第九十二話 神鳥への道
魔零派の男が襲われた。
その噂を聞いた僕は、胸の奥に重たいものを抱えたまま、魔導院へ向かっていた。
晴れているはずなのに、街の空気は重かった。
中央通りを抜け、魔導院の尖塔が見え始めた頃には、もう遠目にも異変が分かった。
入口の前に、人だかりが出来ている。
(なんだろう?)
僕は思わず足を止めた。
(中に入れるか?)
パディットの声が響いた。
近づいていくと、白灰色のローブがいくつも見える。
魔零派だ。
その前に立っているのは、魔導院へ入ろうとして足止めされている人たちや、困った顔で様子を見ている魔創派の人たちだった。
入口の周りは完全に塞がれている。
「昨日のが気に食わなかったからだ!」
「抗議は正当なはずだ!」
怒声が、石造りの壁に反響する。
僕は人垣の端から、中の様子をうかがった。
魔零派の信徒たちは昨日より明らかに多い。
仲間が襲われたという事実が、そのまま熱になって噴き出しているように見えた。
しばらくすると、入口の奥から、一人の男性が姿を現した。
レバンさんだった。
「お引き取りください」
レバンさんは静かに言った。
「抗議は考慮いたします」
「しかし、今回の件と魔導院は無関係です」
「しらばっくれるつもりか!」
「レバン、貴様には神罰が下るぞ!」
「魔導院しか考えられない!」
いくつもの声が飛ぶ。
レバンさんは眉ひとつ動かさない。
「関係ないと言っています」
「それを言うなら、抗議の口実欲しさの魔零派の自演とも取れますよ」
その言葉に、場の空気が一瞬で凍った。
「なっ……!」
「よくそんなことが言える!」
「魔導具に染まって心まで無くしたか!」
魔零派の男たちがさらに前へ出ようとする。
だがレバンさんは一歩も引かなかった。
「いいだろう」
その声音が、さっきより少しだけ低くなる。
「教えといてやる」
「秩序を守るのに、心など必要ない」
「このまま居座るのなら、こちらにも考えがある」
その瞬間、魔零派の前列がわずかにたじろいだ。
「お、おどしだ……!」
「そうやって口封じする連中なんだ!」
声はまだ強い。
けれど、さっきより一歩だけ後ろへ下がっている。
「これ以上は無意味」
レバンさんは淡々と言う。
「もし続きをやりたいなら、この後、直接零の大聖堂まで行くがどうする」
「く、来るなら――」
その時だった。
抗議の列の後ろから、落ち着いた声が差し込んだ。
「そこまでは許可していないが?」
ざわつきが止まる。
人の壁が、自然に左右へ開いた。
そこをゆっくり歩いてきたのは、長身の男性だった。
白灰色の上等な外套。
整った顔立ち。
年は三十代後半ほどだろうか。
ただ立っているだけで、他の信徒たちと格が違うのが分かる。
「あ、アレイシス様……」
アレイシスと呼ばれた男性が、レバンさんの前まで来ると、一度だけ軽く頭を下げた。
「すまなかったな」
「こちらも色々穏やかではなくってな」
その視線は、鋭くレバンさんを射抜いていた。
「……アレイシス」
レバンさんが低く言う。
「迷惑をかけてすまなかった」
アレイシスさんはレバンさんの言葉を遮るように続ける。
「ここは引かせていただく」
「だが、真実は必ず暴いて見せる」
「真実など何もない」
レバンさんは即答した。
アレイシスさんは短く息を吐き、それ以上は言わなかった。
「では」
その一言で、周囲の魔零派たちが動き出す。
さっきまであれほど熱を上げていたのに、一言で列が整い、ぞろぞろと引いていく。
やはりただの暴徒じゃない。
魔零派は、統率のある集団なんだと分かる。
レバンさんはすぐに周囲へ向き直った。
「皆さん、ご迷惑をおかけいたしました!」
