第4巻 第32話 患者が判定する
移行席には、患者のための空いた椅子が三つ置かれていた。
サナはその一つへ座り、机の上の順番表を見た。病室番号、旧登録の状態、薬庫の札、家族への連絡、夜勤の停止条件。職員だけなら、症状の軽い順、薬が単純な順、設備を止めやすい順に並べられる。
だがその順番で、患者が今夜を選べるとは限らない。
「私は、全員の代わりに決めません」
サナは最初に言った。
「自分の夜に何ができるかを言う人。家族が待つ条件を言う人。夜勤でできないことを言う人。その声を、順番表へ残します」
木工職人は、娘が来ない夜なら候補になると話した。彼の停止条件は、木笛を握れなくなり、鈴を引けないこと。娘が面会に来る夜は、移行をしない。家族が何かを理解できないまま、廊下で待つ夜にしたくない。
年配の女性は、孫の名を二度呼んだら、夜勤者が手を触れる。三度なら旧登録を戻す。本人が眠りの中にいるときは、隣の患者へ見張りを頼まず、夜勤の巡回を早める。
軽症病棟で成功した男性は、今夜は順番を譲った。
「俺は一度、旧登録を眠らせた。次は、まだ眠れていない人が選ぶべきだ」
サナはその言葉を、賛成として数えなかった。成功した人が次も協力することを、当然にしないためだ。
重症病棟のアデルについては、姉と夜勤者、医師が席へ来た。姉は生活歴の紙を持ち、冷たいものを避けること、左腕へ触れる前に声を掛けることを言った。だが旧登録を休止する順番は、まだ決められない。
「私は、妹の代わりに早くしてとは言えません」
姉は言った。
「今夜の補助と連絡が守れるなら、待ちます」
夜勤者は、アデルを最後にするのではなく「代理と連絡の欄が埋まるまで保留」と書いた。最後という言葉にすれば、患者が後回しにされる。保留と書けば、進めるために何が必要かが残る。
ナディアの席は空けたままだった。旧館隔離室で、本人が移行席へ来ることを選んでいない。ローデが生活の紙を持ち、医師が補助の下限を示し、イレナが今夜の熱を見る。けれど、ナディアの順番を職員だけで決めない。
「ナディアさんは、今は旧館で守る」
サナは言った。
「移す順番ではなく、名で新館へ繋ぐ順番を、本人と一緒に決められるまで」
マレクはその言葉を表へ写した。隔離室は「未完了」ではあるが、「早く移す患者」の欄には入れない。現在の熱と補助を守りながら、分類名を患者名へ戻す手順を別に作る。
家族の側からも、順番は変わった。サナの叔母は、夜に電話へ出られない日は移行を始めないと書いた。別の家族は、遠方から来るため二日前に知らせてほしいと言う。受付係は、それを単なる希望欄にせず、連絡が取れないときは保留にする条件として表へ入れた。
夜勤者は、自分たちの順番も置いた。一人の看護者が二夜連続で重症病棟と旧館を掛け持ちしない。薬庫が旧札を戻せない夜は、新しい患者を始めない。保守係が不在なら、隔離室側の紋に触れない。
移行席の紙には、患者名の横に「本人の言葉」「家族の連絡」「夜勤の停止」「薬庫」「設備」と五つの小さな欄ができた。どれか一つが空欄なら、順番は決めない。
最初の患者は、欄を一つずつ見た。
「本人の言葉って、私が今夜やると言ったことですか」
「今夜やらない、と言うこともです」
サナは答えた。
「途中で変わっても、紙を直せます」
患者は少し笑った。
「紙に書いたら、変えられないと思っていた」
「前はそうだったかもしれない」
サナは言った。
「でも、夜に苦しくなった人が、昼の紙へ合わせるのはおかしい」
夜勤者は、その患者の欄へ「予定を変えるとき、鈴を一度。返事が遅ければ夜勤が先に中止」と書いた。本人が言葉にできれば、その言葉を読む。できなければ、夜勤が迷って待たない。
別の患者は、家族の欄を見て不安そうにした。
「母は字が読めません。紙を渡しても、連絡を待てるか分からない」
受付係は、母へ電話をつないだ。患者は席の横で、今夜旧登録を眠らせるかもしれないこと、何かあれば新館から電話することを自分の言葉で話す。母は「分からないことがあれば、隣の家の娘にも話して」と言った。
受付係は、隣人の名を勝手に書き足さなかった。患者の母が電話口で同意し、隣人の娘へも連絡が取れてから、連絡の受け手として欄へ入れた。
「これで、今夜は選べますか」
サナが訊く。
患者は、電話を置いてから頷いた。
「母が知らないままならやらなかった。今は、もし止めても連絡が行く」
家族への連絡は、患者を説得するためのものではない。患者が今夜を選ぶための条件だった。
夜勤者の欄でも、順番は変わった。旧登録を眠らせた経験のある軽症病棟の看護者が、次に重症病棟へ入る予定になっていた。イレナはその名へ線を引く。
「今夜は重症病棟の見学だけ。患者の休止には入らない」
「私はできます」
