第4巻 第20話 一人ずつ戻せる手順
レントは、一括解除の紙を裏返した。
全病棟の旧患者紋を同じ夜に休止する。医師長が出した案は、白灯を早く止めるためのものだった。患者が二つの館から呼ばれなくなれば、補助の往復も止まるかもしれない。
だが紙の裏には、誰が戻すのかが書かれていなかった。
「一度に休止するのは、やめましょう」
レントは言った。
「旧館の登録を一人ずつ眠らせる。新館の補助、薬、呼び鈴、家族への連絡が残っていると確かめてから次へ進む。異常が出たら、その場で旧登録を戻せるようにする」
「一人ずつでは、何夜かかる」
医師長が訊く。
「分かりません」
「夜勤者は待てない」
「待たせないために、戻せる形で始めます」
レントは答えた。
速く終えるために一度に切れば、誰が苦しくなったかも、何を戻すべきかも分からない。患者を守るための停止が、患者の顔を見ない停止になる。
イレナが夜勤帳を開いた。
「一人ずつなら、患者ごとに何を見ればいいですか」
「夜勤では、患者の手首と呼吸、鈴が届くか、補助具が新館の名を読めるか」
「薬庫では」
ベルクが続けた。
「旧館の札が眠っても、新館の薬が出せるか。夜の予定と実際に渡した刻が残るか」
「設備では」
ミナが訊く。
「旧館の紋を休止して、新館の表示が白くならないか。白くなったら、どこまで戻すか」
レントは、紙を五枚に分けた。夜勤、薬庫、設備、患者、受付。五つの仕事を一枚へ詰め込めば、夜に誰も読めない。患者の枕元へ置く紙と、薬庫の鍵のそばへ置く紙、受付の連絡箱へ置く紙は、同じである必要がない。
患者用の紙には、今夜何をするか、どんなときに中止するか、誰がそばにいるかだけを書く。夜勤用には、手首と呼吸、鈴、補助の順番。薬庫用には、旧札を休止したあとも新館の棚が出るか。設備用には、旧館の塔印を休止し、新館の窓印へ戻す手順。受付用には、連絡を希望する家族か代理人、新館側で確かめた番号、夜に連絡を受ける担当、確認した刻を書く。連絡を望まない患者は、その意思も本人へ確かめた刻とともに残す。
イレナは患者用の紙を取り、声に出して読んだ。
「『今夜、旧館のあなたの登録を一時的に眠らせます。新館の寝台、薬、呼び鈴はそのままです。胸が冷える、息が苦しい、続けたくないと思ったら、すぐに言ってください。言えないときは鈴を三度。そこですぐ戻します』」
「戻すのは、誰ですか」
サナが訊く。
「旧館の盤はミナさんとローデさん。病室では私。薬庫はベルクさん」
「誰かがいなかったら」
「始めない」
イレナは、患者用の紙には設備の細かな言葉を書かなかった。塔印や窓印を並べても、眠る前の患者を安心させない。患者に必要なのは、何をされるのか、誰がそばにいて、いつ止められるかだった。
ベルクは薬庫の紙を、夜箱の横へ置いた。そこには患者名、今夜の薬、旧札を眠らせた刻、新館札が出た刻、薬を実際に渡した刻を書く欄がある。
「新館の札が出なければ、薬を待たせる前に旧札を戻す」
彼は言った。
「でも、旧札を戻したことを、病室へ伝えないといけない。薬だけが旧館を読んで、夜勤が新館だけを見ていたら、また二つの順番になる」
「誰へ伝える?」
「詰所の夜勤者へ。紙を渡すだけじゃなく、声で言う。夜は紙が机の下へ落ちることがある」
ベルクの言葉には、昨夜の二刻の空白があった。書いたことは、読まれる刻に渡らなければ役に立たない。
ミナは設備の紙へ、休止の手順を三つだけ書いた。旧館の盤で患者紋を一時休止する。新館の表示が窓印のままかを見る。白くなったら、旧館の紋を戻し、そこで操作を止める。
「旧館の盤が休止を受け付けなかったら」
レントが訊く。
「操作しません」
ミナは答えた。
「力を足して押し切れば、患者紋をどこへ送ったか分からなくなる。受け付けないことも、今夜の結果として残す」
ローデは、旧館の鍵を布から出した。彼は鍵を回す役ではなく、休止のあとに隔離室の灯と旧床の残留灯を見る役だ。旧館の設備が本当に眠ったのか、患者を待ったままなのかを、盤の色だけで決めないために。
「灯が消えても、すぐ扉は閉めない」
ローデは言った。
「残留灯が消えるまで、ここにいる。戻すと言われたら、鍵と盤の位置を変えずに待つ」
レントは五つの紙を、五つの場所へ渡した。患者の枕元、夜勤詰所、薬庫の夜箱、旧館の盤、夜間連絡を受ける受付箱。説明を一枚にして全員へ渡せば、誰かが自分に関係ない欄を読み飛ばす。今夜必要なのは、同じ結論を知ることではなく、それぞれの場所で止められることだった。
それでも、紙だけでは始められない。
「患者さんへ、今夜のことを誰が説明しますか」
レントが訊く。
「夜勤者が、枕元で」
イレナが言う。
「家族には」
