第3巻 第三十五話 二夜目の製粉
レントは、止まった石臼の前で、粉の匂いを吸い込んだ。
製粉所の床には、夜のうちに挽いた粥用の粉が三袋並んでいる。ブラムは袋の口を麻紐で結び、粗い粉の袋へは別の印を付けていた。峠の車を救うため、流れを西村へ振った一刻が、ここから消えている。
「パンの分は」
レントが聞く。
「朝まで回しても、一袋半」
ブラムは石臼の縁を撫でた。
「だが朝まで回せば、治療所の炉が細る。粥は残す。硬いパンをどうするかだ」
外では、粉を待つ人が袋を抱えて並んでいる。昨夜の寒波で、家の手臼を回す腕も足りない。粉がなければ、麦はただの固い粒だ。
先頭にいたのは、治療所の付き添いをしていた男だった。袋の中の麦を見せる。
「これは粥にできる細かさがいる。薬を飲む人が二人いる」
次の女は、指に布を巻いている。昨日、凍った戸を直して手を切ったという。
「うちは粗くていい。娘が手臼を回す。でも昼に屋根の雪を下ろす者へ、噛めるパンを持たせたい」
学校から来たティナは、子どもの名ではなく火番表を差し出した。夜の避難室には、乳を待つ小さい子と、火を見られる大きい子がいる。全員へ同じ粉を出せば、粥を飲めない子と、朝まで働く子が同じ椀を待つことになる。
ブラムは、人の列を麦袋の列へ並べ替えなかった。床へ三つの木板を置き、《細かく》《粗く》《今夜は挽かない》と炭で書く。
「ここへ、自分の袋を置け」
彼は言った。
「細かい粉が要る理由と、粗くても食える理由を、隣の袋へ言え。俺が家の腹を決めるんじゃない」
付き添いの男は自分の袋を《細かく》へ置いた。手を切った女は《粗く》へ置く。学校の火番表は二つの板の間へ置かれた。ティナは、小さい子の粥と、火番の大きい子の硬いパンの両方が要ると話す。聞いていた老女が、自分の麦を《今夜は挽かない》へ動かした。
「うちは昨日の粉が少しある。細かい方を薬の人へ」
その言葉に、別の家の者がすぐ礼を言わない。明日には自分の粉も尽きる。だからメラが、老女の袋へ春の種と取り違えない印を結んだ。今夜挽かない麦が、勝手に誰かの粉へ変わらないようにするためだ。
レントは木板のそばに立ち、数を読み上げなかった。袋を置く手が遅い者には、隣人が一緒に理由を言う。誰が一番困っているかを、彼が代わりに決めれば、また今夜の順番を奪ってしまう。
ブラムは、夜番の者を三人呼んだ。ゴド、ティナの父、そして牛舎から来たメラ。誰も石臼を一晩中回すためだけに来たわけではない。ゴドは炉の火を見る。ティナの父は袋を縫う。メラは粉を家ごとに分ける。
「交代で回す」
ブラムが言う。
「石臼を回す腕、流れを聞く耳、粉を出す手を、同じ者に続けさせない。眠い手で石を詰まらせれば、次の刻が全部消える」
ブラムは自分の外套を脱ぎ、石臼の脇へ掛けた。首元には、管理人用に残していた小さな粉袋がある。春までの見回りに持ち歩く分だ。
「俺の袋は《今夜は挽かない》へ置く」
メラが振り向く。
「ブラムさんは夜通しここにいる」
「だから、俺の分を先に食えば、臼の音を聞く耳が鈍る。朝まで残す」
ブラムは袋を木板へ置いた。自分が空腹を我慢することを、美談にしたいわけではない。管理人が自分の袋を先に挽けば、ほかの家が「臼を守る人だから」と譲り続ける。今夜の交代を続けるなら、ブラムの腹も同じ板へ置く必要があった。
「夜明けに、粉が残らなければ」
ゴドが聞く。
「その時は粗い粉を食う。臼は回さない」
ブラムは答えた。
レントは、石臼の下に溜まった古い粉を、布で丁寧に掻き出すのを手伝った。粉が残れば、次に挽く細かい粉へ湿った粒が混じる。ブラムは歯の間に木の楔を入れ、油布を外し、冷えた石を掌で叩いた。石の音で、夜の途中に止めるべき刻を確かめている。
臼が動き始める前に、メラは粉袋へ縫い付ける布印を切った。治療食は青い糸、学校の粥は白い糸、粗いパンは茶の糸。字を読めない者が夜の戸口で取り違えないためだ。ティナの父は針を火にかざし、凍った指を温めてから布へ通す。
失った一刻がなければ、全ての袋へ細かい粉を回せたかもしれない。だが今、石臼へ入れる麦を増やせば、石が冷え、次の朝の粥まで粗くなる。ブラムは板の《今夜は挽かない》を消さなかった。
レントは、臼の歯の間に残った麦を見た。連環視を使う前に、ブラムへ聞く。
「どこで止めますか」
「青の冷却灯が消えたら、臼を止める。石が冷えすぎても止める。袋が増えたから続ける、はしない」
