↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺に魔法は使えない。でも、なぜ王国の結界が落ちたのかは説明できる  作者: pj.masta


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
110/400

第3巻 第三十話 自分の文書を止める

ノアは、異議申立ての紙を風で飛ばされないよう、机へ石を二つ置いた。


 代官庁の受付には、朝から人が少なかった。寒波前に薪を受け取る者、患者車の通行札を求める者、屋根の補修を頼む者。皆、窓口へ並ぶ前に空を見ていた。ノアの机の上には、更新第七二号の原本、差押え証文、共同炉の札を写した紙がある。


 異議の文には、こう書いた。


 《更新第七二号第四項に基づく可搬蓄魔具差押えについて、冬季の最低供給を確かめるまで執行を停止されたし》。


 偽造ではない。王都に不足がないとも書かない。自分の形式確認が行われたことも隠さない。例外欄が空白のまま、村の早朝需要を返納候補へ入れたことを、今の札と車の記録で確かめたい、と書く。


 筆先が一度止まった。


 自分の名を申立人の欄へ置けば、三年前の名と向かい合う。ノアは両方の署名を見比べた。若い筆跡の方が、今よりまっすぐだ。内容を読まないまま、形だけが整っていることを誇らしく思っていた頃の字だった。


 原本の頁を開くと、紙の折り目に古い砂が残っていた。三年前、急いで乾かした墨の砂だろう。ノアはそれを払わず、頁の間へ薄紙を挟んだ。異議の紙と原本を一つの束にしてしまえば、どちらが昔の約束で、どちらが今止めようとしている申立てかが曖昧になる。古い文書は古いまま残し、新しい紙は別にする。その上で、二つの番号を糸で結ぶ。


 受付の少年職員が、複写用の紙束を抱えて近づいた。記録庫で箒を持っていた少年だ。ノアは彼へ、原本を触らせる前に手を温めるよう言った。凍えた指で紙をめくれば、角が割れる。


「どこを写せばいいですか」


「第四項と例外欄。添付地図の空白。それから、今の炉板の札」


「全部ですか」


「同じ束にはしない。誰が書いた紙か分かるよう、別々に写す」


 少年は頷き、机の端へ四つの紙を並べた。王都契約、差押え証文、村の炉板、車の札。ノアがいなくなっても、次の者が何と何を照らしたかを辿れるようにするための並びだった。


 受付の奥から、クレイが出て来た。荷車はまだ村にある。返納品を積んだまま、雪道の通行確認を待っているという。


「申立てですか」


 クレイは紙を見て言った。


「はい」


「私が持ち出した五つを止める」


「戻せと言うだけではありません。次の執行も、最低線を確かめるまで止めてほしい」


 クレイは原本の表紙を見た。更新第七二号。彼はその番号を知っている。だから驚かなかった。


「停止すれば、王都の受領が空く」


「承知しています」


「承知しているなら、王都の治療工房が何を失うかも書くべきだ」


 ノアは紙の余白に、クレイが示した二つの工房名を書いた。薬液保温、留め具鍛造。村の札だけを並べて、王都側の生活を見えないままにしては、また別の余剰を作る。


 「書きます。その上で、こちらの早朝の刻も、返納候補に入れる前に見てほしい」


 「二日後の寒波までに、王都へ何度も照会はできない」


 「だから、執行を止める申立てです」


 ノアは、車の札を一枚、クレイの前へ置いた。今日、エマたちが西村の患者車と川下の製粉所を回った時刻が書いてある。西村へ一つ渡せば、川下へは半刻しか残らない。帰りの車輪の藁が濡れ、翌日の峠越えが遅れることも、ハルの字で残っている。


「五つの封印を外せば解決する、と申立てには書きません」


 ノアは言った。


「車一台では三夜に足りない。村も、手持ちを返してほしいとだけ言っているわけではない。何が足りないかを、返納先と同じ紙で確かめたい」


 クレイは車の札を読む。濡れた紙の端を持ち上げ、刻を一つずつ追う。


「ここへ、王都の受領予定も添える」


 彼は言った。


「薬液保温の分を止めるなら、どの患者用の薬が遅れるか。留め具鍛造の分を止めるなら、どの道の補修が遅れるか。私が書く」


「それを読んで、誰が決めますか」


「監察席だ。少なくとも、私とあなたのどちらか一人ではない」


 クレイは、紙の隅へ自分の小さな印を押した。賛成印ではない。《受領先照会資料添付》の印だ。ノアの申立てを止めはしない。だが王都の事情も、村の札と同じ束へ入れる。


 クレイの口元が硬くなった。


「私は、村を罰するために来たのではない。止めた五つを積み、王都で受領させなければ、次はこの地域の契約枠が落ちる。工房も村も、春まで使える分を失う」


「それでも、このまま執行されれば、村は寒波の一夜目を越えるための物を失います」


 ノアは言った。


「私の文書が、その執行を許している。だから、私が止める申立てを出します」


 受付の向こうで、薪を受け取りに来た老人が咳をした。ノアはその音を理由に紙を強くしない。ここにいる一人の咳と、王都の工房の炉を、どちらも大きな言葉で押し切ることはできない。


