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俺に魔法は使えない。でも、なぜ王国の結界が落ちたのかは説明できる  作者: pj.masta


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第3巻 第三十四話 動く蓄魔車

ミナは、峠へ向かう坂で三度転んだ。


 雪は乾いて見えて、下には昨日の氷がある。蓄魔具を運ぶそりを押す流路番とガルドが、前後で綱を握った。先に行った西村の蓄魔車は、峠の下で車輪を沈めている。車の側面の青い警報灯が、雪の中でかすかに見えた。


「鐘は」


 ミナが聞く。


「鳴らしてない」


 御者のハルが答えた。車輪の脇へ膝まで沈み、受け具を支えている。


「石は割れてない。だが、流れが細い。ここで引けば、受け具が外れる」


 ミナは車へ近づいた。赤の確認灯は点いている。遠隔の運転信号は届いている。しかし車の石を冷やす流れは、雪で覆われた管の下で弱っていた。赤い灯だけでは、車を動かしてよいことにならない。


 受け具から車の底へ伸びる管は、雪へ半分埋まっている。ミナは手袋を外さず、その上から管を指で押した。冷たい部分と、妙に硬い部分がある。車輪が沈んだ時、管が引かれ、分岐石の方へ張っているのだ。


「綱を掛けて引けば、抜ける」


 流路番が言った。


「車輪より先に、管が鳴る」


 ガルドが答える。管の付け根へ耳を当てると、雪の下で細い擦れる音がする。張ったまま車を動かせば、受け具の口が欠ける。石を西村へ届けるための車が、そこで石を傷つける。


 ハルは馬の手綱を握ったまま言った。


「急げ。向こうは寝台を減らして待ってる」


 ミナの喉まで同じ言葉が上がった。西村の薬鍋、雪の中の患者車、共同炉で待つエマの顔が浮かぶ。だが、受け具の霜はさらに薄くなっている。


「急がない」


 ミナは言った。


「管の張りを抜くまで、馬を動かさない。ここで外せば、車も石も、西村の熱も失います」


 声が震えないよう、彼女は管の上へ手を置いた。安全担当は、遅れている者へ「待て」と言う役だ。その言葉を言ったあと、何をすれば待たせる刻を短くできるかまで、示さなければならない。


「流路番は管の上の雪を掘って。ガルドさんは分岐石。ハルさんは馬を外して、車輪の前に枝を入れてください。私は受け具を見ます」


 皆が散る。雪を掘る鍬の音、馬が鼻を鳴らす音、管の下で流れる細い水音が重なる。ミナは受け具の留め金へ布を巻き、管が動いた時に金具同士が擦れないよう押さえた。


 青の警報灯は、まだ点いている。停止基準には届いていない。けれど車輪を掘り出す間に、石の熱が上がれば赤の警報灯へ変わる。ミナは車の受け具へ手を当て、霜の薄さを確かめた。


 「西村へ、車の石をそのまま運ぶのは無理です」


 ハルの顔が固くなる。


「なら、引き返す」


 「引き返しても、ここで石を外せば残留が跳ねるかもしれない」


 白の残留灯は、受け具の根元で小さく光っている。切り離した導具に魔力が残る印だ。消えるまで外せない。


 ミナは残留灯の横へ、雪を払った小さな板を立てた。《消えるまで外さない》。ハルは文字を見て、唇を噛む。


「待ってたら、西村の方が先に冷える」


「待って外せるようにする。その間、西村へ行く熱を地中の流れで増やします」


「車がなくても」


「車の石を壊さず渡せるようにします」


 ミナは答えた。魔力を強く流せば、残留灯は早く消えるかもしれない。だが管の張りと車の沈みを無視して流せば、石の内側に熱がこもる。石が重いほど、破綻した時に人の手では止められない。


 ガルドが雪を掘り、流路の分岐石を見つけた。


「共同炉から西村へ行く線は、ここで分かれる。車へ入れる分を一刻だけ止め、製粉所へ回している戻りを、こっちへ細く振れる」


「製粉所の持ち時間が減ります」


 ミナは言った。


「今夜の石臼を一刻早く止めることになる」


 「西村の寝台を空にするよりはましだ」


 ガルドは、車輪の掘り出しを続けながら答えた。けれど、彼だけが決めることではない。ミナは流路番へ共同炉へ走るよう頼んだ。製粉所のブラムと炉の板へ、切替えの理由と止める刻を伝えるためだ。


 流路番は走り出しかけ、振り返った。


「ブラムが断れば」


「断るなら、切替えない」


 ミナは言った。


「製粉所が一刻を出せるかは、ブラムさんが決める。私は、出せるなら安全上限の中で流す」


 流路番は頷き、雪へ消えた。西村の車を救うために、製粉所の熱を勝手に取らない。その一刻を出す人が、粉にならない麦と、明朝の椀を知っている。


 白の残留灯が消えるまでの間、皆で車輪の周りへ枝と藁を差し込んだ。ハルは馬を外し、車を一寸ずつ後ろへ引く。ミナは受け具を押さえ、ガルドは分岐石の雪を削る。手袋はすぐ濡れ、指が金具へ貼りつきそうになる。


