第九十四話 巡礼への選別
フロワでの朝。
窓の向こうでは、白く積もった屋根の上に、細かな雪が静かに落ちている。
僕は顔を洗い、身支度を整える。
そして、机の上に置いていた白灰色のローブを手に取った。
魔零派のローブ。
僕はフードを軽く整えると、宿を出た。
⸻
零の大聖堂へ向かう道は、今日も白かった。
石畳の上に雪が薄く積もっていて、踏むたびに小さな音がする。
高台へ向かう坂道を上がっていくうち、だんだんと白灰色のローブ姿が増えていく。
僕は、そのまま大聖堂の中へ入った。
中の礼拝堂には、信徒がちらほらいる程度だった。
祭壇の前に行くと、胸の前で手を交差させ、指先を翼のようにひらく。
もう何度かやっているので、前よりは自然にできた。
短く祈りを捧げ、そっと頭を下げる。
そのまま下がろうとした時だった。
(何か貼り紙がある)
礼拝堂の端にある掲示板へ、視線が止まる。
前にはなかった紙が、何枚か新しく貼られていた。
そこには、今後の儀礼や連絡が細かく書かれていた。
そして、その中の一枚に目が止まる。
神山巡礼の選別について。
日取りと流れの説明文だった。
(なるほど……選別は三日後か)
(フリールが手を打っていてくれればいいが)
パディットが言う。
(そうだね)
(僕は、自分に出来ることをやるしかないね)
その後も僕は、午前のあいだ大聖堂で祈りを捧げたり、経典を読みつつ過ごした。
礼拝堂の中は静かで、時々信徒が出入りする。
祈る者。
経典を読む者。
掃除をしている者。
その中に紛れて、僕もただ静かに時間を過ごした。
少しでも、覚えてもらえるように。
⸻
昼頃になると、僕は大聖堂を後にして魔導院へ向かった。
雪の降る街を抜け、石造りの大きな建物へ入る。
魔導院に入ると、僕はそのまま、おばあちゃんの研究室へ向かった。
扉を開けると、そこにはおばあちゃんがいた。
「来たさね」
「うん」
僕は頷く。
「なんとか、潜り込めると思う」
おばあちゃんが、少しだけ息をつく。
「正直、巡礼に選ばれるところが関門さね」
「選別までの数日は、熱心に祈る信徒を演じるつもり」
「……すまないさねぇ」
おばあちゃんが、少し目を伏せた。
「おばあちゃんは、なんで魔零派を嫌うの?」
僕が聞くと、おばあちゃんはすぐに答えた。
「嫌というかさね」
「根拠のない祈りだの神だの、つらつらと語る」
「そんな連中は、考えることをただ放棄した奴らさね」
僕は思わず苦笑する。
「なんか実に、おばあちゃんらしいというかだね」
「実質、フロワを救っているのは皮肉なことに魔制炉さね」
おばあちゃんは淡々と続けた。
「それを無視して、やれモンスターの魔力がこの地を救うだの、御神鳥様がだの」
「何の解決にもなっていないさね」
「それをどうするか考えないといかんさね」
「確かに」
僕がそう返すと、
(たださ)
パンが静かに言った。
(そういう信仰とか、すがるものとかで、救われる人もいるんだよね)
(救いか……)
パディットが続いて言う。
(それが、まやかしだったとしても、か)
僕は少しだけ考えてから、おばあちゃんを見た。
「おばあちゃんの考えることはわかったよ」
「僕は魔零派のことも、ちゃんと見て考えるよ」
その言葉に、おばあちゃんは小さく目を細めた。
「そうさね」
「歳を取ると、凝り固まっていかんさね」
「あんたは聞いて、見て、その柔らかい頭で考えて、進むさね」
僕は頷く。
それから、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、今日はアーミさん見かけないね」
「今日は研究日さね」
おばあちゃんが答える。
「燈魔書の解読と、魔制炉の理論研究で缶詰さね」
「さすが教授」
「こうやって少しずつ、前に進んでいくさね」
「それこそ、手探りさね」
「それがこのフロワを救うことになるかもだよね」
「そういうことさね」
おばあちゃんは、静かに頷いた。
⸻
その日から僕は、選別までの日を過ごした。
朝は零の大聖堂へ行き、祈りを捧げる。
昼はおばあちゃんのところへ顔を出し、見たことや聞いたことを報告する。
時々、魔導院の講義にも顔を出した。
そうして、一日ずつ。
選別の日は近づいていった。
⸻