 クレイは差押え証文を机へ置いた。


「形式確認者が自分の確認へ異議を出すなら、あなたは記録を扱う側のままではいられない」


「分かっています」


「分かっていない。あなたが席を失えば、村の票を残す人も一人減る」


 ノアは息を吸った。クレイは、ノアが職を失えば都合がいいから言っているのではない。書記がいなくなる影響を、契約代理人として数えている。だから、その指摘は痛かった。


 「私一人の机に残る票なら、初めから村の票ではありません」


 ノアは答えた。


 「炉の板と、札と、流路番の控えに残します。私が書記でなくなっても、次の人が読めるように」


 ノアは少年職員へ向いた。


「この写しを三部にする。一部は監察席、一部は共同炉、一部は契約倉。渡した刻と、受け取った人の名をそれぞれ書いて」


 少年は一瞬、返事をためらった。これは書記官の仕事だ。だがノアは、彼の手元の紙を指した。


「私の代わりに判断してと言っていない。写して、渡して、受け取ったことを残してほしい」


「できます」


 少年は言った。


 小さな返事だったが、ノアはそれで十分だった。自分だけがいなければ紙が動かない形を、今ここで少し外す。


 クレイはしばらく窓の外を見た。雪雲は尾根のすぐ上まで下りている。


 「申立ては受け取る。ただし、私には執行を止める権限がない。監察席へ送る。その間、返納品はここへ留める。封印は外さない」


 クレイは、荷車の御者へ合図した。返納品を積んだ箱は村道へ出ず、代官庁の石蔵へ移される。執行を止めたわけではない。だが、寒波の前に山を下らせれば、監察席の返事が来ても村へ戻せなくなる。


 ノアは石蔵までついて行った。執行人が箱を下ろす時、青い封印札が雪明かりを受けて光る。扉の内側には赤の確認灯がある。遠隔の運転信号を受けているだけで、箱の中の蓄魔具が安全に残っている保証ではない。ノアは執行人へ、封印札の数と、箱の布が濡れていないことを一緒に確認するよう頼んだ。


「お前は、もう担当から外れるのに」


 執行人が言う。


「だから、ここで見たことを札へ書きます。次の人が、封印を開ける時に迷わないように」


 クレイはそれを止めなかった。五つの封印札、石蔵へ入れた刻、扉を閉めた者。ノアは紙へ書き、執行人が隣へ印を付けた。


 それは全てを失う返事ではなかった。だが、寒波まで二日で返るとも言わない返事だった。


 ノアは受付印を押した。紙へ朱い円が付き、申立ては彼の手を離れる。


 身分証を外す前に、ノアは机の引き出しを開けた。供給帳の鍵、未処理の通行札、配分席で使った細い墨棒を、布の上へ並べる。鍵は少年職員へ、通行札は受付の女官へ渡した。墨棒だけは炉板を写すための物なので、エマへ届ける控えに入れた。権限を外されるなら、机の中に残して誰かを待たせない。受け取った者は一つずつ名を書き、ノアは空になった引き出しを閉めた。


 鍵を受けた少年職員は、すぐに机へ近づかなかった。


「今後の供給帳は、誰に聞けば」


「今日の分は流路番へ。村の札は炉の席へ。分からない時は、空欄のまま閉じないで、誰に聞いたかを書いて」


 ノアは答えた。身分証を返せば、問いへすぐ答える席を失う。それでも、次の者が一人で抱え込まない道だけは残さなければならない。


 少年は鍵を握り直し、供給帳の前に自分の名を書いた。


 墨はまだ乾かず、名だけが机に残った。


 クレイは外套の内側から、小さな革の札を出した。代官庁の書記官であることを示す身分証だ。ノアの首に下がる札と同じ印が刻まれている。


「その身分証を返してください」


 ノアは革紐へ手を置いた。


「今ですか」


 「今です。あなたは自らの確認した契約の執行停止を求めた。結論が出るまで、契約記録と供給帳を扱う権限は外す」


 受付の人々がこちらを見た。ノアは首の紐をほどいた。冬の革は硬く、指先がうまく動かない。ようやく札を外すと、掌に残ったぬくもりがすぐ消えた。


 クレイはそれを乱暴に取らなかった。両手で受け、封筒へ入れる。


「これは処罰の決定ではない」


「でも、戻らないかもしれない」


「そうです」


 クレイは目を逸らさずに言った。


 ノアは空いた首元へ風を感じた。三年前の署名を消すことはできない。だが、その紙が今も人を運ぶなら、黙って机へ戻すことはもうできなかった。


 クレイは身分証の封筒を胸へしまい、監察席へ送る申立てを持ち上げた。


 窓の外で、最初の雪が横から降り始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。