第七十四話 旧ライゼル港の攻防 後編
ハルとデグが、港の真ん中で向かい合っていた。
海からの風が吹き抜ける。
地面には血が飛び散り、壊れた木箱や荷物が、さっきまでの戦いの激しさを物語っていた。
デグは左手で肩を押さえながら、荒い息を吐いていた。
右腕は、もうない。
「護手え……」
顔をゆがめて、デグが苦しそうに声をもらす。
「腕が……あああ……」
その声には、さっきまでの余裕も、遊び半分の感じもなかった。
あるのは怒りと、強い憎しみだけだった。
「みんなが受けた痛みは、こんなもんじゃない」
ハルが、王家の剣をまっすぐ構えたまま言う。
脇腹の傷はまだ完全には塞がっていない。
息も荒い。
しかし、その目は鋭かった。
「お前のその手で、人生を狂わされた人が何人いると思う」
金色の光をまとった剣先が、ぶれることなくデグを指している。
「この場所で、ライゼル城の前で、沈めえええええ!」
そう叫んで、ハルは王家の剣を振り下ろした。
金色の刃が、光の斬撃となって一直線にデグへ飛ぶ。
空気を裂き、砂埃を巻き上げながら迫るその一撃は、今までのどんな剣筋よりも重く、強かった。
だが──
「あーあ、これは使いたくなかったなあ」
デグが、ぼそりと呟いた。
次の瞬間、辺りが一瞬、闇に包まれたように見えた。
するとデグの姿が消えた。
そこにいたはずの魔人は、まるで最初からいなかったかのように、その場から消えていた。
「消えた!?」
ハルが目を見開く。
「どこに……!」
反射的に周囲を見回す。
だが、気配はない。
その時、視界の端に倒れたホルスの姿が入った。
「親父っ!」
ハルはすぐに駆け寄った。
「大丈夫か! しっかりしろ!」
「俺は大丈夫だ……」
ホルスは顔をしかめながらも、なんとか声を返した。
「くらっちまったが、これのおかげで助かった……」
そう言って魔剣を持ち上げる。
鍔にはめ込まれていた巨大なルミナストーンには、深いヒビが走っていた。
もしこの石がなければ、さっきの斬撃はもっと深く通っていたはずだ。
「それより、フライだ」
ホルスが言う。
「ポーションだけかけとくぞ」
ハルは腰の小瓶を取り出し、ホルスの傷口へ振りかけた。
じゅっと音がして、裂けた傷が少し落ち着く。
「助かる」
「フライは……」
ハルはすぐに振り返り、フライのもとへ駆ける。
横たわったまま、ぴくりとも動かない。
腹と腕の傷口から流れていた血は、ファラとエルの回復魔法でどうにか止まりつつあった。
「まだ息はあるわ」
エルがフライの顔をのぞき込みながら言う。
「でも意識がないし、呼吸も浅い」
「回復魔法はなんとか追いついてます!」
ファラが必死に魔力を流し込みながら言う。
「大丈夫、絶対死なせない」
傷口そのものは閉じかけている。
けれど、失った血の量が多すぎる。
顔色は青白く、唇にもほとんど色がない。
「ガルディアまで持つかどうか……」
エルが心配そうに言った。
「パディット、ネール、ムーは!?」
ハルが辺りを見回した。
パディットは、倒れ込みながらもなんとか自力で起き上がっている。
ネールはまだ地面に強くぶつかった衝撃から目を覚まさない。
ムーも魔力切れで、フライのそばでぐったりと小さくなっていた。
「とにかく、急いでガルディアだ」
ホルスが声を張る。
「パディット、まだ動けるか?」
「ああ……まだ、なんとかな……」
パディットはふらつきながらも立ち上がる。
「ネールとムーを拾ってガルディアまで戻れるか?」
「大丈夫だ」
パディットが牙を食いしばる。
「いい気合いだ」
ホルスが短く頷く。
「ファラ、エル、みんなに回復魔法を頼む」
「治療が終わり次第、ガルディアへ引き返す」
「わかりました」
「ええ、わかったわ」
「あとヴェンドとジーナは?」
ホルスの問いに、ファラが答える。
「お父さんとお母さんは、先にガルディアに戻ってもらいました」
「お母さんが疲弊していたので、ガルディアの治療所に」
「そうか、それでいい」
「にしても、あの魔人はどこに消えたんだ……」
ハルが呟く。
「そもそも魔人ってなんなんだよ」
「わからないことだらけだな」
ホルスが息を整えながら言う。
「戻ったら一旦整理しないとな」
「親父も親父だしよ」
ハルが半ば呆れたように言う。
「騎士団がなんで味方になってんだよ」
「それも帰ってから、だ」
ホルスは短く返した。
「そういえば、フリールは!?」
ハルが顔を上げる。
「フリールは騎士団と入り江だ」
ホルスが視線で示す。
遠目に、騎士団の向こうで杖を振るフリールの姿が見えた。
「あいつも戦ってたんだな……」
ハルがぽつりと言う。
「迎えに行ってくるよ」
「おう、頼んだ」
「ホルスさん」
ファラがそっと声をかける。
「ポーション使ったとはいえ、回復魔法かけます」
「すまねぇ、助かる」
ファラの治癒魔法の光がホルスの体を包む。
その間にも、港の向こうからは騎士団と大型モンスターがぶつかる音が聞こえていた。
遠目に見ても、騎士団は押している。
大型モンスターたちは入江の中に封じられ、もう平野へ抜けられそうにはなかった。
それを確認して、ホルスはようやく小さく息を吐く。
