第七十六話 帰る者、残る者
昼が近づく頃だった。
治療所の大部屋を出たホルスとオーガスは、並んで城へ向かっていた。
大通りは広く整えられ、道の脇には立派な街灯や、手入れの行き届いた花壇が並んでいる。
遠くには城壁の一部が見え、その先に、王城の白い塔が空へ伸びていた。
オーガスが、前を見たままぽつりと言う。
「……あの頃に比べたら、この辺りもだいぶ変わりましたね」
「ああ」
ホルスが短く頷いた。
「王が変わればなんとやら、だな」
そう言って、少しだけ苦笑する。
「この辺を通ると、ライゼルがガルディアには行きたくねぇって、ごねてたの思い出すな」
オーガスが、ふっと息を漏らす。
「ライゼル様には、困ったものでしたよ」
「あなたが、そそのかすからでもあったんですがね」
「耳がいてぇや」
ホルスは肩をすくめた。
しばし、二人は無言で歩いた。
だが、その沈黙は重いだけのものではなかった。
長い年月を経て、ようやく同じ道を歩いている。
そんな不思議な感覚が、二人の間にあった。
やがて、オーガスが静かに言う。
「でも、正直……」
「あなたが来てから、ライゼル様は楽しそうでした」
ホルスは、少しだけ目を細めた。
「……そうだな」
しばらくしてから、ようやく口を開く。
「ライゼルがいて、お前がいて、兵士や騎士もみんな楽しそうで」
「俺も、あの頃は悪くなかったって思ってる」
オーガスが、小さく頷く。
「討伐遠征も、正直恐怖だけではありませんでした」
「この人たちがいるから頑張ろう、この日常を守ろう、そう考えていました」
「……時ってのは残酷なもんだな」
「ええ……」
また、沈黙が流れる。
風が吹き抜け、街路の木を揺らす。
ホルスが、前を向いたまま言った。
「俺は、お前がやったことはやっぱり許されねぇと思う」
「当然です」
オーガスは迷いなく答えた。
「私も、許せない」
「でもな……」
ホルスの声が、低くなる。
「お前のせいじゃねぇ」
オーガスは、わずかに目を伏せた。
「……シグル」
「時間は戻らないのですよ」
「お前は守るために――」
「着きましたよ」
オーガスが、静かに言葉を切った。
顔を上げる。
その先には、ガルディア王城の門があった。
⸻
王城の門は、高く、そして重々しかった。
門の前には、鎧姿の門兵が何人も立っていた。
槍を持ち、周囲を警戒しているその目が、二人に向けられる。
次の瞬間――
「シグル様! オーガス様!」
門兵の一人が、驚いたように声を上げた。
「どうぞ、お通りください!」
「……」
オーガスは、ほんの一瞬だけその声に目を細めた。
死んだはずの名で呼ばれたホルス。
ずっと影のように生きてきた自分。
いろいろなものが、ここで交わっている。
「行きましょう」
オーガスが静かに言った。
「……ああ」
ホルスも、短く頷く。
二人は、門をくぐった。
⸻
城の中は、どこも静かだった。
昔よりも人の気配は多いはずなのに、妙な静けさがあった。
廊下を進んでいく途中で、兵士や侍従たちが、はっとしたように足を止めた。
ホルスの姿を見て、何かを察したように黙って道を開ける。
やがて、王の間へ続く廊下の手前で、ホルスが立ち止まった。
「じゃあ、俺はここまでだ」
オーガスも足を止める。
「お元気で、シグル」
ホルスは少しだけ笑った。
「……ああ」
短い返事だった。
けれど、それで十分だった。
オーガスは深く一礼すると、ひとりで王の間へ向かっていった。
⸻
王の間へ続く扉は、重厚な木と金属でできていた。
その前に立つだけで、背筋が自然と伸びる。
オーガスは、ゆっくりと呼吸を整えた。
扉の前に立つ衛兵が、静かに告げる。
「オーガス殿、どうぞ」
扉が開かれる。
王の間の空気は、やはり独特だった。
広く、高い天井。
奥には、数段高くなった場所に王座。
その左右に控える近衛たち。
そして、王座に座る現王、バルダン。
オーガスは、まっすぐに進み、決められた位置で片膝をついた。
「バルダン様」
深く頭を垂れる。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「今日は、私の罪についてお話しさせていただきたく……参りました」
しばし、静寂が落ちた。
やがて、バルダン王の声が響く。
「オーガス……表を上げい」
「はっ」
オーガスは顔を上げた。
バルダン王の表情は、厳しかった。
しかし、その目の奥には、王としての重さと、一人の人間としての迷いが見えた。
「全て知っておる」
バルダン王は、静かに言った。
「その件で、正直……まだ迷っておる」
「そなたを処すべきか否か、とな」
「……いかようにも」
オーガスは、視線を逸らさずに答えた。
「全て、受け入れる準備はしてきております」
バルダン王は、少しだけ目を伏せた。
「ここからは」
一拍置く。
「兄を葬られた、一個人としての感情で言わせてもらう」
「……はっ」
「おぬしが兄に、あのことを正直に話していたら」