「本日も予定通りに講義がありますので、どうぞ中へ」
その声とともに、入口の前で止まっていた人たちが一斉に動き出す。
僕もその流れに乗って、ようやく魔導院の中へ入った。
(何かますます穏やかじゃないね)
僕は小さく呟く。
(昨日の話の後だから、余計に心配なのん)
ムーが不安そうに揺れる。
魔導院の中は、外の喧騒が嘘みたいに静かだった。
廊下を歩く研究員たちも、小声で何かを囁き合っている。
僕は受付を済ませ、いつも通り休憩所へ向かった。
⸻
休憩所でも、今日の話ばかりが飛び交っていた。
「襲われたって、誰にだろう」
「いや、それも噂だけかも」
「でも昨日、抗議に来てた人間らしい」
あちこちから断片的な声が聞こえる。
(ついに襲われる人まで……)
僕は窓際の席に腰を下ろしながら言った。
(まだ、どういう状況からわからないよ)
パンの声は落ち着いていた。
(ちゃんと確認しないとなのん)
ムーも真面目な声で続ける。
その時だった。
受付の方から、女性の声が響く。
「えー、ご連絡です!」
「貼り紙を出しましたので、ご確認ください!」
ざわざわと人が立ち上がる。
僕も掲示板の方へ向かった。
(えーっと……)
紙にはいくつも文字が並んでいる。
講義変更。
時間変更。
本日の講義変更のご連絡。
(予定していた四階でのアーミ教授の――)
そこまで目で追った、その時だった。
ぽん、と肩を叩かれる。
「フライ」
振り向くと、アーミさんが立っていた。
いつもより険しい顔をしている。
「すぐに師匠の研究室へ」
「はい」
僕が返事をするより早く、アーミさんはもう踵を返していた。
まるで、立ち止まっている暇もないみたいに。
僕もすぐにその背を追った。
⸻
僕はそのまま、おばあちゃんの研究室へ急いだ。
扉を開けると、部屋の中にはすでにおばあちゃんとアーミさんがいた。
「来たさね」
おばあちゃんの顔は、昨日よりもさらに厳しい。
「フライ、まずいことになったさね」
「今朝の件だよね……」
「とうとう事が起こり始めてしまったさね」
おばあちゃんが低く言う。
「魔零派の情報部、エジルが襲われたさね」
「情報部って、どういう……」
僕が聞き返すと、アーミさんが答えた。
「情報部はその名の通り、情報を集める魔零派の耳担当」
「エジルはこっちの動きを探っていて、よくここに来てた人」
「昨日、抗議に来てた人は、まさにそのエジル」
昨日の受付で怒鳴っていた男の顔が、はっきり思い浮かぶ。
何かを知っているみたいな言い方もしていた。
「話では、大聖堂の近くで倒れていたそうさね」
「……」
「誰がやったかはまだ分かってないんだよね」
「分かっていないさね」
「でもね」
アーミさんが一歩前へ出る。
「正直、問題はそこじゃないんだよ」
「誰がやったとか、どうやってそうなったとかより、エジルが襲われたって事実の方が重要なの」
「そうさね」
おばあちゃんも頷く。
「こうなったら対立はもう止まらないさね」
「魔零派は、魔創派の仕業と決めつけるさね」
「そんな……」
「フライ」
おばあちゃんが僕を見た。
「もう悠長にやってる時間はないさね」
「ちょっと、着いて来ておくれさね」
「わかったよ」
そう言うと、おばあちゃんは立ち上がり、研究室のさらに奥にある小部屋へ向かった。
そこは薄暗く、物置みたいに見える。
おばあちゃんは迷いなく壁際の金庫の前へ進む。
重たい錠を外し、扉を開ける。
中から取り出されたのは、古びた設計図だった。
黄ばんだ紙。
細かな文字。
古いのに、丁寧に保管されていたのが分かる。
おばあちゃんはそれを机の上へ広げた。
「これは、三百年前に作られた魔制炉の設計図さね」