製粉所の青の冷却灯は、流れが規定の範囲にあることを示す。臼を回せる量を保証するわけではない。ブラムは灯だけでなく、石の震えと粉の細さを見ている。
最初の交代で、ゴドが臼へ麦を入れる。石臼が低く唸り、粉が布の袋へ落ちる。メラは粥用の細かい粉を別にし、牛舎で乳が減った家へ先に渡す。自分の家だけを先にしない。昨日、牛舎を後にした札を、今夜は粉の順番で使っている。
ゴドの腕が疲れる前に、レントが麦袋を持ち上げる。重さは魔法では消えない。濡れた袋底が床へ触れないよう木箱へ載せ、次の袋の口をほどく。粉袋を抱えて出る者には、戸を開ける前に布を巻かせる。吹雪へむき出しで持ち出せば、粉は雪を吸い、家へ着く頃には粥にならない。
学校へ向かう袋を持った少年が、戸口で立ち止まった。
「これ、一人で持てる」
「火番へ戻るなら、二人で行く」
ティナの父が言う。少年は袋を小さく分け、一つを隣の娘へ渡した。二人で雪を踏み、戸口の外で互いの布印を確かめる。製粉所から学校までの道も、粉を挽く交代の一つだった。
ティナの父は、粉袋の口を縫いながら言った。
「学校の子は、明日も火番か」
「夜の避難室が残るなら」
メラが答える。
「なら硬いパンを、火番の大きい子へ回せ。乳を待つ小さい子には粥だ」
レントは、その順を紙へ写さなかった。メラが粉袋の印を変え、ティナの父が袋の口へ家の印を縫い付ける。ここで決まる順番は、製粉所の外へ出る時に袋そのものが運ぶ。
夜半、石臼の音が変わった。少し高く、乾いた音になる。ブラムがすぐ手を上げた。
「止めろ」
ゴドは麦を入れる手を止める。冷却灯はまだ青い。だが臼の縁へ手を近づけると、石が冷え、粉が粗くなり始めている。
「まだ灯は」
ゴドが言う。
「灯は流れを見てる。臼の歯は見てない」
ブラムは答え、石臼へ油布を掛けた。
油布を掛け終えると、ブラムは臼の横に座り込んだ。肩で息をしている。管理人が止めたのだから、誰かが代わりに回せばいい、と言われるのを待っているようにも見えた。
メラが木板を持って来る。
「《今夜は挽かない》の袋、まだ六つある」
「分かってる」
「明日、俺たちが恨む」
「恨め。だが、石を割ってから恨まれるよりましだ」
ブラムは臼の縁へ手を置いた。失った一刻を取り返せないことを、誰より自分が引き受けている。粉が足りない家へ言い訳を届けるのではなく、止めた臼の前に残り続けることで。
止めると、待っていた者の顔が沈む。レントはその顔を見て、あと少しだけ回せないかと思った。だが連環視を使えば、粉袋、治療所、学校、牛舎へ線が伸び、どれかを選びたくなるだけだ。今ここで、臼の音を知るブラムより先に言うことはない。
代わりにレントは、袋を運ぶ者の数を聞いた。雪が深く、川下の家へは粉を持って歩かなければならない。製粉所に残る粉があっても、運ぶ者が冷えれば、朝の椀には入らない。
「西村へ行く道は」
レントが外を見ると、ハルが首を振った。
「峠はまた埋まった。車を掘り出した道も、風で消えた。今夜、向こうへ人は出せない」
ハルの外套の肩には、峠の雪がまだ固まっている。車を救ったあと、製粉所へ一刻の代償を伝えたミナからも、同じ道が閉じたと聞いたという。
「明け方なら」
「馬を出しても、車輪の跡がない。人が歩けば腰まで沈む。そりの綱を張る木も埋まってる」
レントは西村の札を持っていない。向こうへ着けば何を見ればよいか、聞けば誰に助けを求めるかも、今ここからは確かめられない。心配だからと雪へ出れば、製粉所の粉を運ぶ手も一つ減り、峠で救う者を増やすだけになる。
レントの中で、別村の札と、今ここにある粉袋の線が重なる。西村の治療所は、そりで運んだ石が着いたかもしれない。だが、自分の目で確かめに行けない。連環視は、雪の向こうの寝台を見せてはくれない。
「ここに残ります」
レントは言った。
「製粉所から出せる粉を、今夜の家へ渡す方を手伝う」
ブラムは油布を押さえたまま頷く。
「それでいい。見えない村まで背負うな。ここの袋を、ここの足で運べ」
石臼は、朝まで動かなかった。けれど粥用の粉は三袋、硬いパン用の粉は一袋半、雪を踏む足の数だけ分けられた。
製粉所の戸を開けると、吹雪が中へ入り、粉の匂いをさらっていく。レントは西村へ向かう道が消えた方を見た。
今夜、彼は別の村へ移動できなかった。




