第七十一話 再会の港
黒いローブ姿が、ゆっくりと港へ降り立った。
潮風の吹く、使われていない入江の港。
その人物だけが妙に浮いて見えた。
ファラは、その姿を見つめながら、ぎゅっと拳を握る。
隣に立つヴェンドさんが、ファラに声をかける。
「大丈夫だ、ファラだけは必ず守る」
「ううん」
ファラはすぐに首を振った。
「お父さんは、お父さんの心配をする」
「そう約束したでしょ」
「私は大丈夫だから」
「……」
ヴェンドさんは答えず、ただ前を見た。
⸻
その日の朝。
「すまない、ファラ」
ヴェンドが、苦い顔で言った。
「巻き込むことになってしまって……」
「お父さんは何も悪くないよ」
ファラは、はっきりと答えた。
「もう、それは言わないって約束でしょ?」
「でもさ」
ファラは、少しだけ表情をやわらげた。
「これでよかったんだよ」
「私、何も知らないで生活してて」
ファラは、自分の胸元に手を当てる。
「お父さんのこと、過去のこと、お母さんのこと」
「もしそのまま、知らないで生活してたらって思うと……辛いもん」
「お父さんに、ずっと守ってもらってるだけだなんて」
「ファラ……」
「それに、私は無関係なんかじゃないよ」
ファラは、ヴェンドの目をまっすぐ見た。
「家族だもん」
「一緒に戦わせてよ」
ヴェンドはしばらく何も言えなかった。
「……すまない」
そう言いかけて、ヴェンドは止まった。
そして、小さく首を振る。
「……じゃないな」
「ありがとう、ファラ」
声は少し震えていた。
「三人で、必ず家に帰ろう」
「うん」
ファラは強く頷いた。
「フライたちを信じようよ」
「ホルスさんとも、今度は笑って会えるようにね」
ヴェンドも、ほんの少しだけ口元を緩める。
「こんな形では会いたくなかったからな」
それから、ふっと目を細めた。
「それにしても、ファラは……ジーナに似てきたな」
「そうなの?」
「たくましくなったし、何より笑った顔がそっくりだ」
その言葉に、ファラの目が少し潤んだ。
「行こう」
「そして帰ってこよう」
⸻
そして、今。
黒ローブの人物は、ヴェンドさんとファラの前まで来ると、楽しそうに首をかしげた。
「やあ、お二人さん」
ねっとりとした声。
「僕の言った通り、来てくれたんだねえ」
(この人が……)
ファラはその顔の見えないフードを見つめる。
「何か暗いねえ」
黒ローブの人物が肩をすくめる。
「それは暗くもなるさ」
ヴェンドさんが言った。
「ガルディアでやっていたことが、全部ダメになっていくのだからな」
「ほんとだよねえ」
ローブの下で笑う。
「誰のせいなのかなあ?」
「私のせいだと言いたいのか」
ヴェンドさんは問い返す。
「違う、違うよお」
楽しそうに両手を広げる。
「誰か意地の悪いクソ野郎が、邪魔してるんだよねえ」
「目星はついているのか?」
「いーーーーや」
間延びした声で答える。
「まーーーったくだよお」
「じゃあどうする」
「でもねえ」
黒ローブの人物が、船の方へ親指を向ける。
「いーーーーっぱい、魔物を放てば出てくるよねえ」
「……まさか!?」
ヴェンドさんの表情が変わる。
「そうだよお」
黒ローブの人物は、まるで気軽な相談でもするように言った。
「ガルディアに直接放つんだよお」
「そのお手伝いを、君達にしてもらいたいんだあ」
黒ローブの人物が、考えるように首を傾けた。
「怖がらなくたっていいよ」
「ちゃんとやってくれれば、無事にお父さんと帰れるからさあ」
「サラームにね」
「サラームに!? 私たちをどうするつもりだ?」
ヴェンドさんの声が少し震える。
「何かされると思ってる?」
黒ローブの人物が笑う。
「あっはは、大丈夫だよお」
「サラームで、みんなで仲良く暮らしていけるようにしてあげるよお」
「ガルディアは……」
ファラが呟く。
黒ローブの人物が、少しだけ声を落とした。
「ガルディアは、おしまいだよ」
「たのしいねえ」
「家族で暮らせる……それを、今さら信じろと?」
ヴェンドさんが奥歯を噛みしめる。
「ん?」
「信じるとか信じないとか、関係ないんだよねえ」
「僕がそうするって言ってるんだよねえ」