選別の前の日。
僕は夕方、フリールのいる魔零派の宿舎の宿へ向かった。
あの宿は、今日も蝋燭の灯りに包まれていた。
二階の黄色札の部屋へ行き、扉を叩く。
「どうぞー」
中へ入ると、フリールがいつもの調子で手を振った。
「待ってたよー」
「やあ、フリール」
僕は短く挨拶する。
「明日のことで、色々聞きたいんだけど」
僕がそう切り出すと、フリールは胸を張った。
「今から説明するよ」
そのまま椅子に腰を落ち着けると、フリールは指を一本立てる。
「明日の選別で、まずは順番に名前を呼ばれる」
「幹部から重要人物、雑用までね」
「そこからは挙手制になるかな」
「挙手制なんだね」
思わず小さく呟く。
僕の表情を見て、フリールはすぐに続けた。
「熱心な信徒は多いからね」
「でも、あたいがさりげなくウルモイさんに、最近毎日長い時間祈りを捧げてますって伝えてるから」
「多分、いい印象ではあると思う」
「ありがとう、フリール」
「あとね」
フリールは少し身を乗り出した。
「明日は多分、人が集まるから、なるべく早く行って、前列の目につくとこにいることも大事」
「埋もれたら目につかないもんね」
「そういうこっちゃ」
「フリールは選別中、どっかにいるのん?」
ムーがローブの隙間から顔を出して聞く。
「んー、あたいは雑用係で色々準備してると思うよ」
「あと、巡礼者の印を渡す係もやる」
「印があるんだね」
「そうそう」
フリールが頷く。
「それをつけてれば、巡礼者ってこと」
「わかったよ、ありがとう」
「明日は早く大聖堂まで行くよ」
「うい」
フリールは軽く手を振った後、少し真面目な顔になる。
「あ、なるべく、あたいとは他人って感じでいてよ」
「あまり話しかけないほうがいいってこと?」
僕が聞き返すと、フリールはすぐ頷く。
「そうそう」
それから、声を少しだけ落とした。
「あんまり知り合いだと思われると、都合悪いこともあるからね」
「フライは最近顔を出してる熱心な信徒って感じのほうが自然だし」
「あくまで、あたいとは他人って見られた方がええ」
「わかった」
そう返すと、フリールは満足そうに笑った。
「よろしー」
そうして、その日は宿に戻って休んだ。
⸻
次の日。
選別の日は、陽が上る前から始まった。
まだ外は薄暗い。
窓の外の雪が、かすかな朝の色を受けて青く見えていた。
僕は早く起きて支度を整える。
ローブを羽織り、気持ちを落ち着けてから宿を出た。
雪の積もる街は、まだ人が少ない。
(まだあんまり人がいないね)
パンが言う。
(まだ朝早いからね)
それでも、零の大聖堂へ近づくと、数人の白灰色のローブ姿がすでに入口の前に見えた。
(ここにいる人は、熱心な信徒ってことか)
パディットが言う。
(確かに、この人たち、よく大聖堂で見かけるかも)
(でもこの人数なら、前の列にいられるのん)
(そうだね)
やがて、大聖堂の重い扉が開いた。
信徒たちは無言のまま一礼だけすると、中へ入っていく。
僕もその流れに続いた。
中に入ると、まずいつも通り寄付をする。
入口脇には、雑用係らしい者たちが並び、慌ただしく動いていた。
「えー、選別者はこちらに並んでください」
「混雑しますので、ご協力お願いします」
言われるままに、僕は列の前の方へ並ぶ。
(やっぱり、いつもより何か緊張するね)
(なるべく平常心だよ)
パンが静かに言う。
(動揺してると怪しく見えるからね)
そうしてしばらく並んでいると、後ろから続々と人が入ってくる。
礼拝堂はあっという間に人で埋まっていった。
(すごい人だね)
(信徒って、こんなにいっぱいいるんだな)
パディットも少し驚いたように言う。
その時だった。
奥の間から、コヤン祭司とウルモイが現れた。
礼拝堂のざわめきが、すっと静まる。
「今日は選別にお集まりいただき、ありがとうございます」
ウルモイの声が礼拝堂に響く。
「コヤン祭司様からの、お言葉になります」
そう言って一歩下がる。
コヤン祭司が祭壇の前へ進み、神鳥像へ深く頭を垂れた。
「今日という日を迎えられましたこと、まずは感謝と祈りを」
その言葉とともに、全員が祈りの形を取る。
「エジルの件は、結局まだ何も掴めないままです」
コヤン祭司の声は静かだった。