「できることと、続けられることは違います」
イレナは言った。
「軽症病棟の三人を見たあとで、同じ夜に重症病棟の中止条件まで覚えるなら、あなたが途中で止められなくなる」
看護者は少し黙り、見学の欄へ署名した。進める役だけが役割ではない。次の夜に一人で立たないために、今夜は見て覚える役もある。
ベルクは薬庫の札を机へ置いた。患者ごとに、旧館の薬をまだ使うか、新館だけで足りるか、補充がどこまでできるかを確認する。
「新館だけで足りる人を先にする、という順番は使えます」
彼は言った。
「でも、それで患者を軽い人から進めるとは決めない。家族が待てないなら保留。夜勤が足りなければ保留。薬庫だけで順番を決めない」
サナは、その言葉を表の端へ書いた。患者の順番は、一つの専門だけで決めない。だから移行席には、薬庫も夜勤も家族もいる。
ナディアについては、ローデが席の端に座った。彼は旧館の隔離室の紙を持っているが、ナディアの代わりに選ばない。
「ナディアさんが人形を寝台の内側へ置くと、少し落ち着く。湯の温度を確かめるまで飲まない」
ローデは言った。
「俺が言えるのはそこまでだ。移るかどうかは、言えない」
医師は、新館隔離室で受け取れる条件を読む。ミナは分類名を患者名へ繋ぐための設備の手順を説明する。イレナは、今夜の熱を誰が見るかを置く。
サナは、ナディアの欄を「保留」と書いた。
「保留は、何もしない意味じゃない」
彼女は言った。
「今夜の熱を守る。名前で連絡できるようにする。本人が席へ来られる日を待つ。それが次の順番です」
ローデはその文字を見て、初めて少し肩を下ろした。
席の最後に、サナ自身の紙が残った。胸が冷える。白灯が出る。叔母が夜に電話を受けられる。新館の補助が、旧館を読まずに続く。軽症病棟の成功を見たあとでも、サナの順番は急いで決めない。
「私は、いつにしますか」
サナはイレナへ訊く。
「あなたがもう一度選べる日に」
イレナは答えた。
「今夜の表でも、代表だからという理由では先に置きません」
サナは頷いた。代表として、自分を先頭に置けば皆が安心するように見えるかもしれない。けれど代表が先に耐える形を作れば、また患者の言葉が順番の外へ落ちる。
サナは、自分の欄を上から読み直した。胸の冷えと白灯、叔母への通話、鈴一回で停止、二回で旧登録へ戻す準備。代表の役割ではなく、自分の夜に必要な条件だけが並んでいる。
「この条件が全部そろうなら、私は今夜を選びます。一室目にしてください」
「皆の代わりではなく、サナさん自身の選択ですね」
イレナが確かめる。
「はい。一人の患者として選びます」
書記は表を一度、声に出して読んだ。第一移行は、本人が今夜を選び、叔母への連絡が通り、鈴と復帰札を確かめられたサナ。続く一室は、同じ五つの欄を満たした軽症病棟の患者。次は、娘の来ない時間を選んだ木工職人。高齢の女性は、孫の名前を二度呼べた時だけにする。アデルは代理同意の欄が埋まるまで、治療を止めず、登録だけを動かさない。ナディアは、熱と人形の位置を守りながら、名前で呼ぶ道を先に作る。
読まれた順番は、病状の軽重だけで並んではいなかった。今夜に答えられること、答えられない時に誰が何を守るか、元へ戻る手を夜勤が持てること。その三つが各行に残っている。
「空いている順に入れる表じゃないんですね」
受付係が小さく言った。
「空いているから移すと、また連絡のない人が先になる」
サナは答えた。
「ここにある順番は、今夜、その人の生活を受け取れる順番です」
木工職人は娘の名が書かれた行を指で触れ、高齢の女性は自分の鈴を膝へ置いた。アデルの姉は保留の文字を見ても消すように頼まず、代わりに今晩の連絡先をもう一度書いた。保留にも、誰かが今夜を引き受ける印が必要だと、皆が見ていた。
サナは、患者の声と職員の声が同じ列へ並ぶのを見た。患者が「眠れない」と言うことと、薬庫が「補充できない」と言うことは、どちらも移行を止める理由になる。片方だけを軽く扱えば、夜の表はまた患者を置いて進む。
「この順番でいいですか」
書記が訊く。
サナは、表の最初に置かれた自分の名を見た。
「代表だからではありません。私も一人の患者として、今夜を選びます。叔母へ電話が通り、鈴と復帰札をもう一度確かめられるなら」
受付係が連絡帳を確認する。
「通ります。今、返事もあります」
夜勤者が、サナの停止条件を読み上げる。薬庫が新館の札を見せ、ミナが旧館の復帰札を確認する。サナは最後に、自分の鈴の紐を引ける位置へ寄せた。
一人ずつ、同じことを繰り返したわけではない。患者が今夜を選べるか。家族へ届くか。夜勤が戻せるか。薬庫と旧館が止まれるかを、その人ごとに確かめた。
夕方までに、保留の理由と停止条件を含めた全病室の順番が決まった。




