ちた。火は消えたが、濡れた梁の中で燻っている。町の溜め桶を全部、治癒院と鉱山へ回せば、次に火が出たとき、守備隊は泥水を汲むしかない」
雨が降っているから火が起きないわけではない。炉の火、雷、倒れた灯。水が使えない町では、火を止める桶も、飲む杯と同じ重さになる。
セラは橋の両端を見た。荷車を一台通す間に、別の車輪を待たせる。人手を橋へ集めれば、下流の避難棚と鉱山の入口が薄くなる。町、治癒院、鉱山のどこかを先に満たせば、別の場所に足りないものが出る。
「全部を同じ刻に届ける案は、ありません」
セラは言った。
言い切ると、誰かが反対する前に、橋の板を指した。
「処理材は、最初の一台だけ北橋を通す。炉を半刻より先へ持たせるためです。袋を全部は運ばない。次の袋は、石組みがもう一度沈んでいないかを見てからにする」
白い袋を積んだ御者が、荷綱を握り直した。
「一台だけで足りるのか」
「足りないかもしれません」
セラは答えた。
「でも、橋を処理材だけで塞げば、治癒院の樽が来ない。袋を二台分通すために、橋ごと失うこともできない」
次に、東の泉から来た水車を見た。
「代替水の水車は、治癒院用の二樽を積んだ一台と、下流の配水用一樽を積んだ一台だけ北橋へ入れる。三台目は橋を使わず、積んだ樽を小分けにして旧水車道を人で運ぶ」
旧水車道は川沿いの細い土手道で、荷車は入れない。昔の揚水輪が三つ並ぶ場所までなら、樽を小分けにして担げる。雨の増水で揚水輪は止めているが、屋根のある水車小屋が避難棚代わりになる。
「人で運べば、遅い」
マラが言った。
「遅いです。だから、家ごとの樽を全て満たす水にはしません。飲む、薬を溶く、治癒院の手当てに絞る。洗濯と掃除へ回す水は、今日も戻しません」
不満の声が、列の後ろから上がった。濡れた包帯を抱えた者、鍋を持った者、乳を温めるための湯を待つ者。水を減らすと決めることは、その人たちへ「今夜は足りない」と言うことだった。
「火の見の桶は、動かさない」
セラは続けた。
「町の西と南に一台ずつ残す。橋を渡らせない代わりに、溜め桶の水位を半刻ごとに火の見が掲示する。火が出れば、代替水の列を止めてでも使う。それは、先に決めておく」
火の見の老人は、二台の水車の前へ立った。一台には西の納屋、もう一台には南の共同炊事場と札が結ばれている。どちらも、今すぐ燃えているわけではない。だからこそ、治癒院の列から見れば後回しに見える。
「西の納屋の桶を一台、治癒院へ出せば、病室の湯は増える」
老人は言った。
「だが、納屋の梁が夜に燃え直せば、近い家から水を抱えて逃げる。南の炊事場を空にすれば、雨で湿った薪に火を入れた家を止められない。火が出てから樽を探すのは、今日の水を一杯増やすより遅い」
セラは、二台を残す札へ守備隊の印を押した。治癒院へ行く水を減らす判断の責任を、火の見だけに渡さないためだった。
老人は頷いたが、唇を結んだ。消火水を残せば、治癒院へ行く樽が一つ減る。誰もそれを喜べない。
「鉱山の人手はどうする」
オルドが橋の向こうから訊いた。雨で濡れた外套の肩に、坑内の冷気が残っている。
「処理材の荷車へ、坑夫を二人付ける。だが橋の上では、御者と兵だけにする。荷を押して橋板を揺らさない。坑夫は向こう岸から袋を手で受ける」
「俺が行く」
オルドが言った。
セラは首を振った。
「あなたは、さっき放流弁に入った。次に入る人が必要になったとき、外で水位を読める人がいなくなる。荷車はトムとバンに渡す」
バンは深い水へ入らないと決めている。だが橋の向こうで袋を受けるなら、足場の高さは読める。トムは採水箱を運ぶ手を覚えた。二人は、不安そうに顔を見合わせた。
「袋を落としたら」
トムが言う。
「拾いに橋の下へ降りない」
セラは答えた。
「落とした一袋を惜しんで、人を落とすな。袋が濡れても番号は消さない。横線と、濡れ・使用禁止・見つけた刻を書き、乾いた袋と別の油布へ置いて炉の残量から外す。橋を渡る間は、荷より人を優先する」
ノアが、橋の板へ白い線を引いた。荷車がその線へ来たら止まり、次の板が沈んでいないか兵が棒で確かめる。通れるのは、一台ごと。戻りの空車も、同じ線まで待つ。急がせる札ではなく、急がないための札だった。
