第八十話 三度目の祠
牧場へ向かう道は、アルミ村のいつもの風景だ。
けれど今日は、胸の奥でずっと呼ばれているような気配がある。
北の森の向こう。
牧場へ着くと、入口のあたりで腕を組んだホップが待っていた。
「やっぱり、いつも通り、俺の方が早かったな」
「あ、そんなこと言うなら、これあげないよ」
僕が弁当包みを持ち上げると、ホップの目が一気に丸くなった。
「うおっ! フェイスさんの弁当!」
「せっかくホップの分も作ってもらってたのになー」
「わ、わかった、悪かったよ」
「よろしい」
僕は笑って、包みをひとつ渡した。
ホップは大事そうに受け取る。
「しっかし、すげぇな」
牧場の方を見渡しながら、ホップが言う。
「俺がガルディアに行く前は、こんなのなかったもんな」
「うん」
「あれから色々あったからね」
牧場の柵。
新しく整えられた小道。
少し離れたところに建った宿舎。
以前のアルミ村にはなかった景色だ。
「お! あれが宿舎か!」
「行ってみる?」
「おう」
⸻
宿舎の扉を開けると、木の匂いがふわりと流れてきた。
まだ新しい板張りの床。
窓から差し込む昼の光が、部屋の中を明るくしている。
「フライ、ホップ!」
元気な声と一緒に、パンが近づいてくる。
「ホップは、牧場初めましてだよね」
「おう、はじめましてだな」
ホップがしゃがみ込みながら笑う。
「フライ、今日祠に行くのか?」
パディットが、伏せていた顔を上げて聞いてくる。
「うん、リュミエールに会ってくるよ」
「そうか」
それだけ言ってから、パディットはふと思い出したように続けた。
「それと、エルはどうなった?」
「エルから連絡が来たら、牧場に呼ぶよ」
(フライ、もういいわよ)
すぐに、エルの落ち着いた声が届く。
(フリールが離してくれないだけだから)
なんとなく、その向こうでフリールがべったりくっついている光景が浮かび、少し笑う。
(じゃあ、フリールによろしく言っておいて)
僕は杖を構える。
「〈〈テイムバンク〉〉」
足元に魔法陣が浮かび、エルが姿を現した。
「おかえり」
「ええ、ただいま」
エルは優雅に着地して、軽く髪を払った。
「しっかし、テイムバンクはいつ見ても慣れねぇな」
ホップが感心したように言う。
「すぐ慣れるよ」
「お前はもっと自分の特殊性に疑問持てよ」
「それを言うならホップもだよ」
「まぁ、それもそうか」
ホップは少し呆れたように笑った。
「祠まで、誰もついていかなくていいか?」
パディットが聞く。
「うん、二人で大丈夫だよ」
「パディットに乗せて行ってもらえば、すぐ着くんじゃないか」
ホップが言うと、パディットはしばらく黙ってから答えた。
「……一人しか乗せられないぞ」
「ホップは、くわえて運ぶことになるがいいか?」
「おっかないので、今回は遠慮しておきます」
ホップが即答した。
「ムーも今日はここにいるのん」
ムーがぷるんと揺れる。
「ゆっくり休んでね」
「なのん」
「クロープは?」
僕が声をかけると、宿舎の隅の方から、のんびりした気配が返ってきた。
「いるよー……」
「もう動けるよー……」
「治療所のみんなとエルのおかげー……ZZZ」
「クロープはもう大丈夫」
エルが言う。
「ありがとう」
僕はみんなを見渡した。
「じゃあ、そろそろ行ってくるよ」
「あ、それとネールさん帰ってきたら、見張りはいいけど、遠くへは行かないでって言っておいて」
「わかった、戻ってくるかは分からんけどな」
パディットが答える。
(……承知)
するとバツが悪そうなネールの気配がした。
「じゃあな、みんなまたな」
ホップが手を上げる。
僕たちは宿舎を出た。
⸻
牧場を後にして、村の門へ向かう。
見張り台の下まで来ると、上から声が響いた。
「おう、森へ行くのか」
「最近はモンスターも出る時があるから気をつけろよ」
「わかりました」
僕が手を振り返す。
「見張りご苦労様」
ホップも軽く返した。
そうして門を抜ける。
森への道は、前より少し気配が増えていた。
