第4巻 第21話 サナの停止条件
サナは、自分の名前が最初の候補に書かれそうになるのを見て、手を上げた。
「待ってください」
病室の小さな机には、夜勤用の紙と患者用の紙が並んでいる。サナが旧登録を休止するなら、胸が冷える、息が浅い、鈴が届かない、続けたくないと言う。そのどれかで戻す。イレナはすでに、サナの言葉を紙へ書き始めていた。
「私が最初にやると言ったけれど、今のままではだめです」
イレナの筆が止まる。
「どうしてですか」
「私の夜は、もう白くなっています。旧登録を休止して何か起きたとき、それが休止のせいなのか、いつもの夜のせいなのか、分からない」
サナは、自分の胸へ手を置いた。今は苦しくない。それでも、眠る前に胸が冷えること、呼吸の間が遅れることを、誰より自分が知っている。自分が最初なら、手順が安全だったかを確かめる前に、皆が自分を助けるため走ることになる。
「私は、止める条件を言えます。でも、比べるための最初の人には向いていません」
レントはすぐに頷かなかった。サナが怖くなって断ろうとしているのではないかと、軽く決めたくないのだろう。
「最初に選ばれないことで、何が守れますか」
「新館だけで眠れる人が、旧登録を休止しても眠れるかを見られる」
サナは答えた。
「私なら、夜に白くなることを前提に、手動補助の人をたくさん置くことになる。そうしたら、次の人も同じだけ人を置かなければならない。誰かが眠れる夜を、私の夜に合わせてしまう」
それは後ろへ下がるための言葉ではない。自分の異常を、最初の基準にしないための言葉だった。
イレナは患者用の紙を裏返した。
「では、停止条件を先に決めましょう。最初の人が誰でも、同じように止められるように」
「同じにはしないでください」
サナは言った。
「胸が冷える人も、眠れない人も、鈴を引けない人もいる。私と同じ条件を使ったら、その人の言葉が消えます」
イレナは一瞬、目を上げた。それから新しい紙を取る。
「患者ごとに、本人の前兆を聞く」
「それを、止める条件に入れる」
「はい」
サナは、最初の欄へ自分の言葉を書いた。胸の冷え。息を三回浅く吸う。鈴の紐を探す。続けたくないと言う。
「これは、私の条件です」
彼女は紙をイレナへ渡した。
「他の人に使わないで」
午後、候補になりそうな患者へ、イレナとサナは別々に話を聞いた。サナは看護者の代わりに質問をしない。ただ、患者が自分の夜を言うとき、何を聞かれてもいいかを確かめるために近くに座った。
最初に話したのは、足を折った木工職人だった。夜の補助は使っていないが、移転の日に旧館の名札を外され、新館へ来た。彼は鈴を引ける。呼吸も安定している。
「俺なら、寝てても大丈夫だろう」
彼は言った。
「だが、木笛を落としたときに、手が動かないと困る」
「木笛ですか」
「夜、痛みが強くなる前に、俺はこれを握る。手が握れないくらいなら、鈴も引けない。そこを見てくれ」
木工職人は枕元の袋から木笛を出した。彼にとっての前兆は、脈の数ではなく、指先が木をつかめなくなることだった。
次に、眠り薬を飲む年配の女性が話した。彼女は鈴を引く手が震える。夜に孫の名を呼び始めるとき、自分では息が浅くなっていることに気づかない。
「私が同じ名前を二度言ったら、起こして」
女性は言った。
「三度目まで待たないで。孫の名を呼んでいるときは、夢の中にいるから」
サナは、その言葉を紙へ書くイレナの手を見た。停止条件は、機械の赤い灯だけではない。患者が自分の身体で知っている、まだ他人には見えない手前のことだ。
イレナは、紙の端へ四つの欄を作った。患者が言う前兆。夜勤者が見る変化。薬庫が止める条件。設備が戻す条件。
「患者さんの言葉だけで止めると、夜勤者が迷うことがあります」
イレナは説明した。
「でも、夜勤者の見た数字だけで続けると、本人がもう無理だと言えない。両方を書きます」
木工職人の欄には、木笛を握れなくなる、痛みで返事が遅れる、鈴を引けない、の三つが並んだ。夜勤者の欄には、顔色と手の動き。薬庫の欄には、鎮痛薬を渡したあとは半刻ごとに確認する。設備の欄には、補助表示が白くなれば旧登録をすぐ戻す。
「薬庫の欄まで、患者さんに読んでもらいますか」
サナが訊く。
「全部は読まなくていいです」
イレナは言った。