「しかし、我々は進まなければいけない」
「これ以上の過ちが犯される前に」
「この零翼にかけて」
再び祈りの形が礼拝堂に揃う。
「今日も神山ペールは、神々しく輝いておられる」
「その地へ、我々は巡礼に向かう」
「今日はその選別を行う」
「ウルモイ、巫女様をこちらへ」
「はっ!」
ウルモイは一礼すると、奥の間へ消えた。
しばらくして、白い巫女装束の少女を連れて戻ってくる。
礼拝堂の空気が、また少し張り詰めた。
「巫女様の祈りの言葉がございます」
ウルモイの言葉の後、巫女が一歩前へ出る。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます」
澄んだ声だった。
「私は悲しんでいます……」
「エジルは、この地のために、救いのために働いて参りました」
「不幸になってはいけない人でした」
「祈りを……」
また、全員が祈りの形を取る。
「神鳥様の神託が降ると信じ、巡礼へと参りましょう」
巫女が下がると、コヤン祭司が顔を上げた。
「アレイシス聖護衛、選別を始めてください」
礼拝堂の脇から、アレイシスが進み出る。
「では、ここらは、私が」
「順番に名前を呼ぶ」
「呼ばれた者は、印を受け取りに奥の間へ」
「まず、神鳥の巫女様、祭司コヤン、ウルモイ――」
そこから、魔零派に深く関わる者たちの名が次々と呼ばれていく。
選ばれた者は一礼し、奥の間へ下がっていった。
そして、やがて。
「ここからは、巡礼者を募る」
アレイシスの声が落ちる。
(きた……ここからだ)
「挙手を」
その瞬間、前列のほとんどが一斉に手を挙げた。
「では――」
アレイシスの視線が、列を順に見ていく。
一人。
また一人。
選ばれて立ち上がり、頭を下げ、奥へ向かっていく。
そして、その視線がこっちまで来た。
一瞬だけ、目が合う。
次の瞬間、アレイシスが僕を指差した。
「――そこの者」
僕はすぐに立ち上がり、頭を下げた。
そのまま奥の間へ向かう。
(よかった……選ばれた)
少し見回すと、前列はほとんどが選ばれていた。
奥の間へ入ると、巡礼者へ印を渡す場所があった。
そこで立っていたのは、雑用係のフリールだった。
「こちらを、お受け取りください」
何食わぬ顔で言う。
僕もそれに合わせて頭を下げた。
渡されたのは、神鳥を模した小さなブローチだった。
銀色の翼を広げた印。
僕はそれをローブの胸元へつける。
その時、フリールが一緒に小さな紙切れを滑り込ませてきた。
僕は何も言わず、それをローブの内側へ入れる。
そのまま自然な顔で、その場を後にした。
⸻
礼拝堂へ戻ると、選別はまだ続いていた。
やがて全てが終わり、コヤン祭司が前へ出る。
「選ばれた方々、よろしくお願いします」
「そして、ペール山への巡礼は明後日になります」
「では、ウルモイから巡礼の説明がございます」
「ウルモイ」
「はっ!」
ウルモイが前へ進む。
「巡礼は明後日の、日の出と共に出発になります」
「それまでに、この礼拝堂へお集まりいただきたい」
「神山ペールは、神の使いがたくさんおいでになられます」
(それって……)
「しかし、恐ることはありません」
「それは神託なのです」
「恐ることなく祈りを捧げるのです」
「そうすれば、心の清き方ならば、受け入れられるでしょう」
(え……)
(おいおい、襲われても受け入れろってことか)
パディットが器から言う。
「神鳥様は、見ておられるのですから」
「では、明後日この場所で皆に会えることを、楽しみにしております」
そうして、選別は終わった。
⸻
宿へ戻る白い街の中を歩きながら、僕は今日のことを思い返していた。
もし本当にモンスターが出るなら、あまりにも危うい考え方だった。
宿の部屋に戻り、ようやく一息つく。
(フリールからのメモは何だったのかしら)
エルが言う。
(そういえば)
僕はローブの内側から紙を取り出した。
小さく折られたそれを、机の上でそっと開く。
書かれていたのは、短い一文だけだった。
『選別が終わったら宿に来て』
僕はその文字を見つめながら、小さく息を吐いた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