「三回目だな、こうやって祠に向かうの」
ホップが歩きながら言う。
「そうだね」
「あの時は僕、ホップに守ってもらってたね」
「強くなっちまって、ちょっと張り合いがねぇな」
「じゃあ、守ってもらおうかな」
「いや、お前も戦えよ」
ホップが笑う。
「そういや昼だな」
「弁当だけ食ってこうぜ」
「さんせー」
僕は意識を森に広げる。
ざわざわした気配の群れの中から、危険の薄い場所を探る。
「こっち、少し開けた場所がある」
⸻
木々の間が少しだけ開けた場所に腰を下ろす。
母さんの弁当を広げると、ホップがすぐに嬉しそうな顔をした。
「やっぱ、フェイスさんの飯だよな」
「帰ってきた気がするぜ」
ひと口食べたホップが、ほっとしたように言う。
「こういうお袋の味みたいのが染みるんだよ」
「それはすごい分かるよ」
僕もおにぎりを一口食べる。
塩加減も、握り方も、なんだかほっとする味だった。
「旅もいいけど、村もいいよね」
「お前が旅はいいとか言うとは思ってなかったな」
「意外と好きみたい」
するとホップが少し真面目な顔をした。
「……フライ」
「なに?」
「お前、本当にフロワに行くのか」
僕は少し黙ってから、答えた。
「うん」
「……魔法に興味があるんだ、守る力にもなるし」
「村では得られない力が得られるかもしれない」
ホップは弁当を持ったまま、しばらく黙る。
「そうか」
そして小さくうなずいた。
「じゃあ俺も言うけど」
「近々、サラームに向かおうかと思ってる」
「え!?」
「あの魔人がいるところだよ」
「わかってる」
ホップはすぐに言った。
「分かってるけど、避けて通っても、たぶんずっと引っかかったままだ」
「どうしても、自分の運命に決着つけたい」
「そう……だよね」
「ああ」
「サラームに答えがあると思う」
しばらく、二人とも黙った。
「また……別々だね」
「そうだな」
ホップは空を見上げた。
「でも、お互いこれを乗り越えてさ、また笑って村で会えたら、そっちの方がいいだろ」
「今は、やっぱり色々考えちまう……」
「うん」
僕も小さく頷く。
その気持ちは、痛いくらいよく分かった。
「まぁ、なんだかんだ乗り越えて来たんだ」
「なんとかなるって」
ホップは、いつもの調子を取り戻すみたいに、少しだけ笑った。
⸻
休憩を終えて、森をさらに進む。
光は木漏れ日になり、地面にまだらに落ちている。
ホップが剣の柄に手を添えた。
「何かいるか?」
「うん、二匹いるよ」
「一匹任せるぞ」
茂みの向こうに、大きな影が見えた。
角を持つ獣型のモンスター。
ホーンサングだ。
「〈〈エクレール〉〉」
僕が杖を振るう。
次の瞬間、一匹の頭上から雷が落ちた。
轟音。
ホーンサングは、一撃で倒れる。
「さすがだな」
「じゃ、俺も」
ホップが地面を蹴る。
一瞬で前へ飛び、次の瞬間にはもう、もう一匹の懐へ入っていた。
低い踏み込み。
鋭い斬撃。
ホーンサングは短く悲鳴を上げ、そのまま崩れ落ちる。
ホップが剣を払って振り返った。
「ハンターのみんなが見回ってるのに、まだモンスターがいるんだね」
「それだけ村への護りが薄れてるってことかもな」
ホップが剣を納める。
「早く向かおうぜ」
⸻
しばらく歩くと、木々が途切れた。
視界が開ける。
小さな山のふもとに、石造りの祠が建っていた。
扉の中央には、丸まった龍の紋章。
僕は左手の指輪をそっと近づけた。
「じゃあ、行くよ」
指輪と手の甲に、熱が走る。
紋章が光り、石の表面を淡い光がなぞっていく。
重い音とともに、扉がゆっくり開いた。
奥には、長い長い階段が続いている。
「やっぱりここは、あんまり慣れねぇな」
ホップが小さく呟く。
「〈〈ライト〉〉」
僕は杖先に光を灯した。
「やっぱり、呼んでる気配がする……」
「じゃあ行くか」
石の階段を下りていく。
奥から来る気配が強くなる。
やがて、リュミエールの間へ続く扉の前にたどり着く。
僕はもう一度、指輪を扉に触れさせた。
紋章が光り、重い音を立てながら扉が開いていく。