最初の白い袋の荷車が動いた。馬の蹄が橋板を踏むたび、板の下で水が鳴る。御者は綱を短く持ち、兵は車輪の脇に立つ。トムとバンは向こう岸で、袋を受ける位置へ縄を張った。
橋の半ばで、左の車輪が沈んだ板へ乗った。
御者が綱を引き、馬が身をよじる。袋が一つ、荷台の端へ寄った。トムは走りかけたが、セラが腕を上げた。
「橋へ入るな!」
兵が車輪へ楔を当て、御者は馬を止める。袋は落ちなかった。だが、荷車を押せば板がさらに沈む。セラは橋の下を見た。濁流の中に、昨日までは見えなかった太い枝が引っかかっている。
「袋を二つ下ろす」
「炉が」
オルドが言いかける。
「二つを下ろしてでも、全部を川へ落とすのは避ける」
セラは言った。
橋上の荷を、兵と御者が一袋ずつ地面へ下ろす。濡れないよう油布を掛け、番号を読んで別の札を付ける。半分になった荷車は、沈んだ板を越えられた。トムとバンが残った袋を受け取り、走らずに鉱山側の屋根へ運ぶ。
処理炉へ届く量は、予定より少ない。だが、橋はまだ残った。
次は水車の番だった。治癒院用の二樽を積んだ低い車は、荷車より軽い。けれど樽の水は揺れれば片側へ寄り、車輪を取られる。セラは水車を橋へ入れず、橋の手前で樽を半分ずつ小樽へ移させた。
「これでは、治癒院へ二度行くことになる」
イレナが言った。
「はい。第一便は薬と手当ての分だけ。病室の湯と洗い場は次です」
「患者が待つ」
「町も待ちます」
セラは、下流の配水札を見た。杯の絵に斜線が入っている。飲む水だけを渡す札だ。沸かす薪も足りず、樽を抱えて帰る人の列は短くならない。
「だから、第一便を誰かの家だけへは渡しません。治癒院で薬を溶く分、乳児と高熱の者へ渡す分、火の見の桶へ足す分を、同じ板で先に分ける。足りない分があることも、隠さない」
イレナは濡れた帳面を胸に押し当てた。
「治癒院の分を二樽と言ったのは、私です。半分で回します。夜番へ、洗い方を替えるよう伝える」
それは「足りる」という意味ではない。包帯を替える回数を減らし、湯を使う手当てを後ろへ回すということだ。セラは、その代わりを軽い言葉にしなかった。
旧水車道では、人の列ができた。水車小屋の屋根の下で、小樽を肩へ掛ける者、渡す者、次の棚へ運ぶ者が、交代の札を見ている。坑夫だけではない。洗い場のマラ、採水箱を運んだトムの弟、火の見の老人の孫。誰もが本来の仕事を途中で置いている。
「一人二樽を持つな」
セラは列へ言った。
「転べば、樽も人も失う。一樽を二人で渡して、次の棚で替われ。帰りの者は空樽を持つ。空樽の列を抜いて近道をしない」
処理材の残りを運ぶ荷車は、北橋を通れなくなった。二台目を待たせるあいだに、石組みの端から小さな石が落ちたからだ。セラは西の倉庫へ伝令札を返した。次の袋は、橋を使わず、山裾の歩道から運ぶ。遠回りで、炉に着くまで一刻半はかかる。
オルドはその札を読んだ。
「半刻では、間に合わん」
「分かっています」
セラは答えた。
「だから炉側には、今届いた分で何刻持つかを出してもらう。間に合わない荷を、間に合うことにして兵を走らせない」
遠くで、水車小屋の木の羽根が一度だけ回った。雨水が横から当たり、止めていた輪を無理に押したのだ。次の瞬間、羽根が軋み、また止まる。人の列は、その脇を樽一つずつ進んだ。水を上げるための輪より遅く、人の肩でしか運べない水だった。
日が傾く前に、下流から兵が一人、泥を跳ね上げて戻って来た。
「治癒院の札です」
イレナが走り寄る。兵は濡れた紙を差し出した。紙には、時刻と、子どもの名ではなく、年と家の場所だけが書かれている。下流の配水札の近く。手の震え、再発。
その子は、昨日から取水停止の水を飲んでいない。代替水もまだ第一便に入っていない。けれど、震えは戻った。
イレナの指が、紙の端を強く押さえた。
「水を飲んだ刻だけでは、追えない」
セラは、橋の向こうの処理材と、旧水車道の小樽の列を見た。どちらを急がせても、今震えている手の理由はすぐには分からない。
「診察の刻、食べたもの、洗った水、熱、薬を、同じ紙へ並べます」
イレナは言った。
「処理材が届いた刻と、代替水を受け取れた刻もです。遅れたことまで残さなければ、次の震えを水だけのせいにも、運んだ人だけのせいにもしてしまう」
雨の中で、水車の列はまだ途切れなかった。だが下流の一枚の紙が、次に運ぶべきものは樽だけではないと示していた。