そこで、ローブの人物は顔の見えないまま、笑みを浮かべる。
「それに、君には感謝してるんだあ」
「ここまで来られたのも、君のおかげだからさあ」
「……」
ヴェンドさんは何も言わなかった。
だが、その沈黙の中には、怒りと、後悔と、殺意のすべてが詰まっていた。
「わかった」
そこで、ファラが口を開いた。
「言う通りにする」
「ファラ!」
ヴェンドさんがファラを見て叫ぶ。
「お父さん、いいの」
「いい子だねえ、助かるよお」
黒ローブの人物が嬉しそうに笑う。
「あ、違うか、選択肢なんてないんだっけ」
「たのしいねえ」
「……あの」
ファラが一歩、前に出た。
「その前に、お母さん」
「お母さんと会わせてほしい」
「いいよお」
黒ローブの人物は、あっさり頷いた。
「おーい、ジーナちゃん連れてきてー」
黒ローブの男は、乗ってきた船の方に向かって言った。
⸻
船の影から、兵士らしき男が現れた。
そして、それに連れられるように、一人の女性がいた。
顔色はあまり良くない。
けれど、その目だけは死んでいなかった。
「……オーガス」
声を聞いた瞬間、ヴェンドさんの声が飛んだ。
「ジーナ!」
「お母さん!」
ファラの顔が、一瞬で涙に崩れた。
「……え?」
ジーナさんの目が大きく見開かれる。
「ま、まさか……ファラ!?」
「私だよ!お母さん!」
ファラは泣きながら叫んだ。
ジーナさんもヴェンドさんも、顔を歪めた。
何年も閉じ込められていた感情が、ようやく決壊したみたいに。
「感動の再会だねえ」
黒ローブの人物が、手を叩いて笑う。
「あはは」
「話してきていいよお」
兵士がジーナさんを二人の方へ押し出した。
ファラはたまらず駆け寄り、ヴェンドさんも一歩踏み出す。
「ファラ……大きくなったね……」
ジーナさんの声は震えていた。
「こんなことになって、ごめんなさいね」
「ううん」
ファラは首を振る。
「私が、お母さんに会いたいって望んだんだよ」
「オーガス……」
ジーナさんがヴェンドさんを見る。
「正直、あなたがファラまで巻き込むと思ってなかったわ」
「すまない……こうするしかなかった」
ヴェンドさんは目を伏せる。
「それは、言い訳のしようがない」
「でも、私もダメね」
ジーナさんは涙を流しながら、それでも笑った。
「素直に、これまでの人生で一番嬉しい」
「生きててよかったって……思っちゃった」
「お母さん……」
ファラは、ジーナさんの耳元にそっと顔を寄せた。
「今から助けるからね」
「何が起こっても、安心していて」
「え?」
ジーナさんが目を見開く。
その瞬間だった。
ヴェンドさんが、眼鏡を外した。
それを合図に、港の塀のあたりで、一瞬光が走る。
刹那。
ジーナさんの体が、目で追えない速さで奪い去られた。
「なっ──!?」
黒ローブの人物が反応するよりも早く、ヴェンドさんが叫ぶ。
「目をつぶれ!」
ヴェンドさんの手から、閃光玉が放たれる。
次の瞬間、港が真っ白な光に包まれた。
その隙に、ヴェンドさんとファラも一気に灯台の方へ走り出す。
「へえ」
黒ローブの人物は、眩しさの中で軽く笑った。
「やるんだ、そういうこと」
光が晴れ始める。
「でも僕から逃げられるって思ってるなら、それは、かなしいねえ」
ぞっとするほど穏やかな声。
「どこまででも追いかけてえ」
「どこまででも追い詰めてえ」
「どこにも行けなくしてえ」
「次は一人ずつ、目の前で殺すからねえ」
「たのしいねえ」
「おい、クソ野郎」
その声は、港の反対側から響いた。
黒ローブの人物が振り向く。
「誰?」
ローブを脱いだホルスさんが、そこに立っていた。
「お前は知らないんだよな」
「俺が生きてるってことを」
「いや、誰なの?」
黒ローブの人物が本気で不思議そうに言う。
「お前は知らなくっても」
ホルスさんの声は低く、怒りが含まれている。
「こっちは忘れらんねぇんだよ」
ホルスさんはゆっくりと歩き出す。
「は?」
「いきなり来て、何言ってるんだい君い?」
黒ローブの人物が、首をかしげた。
ホルスさんは一歩、さらに踏み出す。
「十八年前」
背後の城跡を顎で示す。