「患者ごとに、連絡を希望する家族か代理人を受付紙で確かめてから、昼のうちに連絡する」
受付係が答えた。サナの叔母には、旧館の登録を一時的に眠らせるだけで、寝台を動かさないこと、夜に電話があれば新館からかけることを伝える。家族が不安なら、その患者は今夜の候補にしない。
「新館側の番号と夜の担当、確認した刻のどれかが空いている人も、候補にしません」
レントは言った。
「連絡を望まない人は、その意思を本人が確かめられるときだけ残す。誰かが『たぶん不要だ』と決めて、空欄のまま進めない」
「医師は」
「処方を変えないことと、変える必要が出た場合の連絡先を残す」
医師長が言った。
「休止を理由に、眠り薬を増やして患者を静かにさせることはしない」
マレクは、それぞれの答えを聞いた。手順は長く見える。だが、移転のときに抜けたのは、まさに誰が患者へ説明し、誰が薬を渡し、誰が戻すかという短い間だった。
今度は、その間を先に置く。
「戻す条件も、別々です」
レントは言った。
「患者が胸の冷えや息苦しさを言ったら、夜勤は手で補助を始める。薬庫で新館の札が出なければ、薬庫は旧札を戻す。設備で新館の表示が白になれば、旧館の紋を戻す。誰か一人が全部を待たない」
マレクは紙を見ていた。
「患者が不安になったら」
「患者が続けたくないと言ったら、そこで戻します」
「それで、白灯が続いたら」
「その夜は、手動補助と今ある夜勤で守る。次の患者へは進まない」
それは遅い手順に見える。だが、戻せない一括解除より、患者が不安を言える一度の休止のほうが、今夜の夜勤にはまだ引き受けられる。
レントは患者候補の一覧を広げた。旧館の紋が残る可能性のある患者。呼吸補助の有無、夜の薬、家族の連絡先、旧館の寝台番号。名前を並べるだけで、誰から先にすべきかを決めたくなる。
医師長は、比較的症状の軽い患者を指した。
「最初はこの人がよい。日中に話せる。夜の補助も必要ない」
ベルクは別の名を指す。
「薬庫の札が単純な人がいい。旧館の予備を使っていない」
イレナは首を振った。
「本人が夜に鈴を引ける人でないと、戻す条件を確かめられません」
それぞれの基準は正しい。症状が軽ければ危険は小さい。薬が単純なら、旧札を戻す負担が少ない。鈴を引ける人なら、患者の言葉で中止できる。
しかし、最初の一人を、都合のよい条件だけで選べば、その人は手順を確かめるための道具になる。
「候補を、患者さんへ見せます」
レントは言った。
「選んでもらうために」
「それでは、誰も手を挙げないかもしれない」
医師長が言う。
「手を挙げないなら、今夜はやらない」
レントは答えた。
「患者さんが、夜に何を怖がるかを知っている。薬庫や設備の都合だけで、最初の人を決めたくない」
サナは、その話を病室の椅子で聞いていた。誰も彼女へ協力を頼んでいない。レントは候補の紙を、目の前に置かなかった。話を聞くか、後で返事をするか、病室へ戻るかを先に選べるようにしている。
叔母へ伝えるための紙も、まだ封をしていない。今ここでサナが断れば、紙は渡さずに済む。夜勤の人数も、サナが選ぶことを前提に組まれていない。選ばないことで治療や面会が変わることはない、とイレナがはっきり言った。
「今、返事をしなくてもいいです」
イレナは続けた。
「明日の昼まで考えて、断ってもいい。別の人が選んでも、あなたの旧登録を勝手に休止しない」
サナは膝の上で手を重ねた。選ぶことが、勇気を見せるための役目になれば断れなくなる。だから、断ったあとにも自分の夜が守られると聞く必要があった。
「私がやらないなら、今夜は誰もやらないんですか」
「誰かが自分で選ぶまで、やらない」
レントは言った。
「そのあいだ、今の夜勤で守る。あなたの不安を、手順の速さで押し切らない」
「最初の人は、眠れない人がいいんですか」
サナが訊いた。
「眠れる人がいい。休止しても、新館の補助が夜を越えられると分かる人」
「でも、眠れる人は、また眠れなくなるかもしれない」
「そうです」
レントは頷いた。
「だから、本人が止めると言えなければ始めない」
サナはしばらく黙っていた。旧館の名が自分を呼ぶ夜を、誰より知っている。自分が最初に選ばれれば、また眠れないかもしれない。けれど、誰かが自分の知らないところで一括解除されるなら、それもまた怖い。
「私が最初にやります」
サナは言った。
イレナがすぐに首を振る。
「サナさんは、夜の異常が出ています」
「出ているから、止める条件を言えます」
サナは答えた。
「胸が冷えたら止める。鈴が届かなければ戻す。私が続けたくないと言ったら、そこで終わりにする。誰かが私の代わりに決めないなら、最初の候補は私が選びます」