「あなたたちに必要なのは、何をされるかと、いつ止められるか。薬庫や設備の人には、別の紙で同じ停止を渡します」
サナは頷いた。説明を全部聞けば、自分が選べるようになるわけではない。分からないことがあるままでも、止めてほしいことを言えるなら、患者は手順の中にいる。
年配の女性の紙には、本人の言葉の下に、孫の名前が二度出たら、という欄ができた。だが女性はそれを見て首を振る。
「二度では、私がただ思い出しているだけかもしれない」
「では、三度ですか」
「三度なら、夢の中へ入っています。二度で、隣の人が私の手を触って。三度なら止めて」
サナは、そのやりとりを聞いた。停止条件は、一つの数で決まらない。本人が言えるとき、隣の人が気づくとき、夜勤者が中止する刻。それぞれをつなげて初めて、眠りの中の人にも戻る道ができる。
イレナは、隣の寝台の人へ無理を頼まないように、夜勤者の巡回を半刻早めると書き足した。患者同士が見守ることを前提にせず、たまたま聞こえた声があれば渡せるようにするだけだ。
「私たちが眠っていたら、誰も孫の名前を数えられない」
女性が言った。
「だから、鈴を寝台の外へ増やすんじゃなくて、看護者が先に見に来て」
「そうします」
イレナは答えた。患者の観察を、夜勤の代わりにはしない。その言葉を紙へ書くより、巡回の刻を変えるほうが確かだった。
木工職人が娘の面会の夜を避けた話を聞き、サナの叔母も自分の連絡先の紙を取り出した。
「家族が夜に来る予定なら、それも止める条件に入れるんですね」
「はい。何か起きたとき、連絡を待つ人がいるなら、本人だけの夜ではありません」
サナが答えた。
「なら私も、今夜は家にいます。新館から電話が来るなら出られる。電話がつながらないなら、明日の候補からも外して」
叔母は自分の連絡先の紙へ、夜に出られる時間と、隣の家へ回す条件を書き直した。家族がただ待つだけなら、停止条件に加わることはできない。けれど、どの連絡なら受け、どの連絡が取れなければ中止するかを自分で示せば、患者を置いたままにはしない手になる。
サナは叔母の文字を見て、最初に自分が選ばない理由をもう一度確かめた。自分の旧登録を休止すれば、夜勤、薬庫、旧館、叔母の電話、どれも一度に重くなる。比較するための最初の夜に、それほど多くを背負わせてはいけない。
手順は、弱い人を後ろへ置くためのものではない。誰が何を言え、誰が何を受け止められるかを確かめ、今夜に守れる範囲を選ぶためのものだ。
候補の中には、今夜の休止に向かない人もいた。痛みが強く、眠り薬を変えたばかりの人。家族が遠く、夜に連絡を待つ人。旧館の薬をまだ使っている人。断ることは、協力しないことではない。今夜の手順で守れないものを、先に言うことだった。
「私は、眠れる人を選べばいいと思っていました」
サナはイレナへ言った。
「でも、眠れる人にも、眠れなくなる前の言葉がある」
「だから、本人に聞くんです」
「聞いて、断られたら」
「今夜はしない」
イレナは答えた。
「手順を通すために、誰かの夜を借りない」
夕方、木工職人が自分から詰所へ来た。木笛を握ったまま、椅子の背へ寄りかかっている。
「俺は、最初にはならない」
彼は言った。
サナは少し驚いた。手が動かなくなる前兆を言えたから、彼が選ばれると思っていた。
「娘が今夜、面会に来る。もし何かあったら、あの子がまた走ることになる」
「それなら、外していいです」
サナが言うと、木工職人は頷いた。
「俺は明日の夜ならいい。娘に、今日は来なくていいと言えるから」
自分の夜を選ぶのは、患者だけではない。家族がどこにいるかも、止める条件になる。
サナは候補の紙を見た。自分の名前には、胸の冷えと白灯の記録が多く並ぶ。木工職人には、娘が来る夜は避けると書かれた。年配の女性には、孫の名を二度呼んだら止めるとある。
どれも、試験を急ぐために削れない言葉だった。
「私を外してください」
サナは、イレナへもう一度言った。
「怖いからではありません。私の夜は、手順が比べられるようになってから戻す。最初は、今夜を自分で選べる人にしてください」
イレナは、サナの名が書かれた候補欄へ線を引かなかった。横に「後で本人が再選択」と書いた。外すことは、サナの夜を後回しにして忘れることではない。手順が誰かの言葉を守れると分かったあと、もう一度本人が選べるよう残すことだった。




