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俺に魔法は使えない。でも、なぜ王国の結界が落ちたのかは説明できる  作者: pj.masta


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第5巻 第32話 仕事を替える名簿

ノアは、坑口の折り畳み机へ名簿を広げた。


 採掘停止になった坑夫の名が、左の紙には四十二人ある。その横に、処理炉、給水、採水、運搬、封印確認の五つの欄を作った。最初は、空いたところへ名前を移せばよいと思った。処理炉に慣れた者、荷車を引ける者、水路を知る者。仕事の手が足りず、非常費の支払いも明朝には決めなければならない。


 けれど、鉱山の名簿には、今日どこへ立てるかまでは書かれていない。


 年齢と採掘の担当だけで、バンを泥掻きに、マルを薬材に置いた。水位板を読めるようになったトムなら、採水箱も持てるだろう。そんなふうに線を引きかけて、ノアは筆を止めた。


 昨日、坑内から出たネリは、まだ濡れた手袋を乾かしていた。彼女を炉前へ戻せば、水の音を聞いただけで足が止まるかもしれない。町へ給水に出したトムには、坑夫仲間が「鉱山を捨てた」と言うかもしれない。鉱石を掘る仕事がなくなったことと、誰でも空いた穴へ入れられてよいことは、同じではない。


 ノアは紙を裏返し、新しい欄を作った。


 《今日できること》


 《できない場所》


 《家で外せない刻》


 《覚えたい仕事》


 《危険だと思うこと》


 最後の欄には、最初、《希望》と書きかけた。だが希望だけでは、断りにくい。家族の世話で半刻しか出られないことも、濁った水を前にするのが怖いことも、今までの坑内で息を悪くしたことも、書けるようにしたかった。


 「名を書かないなら、明日の賃金は出ないのか」


 机の前で、若い坑夫が言った。昨日、採掘の封印を見上げていた男だった。


 「出ます」


 ノアは答えた。


 「今日、停止で待った時間も、非常費の対象へ入れます。名簿は、無理に仕事を割り振るためではありません。明日から誰が何を選べるか、同じ紙で確かめるためです」


 「選べると言っても、処理か給水か、どちらかへ行けと言われるんだろう」


 「断る欄も作ります。断っても、理由を皆の前で言う必要はありません。ただ、人数が足りなければ、処理炉を動かさない、給水の回数を減らす、と先に出します」


 坑夫は紙を見た。すぐに筆を取る者はいない。


 ノアは、先に自分の欄へ小さく書いた。帳面を持つ。坑口と水番小屋を往復する。夜番はしない。記録を一人で閉じない。書記の自分にも、できることとできないことを置かなければ、他人の欄だけを詰問する紙になる。


 バンが近づいてきた。泥掻き用の長靴を持っているが、履いてはいない。


 「俺は炉へ入れる。だが、腰まで水に入る仕事は外してくれ」


 「昨日の救助で傷めましたか」


 「前からだ。冬に冷えると、足が動かなくなる。坑夫長には言ってない。格子の仕事なら、持ち場を替えてもらえたからな」


 ノアは筆先を上げた。


 「ここには、理由まで書かなくていいです。《深い水には入らない》で足ります。オルドさんと処理班へは、必要な範囲だけ伝えます」


 バンは驚いたように名簿を見た。


 「隠したら、また誰かが困るんじゃないのか」


 「隠すのと、皆へ晒すのの間を作ります。必要な人が、安全に決められるように伝える。理由を話すかどうかは、バンさんが決めてください」


 バンはしばらく黙り、《泥掻き・水位札の運び》と書いた。深い水には入らない、の欄へ自分で丸をつける。隣にいたオルドは、その丸を見ても問い返さず、炉前から槽の縁まで板を渡す案を口にした。