「ライゼル城を襲ったのは、お前だな」
「ああ、そっかあ」
黒ローブの人物が笑う。
「生き残りかなあ」
「ごめんねえ」
「始末してあげられなくってえ」
「今まで苦しかったねえ、たのしいねえ」
「あと」
ホルスさんの目が細くなる。
「お前は、なぜガルディアをそこまで狙う?」
「なぜってえ」
黒ローブの人物は、まるでくだらないことを聞かれたように言った。
「いらないからだよお」
「ゴミ掃除だよねえ」
「ご……み?」
ホルスさんの目が大きく見開かれる。
「そうそう」
黒ローブの人物が、嬉しそうに笑う。
「ぜーーーーーーんぶいらないゴミ」
ホルスさんの声は、逆に静かになった。
「……お前、本当にサラーム国の者か?」
「へえ」
黒ローブの人物が、本当に楽しそうに声を上げる。
「するどいねえ、君」
「まぁでも、そうだよお」
「サラームはもう、僕の物だから」
「僕の操り人形、僕の手足、僕の奴隷」
「物、そうか……」
ホルスさんは小さく息を吐く。
「お前が全ての黒幕なんだな」
「黒幕かあ」
黒ローブの人物が、くすくす笑う。
「そうなるのかなあ」
「んで、君あれかあ」
「オーガス君の知り合いか、なんかなの?」
「ああ」
ホルスさんは即答した。
「戦友だ」
黒ローブの人物が、少しだけ声を低くした。
「ふーん」
「まあ、もう全員殺すって決めたから、どうでもいいけど」
そのまま、ローブを脱ぐ。
現れたのは、少年のような顔立ちだった。
いや、少年に見えるだけで、人間ではなかった。
肌は病的なほど白く、血の気がない。
耳は少し尖り、瞳は人のものよりも冷たかった。
「な……」
ホルスさんの目が見開かれる。
「お前、なんなんだ!?」
「あはは」
その白い顔が、嬉しそうに歪む。
「その反応いいねえ」
にたりと笑った。
「僕はデグ」
「見ての通り、人間じゃない」
「人間……じゃない?」
デグは肩を揺らして笑う。
「僕は、魔人さ」
「ま……魔人だと!?」
ホルスさんの背筋を、冷たいものが走る。
魔人。
伝承や、古い戦記の中でしか聞かない存在。
「そんな者の存在を、認めろってのか」
ホルスさんは、現実に見ながらも、まだ信じられないでいた。
「あーあ」
デグが心底残念そうに言う。
「知ったら殺さないといけないねえ」
「たのしいねえ」
そう言うと、デグは懐から二本の魔剣を取り出した。
ホルスさんも背中の剣に手をかける。
(なんだ、あの気配は)
塀の影で見ていた僕の背筋が、ぞくりと震えた。
(人間じゃないみたいだ)
(それと、あの魔力は……なんなんだ)
(フライ)
ネールの声が響く。
(私も時を見て加勢する)
(わかりました)
僕は息を整える。
(戦闘に入ったら、ネールさんはホルスさんに加勢してください)
(承知)
デグが、ゆっくりとホルスさんへ近づく。
「ねえ」
白い顔に笑みを浮かべたまま言う。
「君は強いかなあ?」
ホルスさんが剣を抜く。
「確かめてみろ」
その瞬間。
デグの姿がぶれた。
一気に間合いを詰め、二本の短剣がホルスさんに向かって走る。
尋常じゃなく速い。
ホルスさんは反射で剣を横に構え、その斬撃を受け止めた。
金属音が鳴る。
防いだ。
はずだった。
「ぐっ!」
胸元から、血が散った。
ホルスさんが一歩よろめく。
「なんだ、その剣……」
受けたはずなのに、斬られている。
「これ、いいよねえ」
デグが嬉しそうに短剣をくるりと回す。
よく見ると、刃の先から、薄く伸びた魔力の刃が揺れていた。
「こんなことも、できるよお」
デグが双剣を十字に振り下ろす。
刹那、二本の魔力の刃が飛んだ。
「っ!」
ホルスさんが身構えるより早く、その体が横へと突き飛ばされた。
次の瞬間──
「ピィイイイイイイイイイ!」
鋭い鳴き声。
「〈〈エクレール〉〉」
頭上から、雷が落ちた。
デグのいた場所へ、白い閃光が直撃する。
雷光の中、大きな翼が広がった。
「我は雷鳥!空の支配者!」
ネールが、大きく翼を広げていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
次話も読んでいただけると嬉しいですね。