「よし……治療優先だ、ガルディアへ戻る」
ファラの治癒がひとまず終わった頃、ハルがフリールを連れて戻ってきた。
「騎士団めっちゃ強いよ」
「あっちは任せて大丈夫だと思う」
「足りそうなんだな?」
「あたいたちは、こっちの心配した方がいいと思う」
「さすが騎士団だな」
ホルスが言う。
「俺たちは急いで戻る」
「おう」
「うい」
「わかった」
「ええ」
「はい」
それぞれの返事が重なった。
「フライは俺が背負う」
そう言ってホルスは、フライを背負い上げた。
ぐったりと力の抜けた体が、重い。
ホルス自身も斬られている。
それでも、下ろそうとはしなかった。
「ホルスさんも無茶しちゃダメですよ」
ファラが言う。
「斬られてるのを忘れたらダメです」
「今は背負わせてくれ」
ホルスはフライの体をしっかり支えた。
「ここまでこいつには散々助けられた」
「絶対死なせねぇ」
「……わかりました」
ファラは唇を噛んで頷く。
「でも、無理だと思ったらすぐ言ってください」
「その時は頼む」
そうして一行は、来た道を引き返しはじめた。
⸻
誰もあまり喋らなかった。
ただ、足を止めない。
ひたすら前へ進む。
潮風の匂いが遠ざかっていく。
代わりに、草と土の匂いが濃くなる。
港が遠ざかり、朽ちかけたライゼル城の影が伸びる。
(にしても……)
ハルは黙ったまま前を歩きながら考える。
(デグ……あの魔人はなんだったんだ……)
王家の剣に反応したあの様子。
護手という存在。
リュミエールの契約者のこと。
何もかもが、知らないことだった。
それでも今は、考えるより先に帰らなければならなかった。
しばらく進むと、やがて遠くにガルディアの城壁が見えてきた。
夕方の陽が城壁を赤く染めている。
門の近くでは、すでに兵士たちがざわついていた。
「ほ、本当にモンスターが……」
「あれが味方なのか……?」
門兵たちが、パディットとネールを見て明らかに動揺している。
「王の命令だ!」
別の門兵が叫んだ。
「シグル様たちを門へ通す!」
「バルダン様を信じよう!」
「開門だー!」
重い門が、ぎぎぎと音を立てて開いていく。
「このままこいつらと通る!」
ホルスが叫ぶ。
「街がパニックになったらすまねぇ!」
「シグル様っ! 大丈夫です!」
門兵が声を返す。
「治療所までお急ぎください」
「助かる」
一行はそのまま門をくぐった。
夕暮れの城下町を、傷ついた人間とモンスターたちが駆け抜ける。
道行く人々は驚き、足を止め、声もなく見送った。
子どもを抱き寄せる母親。
固まる商人。
道の端へ慌てて退く人。
だが、門兵たちが先に、道を開けてくれと叫んでいたおかげで、大きな混乱にはならない。
「シグル様、本当に……」
門の陰で、ひとりの兵が呟く。
「それだけで、ライゼル様も少しは救われる」
⸻
治療所へ着くと、ホルスは扉を押し開けた。
「すまねぇ、今すぐこいつを診てほしい」
背負っていたフライを見せる。
治療師たちの顔色が一気に変わった。
「今すぐ治療室へ移動させます」
数人がかりでフライを受け取り、そのまま奥へ運んでいく。
扉の向こうへ消えていくフライの姿を、皆が息をのんで見送った。
「その……シグル様、ですよね?」
治療所の職員が、おそるおそるホルスに声をかける。
「そうだが、様はやめてくれ」
ホルスは短く答える。
「俺はもう、城の人間じゃない」
「いえ」
職員は首を振った。
「ライゼル様と共にこの国を救ってくださった英雄です」
「……じゃあ」
ホルスは静かに言った。
「こいつら、救ってやってくれ」
振り返った先には、傷ついたみんながいる。
「俺にとって、こいつらの方が英雄だ」
職員は目を見開いてから、強く頷いた。
「必ずお救いします」
「ただ、その……モンスター達は、他の患者さんが驚いてしまいますので……あちらの扉の中でもよろしいですか」
「ああ、全員でそこに行く」
「大丈夫か?」
「はい、今すぐ準備します」
「助かる」
職員が走っていくのを見送りながら、ハルがぽつりと口を開く。
「親父、本当に……いや、今はいいか」
「いや」
ホルスは苦く笑った。
「俺はただのアルミ村のホルスで、お前の親父だ」
「そうだな」
ハルも少しだけ笑う。
「ねぇ」
フリールが口を開いた。
「それはそうと、ファラはヴェンドさんのとこ行かなくていいの?」
「今はみなさんの治療が先です」
ファラは迷わず答える。
「お父さんとお母さんには、その……もう後で会えますから」
「ファラはええ子やなぁ、本当に」
「フリール」
エルがやわらかくたしなめる。
「ちょっとだけ静かにしよっか」
「ここ、治療所だからね」
「うい」
素直にフリールが頷いた。
やがて、準備が整った。
「どうぞ、あちらへ」
職員が扉を開ける。
「行こう」
ホルスの声に、一同は静かに頷いた。
まだ消えない戦いの余韻を抱えたまま、治療所の奥へと入っていく。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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