「助かっていたのではないのかと、思うてしまう」
オーガスは、静かに目を閉じた。
「……おっしゃる通りです」
「私は私情に飲まれ、どうしても家族を捨てることができませんでした」
「その意味では」
バルダン王は、王座の肘掛けを静かに握る。
「家族を失った、わしの悲しみもわかるであろう」
「はっ……」
それ以上の言葉は、すぐには出なかった。
だが、バルダン王は続けた。
「しかし……」
「ここで、おぬしを処すことが、果たして正解なのか」
「これは、否とも考える」
オーガスの眉が、わずかに動いた。
「恐れ多いのですが……なぜ……ですか」
「シグルにーー」
その名に、オーガスの目が揺れる。
「オーガスは、選ばされただけだと」
「それに今、未知の存在が現れて、この世界がどうなるかわからん局面にきている」
「……」
「シグルは、全てをわしに報告する前に言っておった」
「オーガスの知恵は、この局面を乗り切るのに必要だと」
「……シグル」
オーガスの唇から、かすかにその名が漏れた。
バルダン王は、王としてではなく、一人の人間として言葉を続ける。
「信じられないことや、未知の事態が次々に起こる今の世ではな」
「正直、対処不可能になると、わしは考えておる」
「護手、魔人、竜、過去にこの世界に何があったのか」
「わしにはどうしようもできん」
オーガスは、深く息を吸った。
「確かに……今のこの世界は、わからないことだらけです」
「しかし……私の罪は、許されるものではないと自負しております」
「それはそうだ」
バルダン王は、はっきりと言った。
そして、真っ直ぐにオーガスを見た。
「よって、ここに刑を宣言する」
「はっ!」
王の間の空気が張りつめる。
「オーガス」
バルダン王の声が、力を持つ。
「そなたを国外追放」
「及び、わしに世の裏の情勢を報告する任を与える!」
「……!?」
オーガスの目が大きく見開かれた。
「バルダン様、それでは……」
「よい」
バルダン王は、静かに言った。
「よいのだ」
「情に流されて処刑するなど、それこそ兄が望む結末ではない」
その目に、兄ライゼルの面影を見るような色がよぎる。
「しかし、オーガスよ!」
王の声が、王の間に響いた。
「そなたの使命は果たしてもらうぞ!」
「その血塗られた過去に、終止符を打てい!」
オーガスは、深く頭を下げた。
「はっ!」
「確かに、賜りました!!」
バルダン王は、ゆっくりと頷く。
「では、もう行くがよい」
「はっ」
オーガスは立ち上がった。
だが、扉の前で一度だけ足を止める。
「バルダン様」
「……なんだ」
「王の御前で恐縮なのですが」
オーガスは、静かに頭を下げた。
「ありがとうございました」
バルダン王は、ほんのわずかに目を伏せた。
「……よい」
それだけだった。
それだけで、十分だった。
オーガスは、王の間をあとにした。
⸻
廊下に出ると、そこにホルスがいた。
「おう」
いつもの調子の声。
だが、待っていたことは明らかだった。
オーガスは、少しだけ呆れたように目を細める。
「おう、ではないでしょう」
「……そうかな」
ホルスは、とぼけたように肩をすくめた。
オーガスは、まっすぐに前を見たまま言う。
「私は……十八年間のヴェンドは、今日処刑されました」
「これからはオーガスとして、あの日の続きを、必ず果たします」
「おう」
ホルスは、短く頷く。
「しかし、あなたは本当に、どこまでも私の邪魔をしますね」
「感謝されてもいいくらいだがな」
「ふっ」
オーガスは、小さく笑った。
「感謝していますよ……人生をかけようと思えるくらいにはね」
その言葉のあと、二人は立ち止まった。
しばらく見つめ合って、それから、どちらからともなく拳を作る。
拳と拳が、小さくぶつかった。
昔と同じように。
十八年の時間を埋めるように。
ホルスが、改めて言う。
「それで、だ」
「オーガス、アルミ村に来てくれ」
「お前の知恵を貸してほしい」
「元より」
オーガスは、少しだけ肩の力を抜いた。
「行くところなんて、もうありませんよ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「あの日の、十八年前を一緒に終わらせよう」
「……おう」
今度は、オーガスもはっきりと答えた。
二人は、そのまま並んで治療所へと戻っていった。
⸻
治療所の大部屋の扉が開く。
中にいた全員の視線が、一斉にそちらへ向いた。
最初に声を上げたのは、ファラだった。
「お……お父さん」
その顔は、驚きと信じられない気持ちでいっぱいだった。
ジーナも、息を呑む。
「う……うそ……どうして……」
オーガスは、二人を見て、ほんの少しだけ口元をやわらげた。
「……ただいま」
静かにそう言って、続ける。
「私も、死に戻ったよ」
その言葉を聞いた瞬間、ファラが駆け出した。
ジーナも、立ち上がる。
三人は、その場で強く抱き合った。
誰も何も言えなかった。