 車輪の前へ枝を二本入れても、沈んだ縁が動かない。ハルは肩で息をし、馬を戻そうとした。


「まだだめです」


 ミナは受け具を見た。白の残留灯が、さっきより細くなっている。管の張りも少し抜けた。ガルドが分岐石の方から手を振る。


「雪の下で管が石に噛んでた。今、外した」


 ミナはハルへ合図した。


「馬は一歩だけ。車輪が動いたら止める」


 馬が前足を踏み出す。枝が軋み、車輪が指二本分だけ上がる。すぐに止める。流路番が戻る前に、無理に轍へ出さない。ハルは苛立った顔で、それでも手綱を緩めた。


 流路番が戻った。


 「ブラムは、一刻減らすと言った。粥用の粉を先に挽いて、硬いパンは明日の朝へ回す。炉の板にも書いた」


 ミナは胸の奥で、短く息を吐いた。ブラムが出した一刻は、車の救出を急がせるためのものではない。西村の寝台へ熱を届かせるために、製粉所が自分で選んだ代償だ。


「切替えは、車輪が抜けるまで。製粉所へ戻す時刻も板に書いてありますか」


「書いてある。鐘の砂が落ちる前だ」


 流路番が示した砂時計を、ミナは雪から守るよう胸元へ入れた。石の温度、管の張り、車輪、そして製粉所の一刻。どれか一つだけを見て栓を回せば、別の場所の手が冷える。


 ミナは頷き、分岐石の栓を半回転だけ動かした。遠隔の命令を待たない。現場の停止判断者が安全上限の内側で切り替えるための栓だ。石の下で、流れの音が変わる。


 車の側面の青の警報灯が、少し弱くなった。車の石へ入る熱は細くなったが、共同炉から西村へ向かう地中の流れが、ゆっくり太る。ミナは、そこで栓をさらに回さない。


 ガルドが分岐石の上へ手をかざした。


「もう半回転なら、そりへ出す石は早く冷える」


「車の管は」


「耐えんとは言わん。だが、今の張りで戻す方がいい」


 ミナは栓の柄を握ったまま動かなかった。西村へ急ぐなら、あと半回転が欲しい。製粉所の一刻も、もう削ると決めた。けれど安全上限を越えてから止めるのでは遅い。


「ここまでです」


 彼女はもう一度言った。


「早く届く石より、着いて使える石を送る」


 ハルは雪を払った手を見下ろし、やがて受け具の布を締め直した。急がせる者も、止める者も、同じ西村へ熱を届けたい。そのために、今は半回転を残す。


「ここまでです。冷却を見ます」


 車の石の表面に張った霜が、少しずつ戻る。白の残留灯は消えている。接合を外せる。


 「車を動かす前に、石をそりへ移す」


 ミナが言うと、ハルが顔を上げた。


 そりの綱は、濡れたままでは手から抜ける。流路番が自分の腰紐をほどき、綱の結び目へ重ねた。ミナは結び目を二度引き、石の重みが片側へ寄らないことを確かめる。


「車は置くのか」


「車輪は雪の中で直す。石はそりで西村へ送る。車が着くことを待たない」


 ガルドとハルが受け具の固定輪を外す。残留灯が消えたことを、ミナと流路番が同時に見てから、布で包んだ石をそりへ移す。石は重く、二人がかりでも腕が震える。そりの下へ藁を重ね、坂を下る時に石が跳ねないよう綱を短くする。


 西村へ向かうそりを見送る時、ミナは分岐石の栓へ戻る手を止めた。製粉所の流れを今すぐ戻せば、車の掘り出しに使う熱が細くなる。だが長く切替えれば、ブラムの粉が尽きる。


「車輪が抜けたら、戻す」


 彼女は言った。


 ハルは雪を掘りながら、短く頷いた。誰かが西村へ石を運び、誰かが車を掘り、誰かが製粉所の一刻を削っている。ミナ一人の術では、車は動かない。


 夜明け前、車輪はようやく轍へ戻った。分岐石の栓を元へ戻すと、遠くの製粉所から、石臼が止まる音が風に乗って来た。


 ミナは車が動いたからといって、受け具から手を離さなかった。車輪軸の雪を払うと、解けた水が細い輪になって凍り始めている。管の継ぎ目にも、爪ほどの濡れがあった。大きな漏れではない。だが、峠を越える振動で広がれば、次の車を止める。


「ハルさんは軸へ藁を巻き直して。流路番さんは、この継ぎ目を半刻ごとに見て、濡れが増えたら車を止めてください」


 ミナは小さな札へ、見る刻と止める条件を書いた。自分が残れば安心だと思う気持ちを抑える。製粉所の一刻を削ったことを、臼の前にいるブラムへ自分で伝えなければならない。


「私は製粉所へ行きます。失った一刻を、紙だけで渡したくない」


 ガルドが頷き、継ぎ目の下へ乾いた布を置いた。ミナは車を振り返らず、吹雪の中を製粉所へ下り始めた。


 ブラムが約束した一刻は、もう失われていた。


 ミナはその音を、雪の上で最後まで聞いた。


 止める音にも、届かなかった熱の重さが残った。

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