 「板の上なら、泥掻きはできるか」


 「できる」


 「無理なら、途中で代われ」


 それだけ言って、オルドは水位板の方へ戻った。


 ネリは、給水荷車の欄を見ていた。彼女の名は、昨日の救助後から処理炉の名簿に仮で置かれている。ノアはその横に引いた薄い線を指した。


 「炉前へ戻るのが嫌なら、消します」


 「嫌だと言えば、あの中へ入れなくなる」


 ネリは坑口を見た。水が引いたとはいえ、奥から湿った冷気が出ている。


 「私だけが怖がったみたいになる」


 「怖さは、仕事を決める理由になります。坑内へ戻らない人がいるなら、その分を誰がどう補うかも、紙に出せます」


 ノアは言った。


 「ただ、給水荷車も楽な仕事ではありません。坂を越え、樽を下ろす。ネリさんはどちらなら続けられますか」


 ネリは、荷車の車輪を見た。


 「樽の数を数えるならできる。水番小屋まで一人で引かない。二人で交代できるなら」


 「では、《給水荷車の積み降ろしと数量》にします。二人組、半刻ごとの交代。坂を一人で引かない。これでどうですか」


 「それなら」


 ネリはようやく自分の名を、新しい欄へ書いた。昨日の水から離れられないままでも、全部を同じ場所で引き受けなくてよい形が、一行だけできた。


 マルは薬材の袋を抱えて来た。


 「俺は数は読める。でも、薬材は知らない。袋を間違えたら、余計に水を悪くする」


 「一人では量らない、と書きます」


 ノアは言った。


 「ミナさんの確認がある刻だけ、薬材を出す。確認役が来ないなら、炉を動かさない。袋を運べることと、量を決めることを、同じ仕事にしません」


 マルは安堵したようで、それでも首を傾げた。


 「そんなに分けたら、人数が足りなくなる」


 「足りないなら、足りないまま処理量を増やさないための名簿です」


 ノアは答えた。


 仕事を作れば、皆が元の賃金へ戻れるわけではない。非常費は七日分しかなく、薬材を運ぶ荷車も、代替水を引く者も限りがある。それでも、危ない仕事を高く買えば、止めるべきときに残る人が出る。誰でも同じ日当で、できる時間だけ入る。危険な場所は、手当ではなく、二人組と交代と停止条件で減らす。


 トムは採水の欄を見ていた。


 「水位板は読めるようになった。でも、瓶の封印は町の人が読むんだろう。俺が行ったら、鉱山の手で替えたと思われないか」


 「一人では持たせません」


 ノアは、採水の欄を三つに分けた。


 《採る人》《箱を閉じる人》《運ぶ人》


 「トムさんは箱を水番小屋まで運ぶ役にできます。封印を読むのは町側、石を沈めるのはミナさんか隣領の人。途中で箱を開けないための手として、町側と一緒に歩く」


 「町側が嫌だと言ったら」


 「その刻は箱を運ばない。採水そのものを、次の当番へ回す」


 マラが後ろから言った。


 「私はトムと行く。昨日、水位板を一緒に読んだ。箱を閉めるところは、私が見る」


 トムは一度、採掘の封印を振り返った。それから採水運搬の欄へ、短く自分の名を書いた。


 ユードは排水輪の欄を指で押さえた。輪の軸を知る者は少なく、オルドは彼を夜の当番にも入れたがっている。


 「昼なら回せます。でも夜は、母の薬を届ける刻なんです」


 「代わりに誰かを置けないか」


 「置けます。トムへ軸の音を教えます。最初の二刻は俺と一緒に。夜だけは外してください」


 ノアは、排水輪の欄を昼と夜へ分けた。夜の枠を空白のまま残し、そこを埋めるためにユードを引き留めはしない。空白があれば、夜に輪を回せないという判断が先に見える。


 「夜の枠が空いたら、日当はどうなる」


 ユードが訊く。


 「昼の分は昼の分として払います。夜に出られないから、明日の名簿から外すことはしません。輪を回せない夜は、回せないと掲示します」


 「母の薬も、給水の樽も、同じ刻に届かなくなるかもしれない」


 「だから、その重なりを名簿で見ます。ユードさんが薬へ行く刻は、給水荷車を別の道へ回せるか、先に町側へ聞きます。家の事情を隠して穴を開けるより、穴のあるまま皆で選びます」


 机の周りには、少しずつ別の選び方が増えた。子の熱が下がるまで午前しか出られない者。腕を傷めて荷車は引けないが、坑道の水音を聞き分けられる者。鉱山の名前を町で出したくないと、最初は給水を断った者。最後の男には、リナが水番小屋の裏口から樽を渡す案を出した。誰がどこから水を受け取ったかは記すが、広場で頭を下げる列にはしない。


 ノアは、家族の名を賃金帳へ写す前に、一人ずつ確認した。病人の名や借金の話まで、共同班の板へ出さない。今日の給水を誰が待っているかだけを、当番表の刻へつなぐ。名簿は人を並べ替えるためのものではなく、その人が抜けたときに家の水と賃金が一緒に消えないようにするためのものだ。


 昼を過ぎると、山の端の雲が低くなった。最初の雨粒は、名簿の《できない場所》の欄へ黒い点を作った。


 ノアは机に油布を掛けたが、坑道の方から走って来たユードの顔を見て、手を止めた。髪から水が落ちている。まだ本降りとも呼べない雨なのに、長靴の泥はふくらはぎまで濡れていた。


 「水位が、半刻で指半分上がった」


 「雨が坑内へ入ったのか」


 「上の割れ目からも来てる。さっき閉めた外弁の前で、槽が押し返してる」


 オルドが水位板へ向かう。リナは共同班の札を持って走り出した。ノアはまだ乾いている名簿を抱え、給水荷車の欄を見た。


 今なら、誰を呼べるかは書いてある。だが、呼べるからといって、雨の中へ入れてよいとは限らない。


 雷が山の向こうで鳴った。


 次の雨脚は、机の油布を叩くほど太かった。坑口から上がった声が、雨音を切った。


 「排水槽、上限だ!」

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