「ここを見てほしい」
アーミさんが、紙の一部を指で示す。
そこには、見覚えのある鳥が描かれていた。
翼を広げた姿。
細長い嘴。
礼拝堂の御神体にそっくりだった。
「見たことある」
「この鳥は、ニヴァリスというモンスターさね」
「ニヴァリス……」
「そしてこの設計図は、三百年前の魔制炉製作当初のもの」
「三百年前のモンスターってこと?」
「そうさね」
「でも、なぜこれが重要なの?」
僕がそう聞くと、おばあちゃんはまっすぐ言った。
「それは、ニヴァリスはまだ生きとるからさね」
「封印されたままさね」
「えっ!?」
すると、アーミさんが少し顔をしかめた。
「魔零派のモンスター信仰はニヴァリスから始まったんだ」
「巫女が封印されらニヴァリスの声を聞き、大地が加護を受けるという伝説」
僕は眉をひそめる。
「声を聞くって、そんなテイムみたいな」
アーミさんは苦い顔のまま答えた。
「伝説めいたものは、どんどん真実を歪ませる」
「実際には多分声を聞いたというより、モンスターが来るとか、予兆を言い当てたとかだと思うよ」
僕は少し迷ってから口を開いた。
「でも、そんなことがわかっても」
おばあちゃんが小さく頷いて言う。
「いや、フライ、テイムを持つあんたなら」
おばあちゃんが、僕を真っ直ぐに見て言う。
「ニヴァリスの本当の声を聞けるかもしれないさね」
そこで沈黙が落ちる。
しばらくして、おばあちゃんが、気の進まなさそうに目を伏せた。
「魔零派なんて、気は進まないし、行って欲しくないけれど」
そこで、静かに言葉を継ぐ。
「ニヴァリスに会うには、零の大聖堂に潜り込むしかないさね」
僕は思わず聞き返した。
「魔零派に潜り込むってこと?」
おばあちゃんは小さく頷く。
「ニヴァリスは封印されたまま、魔零派が匿っているという情報があるさね」
「ペール山にさえ行ければ」
「でも、一つ問題があるの」
アーミさんの表情が引き締まる。
「そのペール山は、聖護衛のアレイシスが管理してるの」
「今日、来ていた人ですね」
「そう」
「誰でもペール山に近づかないように監視しているの」
「でも、もうすぐ巡礼が始まるさね」
おばあちゃんが言った。
「巡礼?」
「そうさね」
「魔零派が巫女を連れ、ペール山に行き、全員で祈りを捧げ加護を貰うという儀式さね」
「なるほど……じゃあ、魔零派になってその巡礼に潜り込めば」
「ニヴァリスに近づける」
アーミさんが頷く。
「あとはフライのテイムで話をするだけ」
「三百年前に何が起こって循環が狂ったのか」
「謎が解けるかもしれないさね」
おばあちゃんの声は静かだった。
僕はすぐには答えなかった。
魔零派になり内部に潜る。
危険じゃないはずがない。
しかも今は、襲われた人が出た直後。
でも、ここで止まったら、たぶん全部が手遅れになる気がした。
「わかったよ」
「おばあちゃん、アーミさん」
「行くよ」
僕が言うと、おばあちゃんが俯いて言う。
「そうか……こんな話になってすまないさね」
「……本気で危ないと思ったら」
僕ははっきり答えた。
「大丈夫、心配させないから」
「何かあったらすぐ教えてね」
アーミさんが言う。
「出来る手助けはなんでもするから」
「ありがとうございます」
そうしてその日は宿に戻った。
⸻
部屋に帰ってからも、しばらく眠れなかった。
神鳥ニヴァリス。
魔制炉。
いったい三百年前に何があったのか。
窓の外では、フロワの青白い灯りが雪に滲んでいる。
考えを巡らしながら、夜は少しずつ更けていった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