ただ、会えたことが、そこにいることが、何よりも大きかった。
しばらくして、ようやくオーガスが事情を話し始める。
王の間でのこと。
バルダン王の裁定。
国外追放と、使命。
「じゃあ……実質……」
ジーナが、涙をにじませたまま言う。
「そうだな」
オーガスが、少し笑った。
「バルダン様には、感謝しなくてはならないな」
「お父さんと、一緒にいられるってことだよね」
ファラが、何度も確かめるように言う。
「私、間違えてないよね?」
「ああ」
オーガスは、娘の頭をそっと撫でた。
「間違いじゃないぞ」
「これからは、一緒だ」
「しかし」
一度だけ目を伏せる。
「私は追放の身だ、ガルディアにはいられない」
「そう、だね」
ファラも静かに頷く。
「もし、残りたいなら――」
「バカね」
ジーナが、ぴしゃりと言った。
「あなたが行くところに、ついて行くに決まってるでしょ」
「当然だよ!」
ファラもすぐに続ける。
オーガスは、目を伏せた。
「……すまない」
「すまない、じゃないでしょ」
ジーナが、やさしく笑う。
オーガスも、ようやく顔を上げた。
「ああ、ありがとう」
しばし、静かな時間が流れた。
そこへ、ホルスが口を開く。
「ついては、これから俺たちとアルミ村に向かうが、いいか?」
「はい、もちろんです」
ファラが、真っ直ぐに答えた。
「よろしくお願いします」
「私からも、よろしくお願いします」
オーガスも、深く頭を下げる。
「本当に、まさかこんな日が来るなんてね」
ジーナが、少し信じられないように微笑む。
「じゃあ、明日朝出発しよう」
ホルスが、皆を見渡した。
「おう」
ハルが頷く。
けれど、その視線は自然と、部屋の奥にあるベッドへ向かう。
「フライは……」
そこには、まだ目を覚まさないフライがいた。
静かな呼吸。
顔色は少し戻ってきている。
だが、意識はまだ戻らない。
部屋の空気が、少しだけ沈んだ。
「あたいは、ここに残るよ」
フリールが、ぱっと声を上げた。
「フライが目を覚ますまで、ちゃんと見とくからさ」
「フリールは、わたしが見ておくから大丈夫よ」
エルが、さらっと言う。
「えっ? あたいなの!?」
フリールが目を丸くする。
その反応に、部屋の中に少しだけ笑いが起こった。
ネールは、部屋の端で伏せたまま、小さく呟いた。
「私は……弱い……」
あれ以来、ネールはどこか落ち込んでいた。
ムーが、ぷるぷるしながら近づく。
「ネールは強いのん」
「あの魔人がおかしいだけなのん」
「ムー……」
ネールが、ゆっくりと目を向ける。
「フライまで、こんなことに……」
「おいおい」
パディットが、呆れたように口を挟む。
「お前、メンタル強いのか弱いのかどっちなんだよ」
「今回ダメだったんなら、次からはもっと力つける、とかねぇのかよ」
「……力、か」
ネールが、ゆっくりと立ち上がる。
その目に、少しずつ光が戻っていく。
「私は、今以上に強くなれるのか……」
「いや、なるっ!絶対にっ!」
大きく翼を広げた。
「私は雷鳥! 空の支配者!」
「立ち直り早いな!」
パディットが、驚いた顔で言う。
「でも、その調子なのん」
ムーが、嬉しそうに揺れる。
「ネールはこうじゃないとなのん」
「ムーも、フライを見てるのん」
ホルスが、少しだけ笑った。
「お前たち、頼んだぞ」
ネールが、胸を張る。
パディットも、静かに頷いた。
そうして、その日はそれぞれ休息に入った。
⸻
そして、次の日の朝。
出発の時間が来た。
治療所の大部屋には、アルミ村へ戻る者たちが揃っていた。
「じゃあ、フリール、頼んだぜ」
ハルが言う。
「ガッテンだ!」
フリールが元気よく胸を叩いた。
「まっかせんしゃい!」
「お前は、心配も多いからなぁ」
ホルスが、わざとらしく言う。
「まだ……信用してもらえてない!?」
フリールが大げさに肩を落とす。
「ふっ」
ホルスが、少しだけ笑う。
「いや、信用はしてるさ」
「お前がいてよかったよ、フリール」
「ホルスがデレた」
「デレとらんわ!」
即座のツッコミに、また部屋に笑いが起こる。
パディットが、フライのベッドのそばで座ったまま言う。
「なに、オレたちもいるんだ」
「安心しろ」
ネールは、一度だけフライの方を見てから、まっすぐ前を向く。
ムーが、ぷるぷると揺れた。
ホルスが、最後にもう一度、全員を見渡す。
「じゃあ、行ってくる」
そう言って、みんなは治療所をあとにした。
まだ意識の戻らないフライを残して。
静かな部屋の中で、フライの寝息だけが、かすかに響いていた。
第三章 ガルディア動乱編 完
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
三章終了書き切りました。
正直、展開を考えるのに苦労しましたが、その分いい物になったのではと思っています。
自分としても楽しく毎日書けましたので満足です。
次章も読んでいただけると嬉しいです。