「ここからは僕一人だったね」
「おう」
ホップがそう言った瞬間だった。
(ホップもこっちに連れてきてほしい)
リュミエールの声が直接器に届く。
「リュミエール!?」
思わず声が出る。
「どうした?」
ホップが目を瞬かせる。
「リュミエールが、ホップも来てくれってさ」
「……まじか」
ホップは息を呑んだ。
でも、すぐにうなずく。
「わかった、行こう」
僕たちは並んで、リュミエールの間へ足を踏み入れた。
薄暗い石の空間の奥で、竜の輪郭が静かに浮かび上がっていた。
瞼は閉じられているが、こちらを見ているのがわかった。
僕の隣でホップが呟く。
「これが……リュミエール……」
その時だった。
(フライ)
静かな声が響いた。
(それと、ホップも来てくれたんだな)
その声が、今度はホップへ向く。
ホップは肩をびくりと揺らした。
「お、俺のことも分かるのか」
(護手の血を継ぐ者)
「……ホントに喋ってる」
ホップは視線をリュミエールに向けたまま、ぼそっと言った。
(残念だけどまだ長くは喋れない)
(手短に伝える)
僕は一歩前に出る。
「やっぱり、まだ目覚めてるわけじゃないんだね」
(まだみたいだ)
リュミエールの瞼の奥の光が、わずかに強くなる。
「じゃあ、完全に目覚めるのは」
(フォンセが目覚めれば、私も共鳴で眠り続けてはいられない)
(それは必ず起こることだ)
(その前に、君たちには、護手を探してほしい)
僕は息を呑む。
隣でホップも、表情を引き締めた。
(異界の門が開けば、きっとまた強い力を持つ魔人たちが現れる)
(その時、護手が必ず必要になる)
(止めてほしい、魔人たちを)
(探してほしい、道を)
ホップが、リュミエールを見て言う。
「護手ってことは、俺みたいなのが他にもいるのか」
(いる、この大地以外にも)
「……で、俺はこの力をどうすりゃいい」
ホップは真っ直ぐ聞いた。
(近くに来てくれないか)
ホップが僕を見る。
僕がうなずくと、ホップは僕の横を通って、もう数歩前へ進んだ。
その瞬間。
リュミエールの瞼の奥の光が、ふっと強くなる。
「っ……!」
ホップが片膝をつく。
「ホップ!?」
「だ、大丈夫だ……!」
ホップの額に汗が浮かんでいる。
(心配しなくていい)
淡い光が、ホップの胸元へ流れていく。
「熱い……」
(それできっと力を引き出せる)
やがて光が静まる。
ホップはゆっくり顔を上げた。
「……なんか、変な感じだ」
「自分の中にリュミエールを感じるみたいな……」
自分でもうまく言えないみたいに、ホップは眉を寄せる。
「リュミエール」
「護手を探そうと思うけど、北の大地に行ったら何か分かるかな?」
僕がそう言うと、少しの間があった。
(北の地……微かに感じる)
「分かった」
僕は、まっすぐ頷いた。
すると、リュミエールの瞼の奥の光が、少しずつ弱まっていく。
(そろそろ限界だ……)
「リュミエール! まだ聞きたいことが」
思わず呼ぶと、消えかけた気配が、最後にもう一度だけ揺れた。
(どうか、頼んだ)
(君達は一人じゃない)
次の瞬間、リュミエールは静まり返った。
僕はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
隣でホップが、ふうっと長い息を吐く。
「これ、現実なんだよな」
ホップが苦笑する。
僕も、少しだけ笑った。
「そうだね」
そう言って、ホップは腰の剣にそっと触れた。
「じゃあ、戻ろうか」
「ああ」
僕たちはもう一度、薄暗い間の奥を振り返った。
リュミエールは、さっきと同じように静かに横たわっている。
扉の外へ出る。
重たい石の扉が、ゆっくりと閉じていった。
長い階段を上りながら、しばらく僕たちは何も言わなかった。
頭の中では、さっき聞いた言葉が何度も巡っていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次話も読んでいただけると嬉しいです。




